舞・ガール
「最悪〜」
リリアムはさっきから同じセリフを繰り返している。
「ほんっと最悪、マジ最悪、めっちゃ最悪」
「もうわかったから、同じこと言うのはやめろ」
「いいや、ヨーマはわかってない。あのバレッタ、わたしの『お気に』だったんだから」
ゲウムに持ち去られた鞄には、お金だけではなく、バレッタや櫛やその他もろもろの女子グッズが入っていたのだ。
幸いアーケルに渡した金貨だけは残っていたので、町に戻って必要なものは買いそろえられた。
しかしバレッタだけは気に入ったものが見つからず、仕方なく今は、少し癖っ毛の燃えるような赤い長い髪を紐で結わえているだけだ。それで、リリアムはずっとオカンムリなのである。
「ゲウムめ、今度会ったらただじゃおかないから。わたしから盗んだことをぜぇったい、後悔させてやる」
言いながら、意識はアーケルに向いている。
『………好き。』
アーケルが手を差し出したときのあの感情は何だったのだろう。
確かにあのときアーケルが光輝いて見えたのだ。
―好き…なのかな。
アーケルを見ていると、胸が苦しくなってくる。そのくせ、気づくと目で追っていたりする。
―初めて会ったとき、いきなり結婚とか口にしてたけど、どういうつもりでそんなこと言ったんだろ。
―一目惚れ…とか? まさかね。いくらなんでもそれで一足飛びに結婚にはならないよね。
―でも、こいつは妖魔だから。人間じゃないから、考え方が根本的に違うのかも。
ふいにアーケルがリリアムに視線を向けた。紫色の瞳がリリアムを貫いてくる。途端に心臓が跳ね上った。
「な、なんだよ、人のこと勝手に見てんじゃねえよ」
「リリー、おかしいと思わないか?」
「えっ…」
―わたしって挙動不審だった? まさか、心を読まれたとか…?
「妙にこの辺りだけ濡れていないか?」
「濡れて…?」
「まるで雨が降ったような」
―なんだ、わたしのことじゃないのか。
ドキドキしたのが損したような気分だった。
―こんなことでどうする。わたしは渾沌と闘わなきゃいけないのに。
「しゃあーっ!」
リリアムは気合いを入れ直した。アーケルはそんなリリアムに一瞥をくれただけだった。
改めて周りをキョロキョロ見回してみる。
ここは旅人のために街道が整備されて街路樹が立ち並んでいる。その木々も路面もアーケルの言うように濡れていた。今まで歩いてきた後ろを振り返れば、まったくそんな様子はない。
「このへんが雨の境目だったのかな」
「そうだな…。リリー、この先は村か町があるのか?」
「どうかな? 少なくとも大きな町はないはずよ。わたしだってすべての集落を知ってるわけじゃないから」
召喚士の修練の一つとして、世界の地理を学ぶことが課せられている。リリアムは地理が得意だったので、主だった国々の町の位置関係は知識として習得していた。
「待て。やはりこの先に集落がある」
アーケルが何かを探る仕草をする。
「でも様子がおかしい。人の気配がしない…いや、一人はいるか」
「見て、ヨーマ。煙よ」
リリアムが指差す先、ちょっとした林を超えたところから白い煙が上がっていた。
「火事なのかも」
言い終わらないうちから、リリアムは走り出していた。
「やれやれ」
アーケルは仕方なさそうに後をついていく。
「えっ…!?」
ほどなくリリアムは呆然と立ち尽くす。
陰惨な光景が広がっていた。
確かに村はあった。規模は大きくないようだった。小ぢんまりとした家々が並んでいたのだろう、以前は。
今は壊滅していた。すべての建物は破壊され、村人らしき遺体がそこかしこに散乱していた。
村を巡りながら生存者を探す。
建物は押しつぶされたように破壊されたものや、燃えて炭になった柱から煙を上げているものもあった。
遺体は焼死が多いようだった。燃えた家に巻き込まれたにしては、押しつぶされた家の側の遺体も黒焦げになっていた。
「火炎系の魔獣に襲われた…?」
しかし。なぜかみな濡れていた。つぶれた家も焼死体も地面も。
「リリー。この少し先に人間の気配がする」
アーケルの言葉に駆け出す。倒壊した建物の脇に小さな人影が見える。
少女が倒れていた。
急いで抱き起こす。
胸が上下している。
「生きてる! ―しっかりして!」
身体は濡れていないようだ。長い黒髪はボサボサでボロボロの服の背中側が大きく破れている。無数の傷跡が見えた。切り傷やミミズ腫れ、中には焼きごてまである。
「わたしの声、聞こえる? しっかりして!」
「………」
リリアムの懸命な呼び掛けに少女の目がパッと開いた。
「気がついた! ……大丈夫? どこか痛いとこない?」
「……!?」
少女はリリアムを認めると突然腕の中で暴れ出す。
「ちょ、ちょっと、何する…!?」
少女はリリアムから抜け出し、倒れた柱の影でうずくまる。
「どうしたの、急に。わたし、あなたを心配し…」
リリアムが近づくと少女はやせ細った身体をいっそう固く縮こませる。
「あなた、震えてるの? ……大丈夫。何も怖くない、何も怖いことなんてしない」
少女が目を向けてきた。黄色い虹彩に黒く細長い瞳。それは猜疑と不信に彩られ、リリアムを完全に拒否していた。
「リリー。そのガキは見たところどこもケガはしていないようだ」
アーケルが声をかける。
「この村はもうダメだ。他に生存者はいない。無事ならガキは放っておけ」
「放ってなんておけないよ!」
リリアムは強く頭を振る。
「こんな小さな子を一人残してどうするの! どうやって生きていけっていうのよ」
「ではどうする。連れていくのか?」
「当たり前よ」
「冒険者パーティーの旅に連れていくっていうのか、そのガキを。お前、意味わかって言ってるんだろうな」
「う…」
「オレたちは渾沌を倒すための旅をしているんだぞ。連れていけば確実に闘いに巻き込むことになる」
「わかってる…わかってるけど」
「しかもそのガキ、背中に焼きごてがあった。あれは奴隷の印だ」
「それが何だって言うんだ!」
リリアムが激しくアーケルを睨みつけた。
「奴隷だったら助けちゃいけないのか。見捨てられて当たり前なのか? そんなのおかしい。この子だって人間だぞ!」
「……だったらこういうのはどうだ」
少し考えてからアーケルが言う。
「大きな町まで連れていく。施設を探そう。身寄りのない子どもを預かってくれるところがあるはずだ」
「……わかった。そうする」
リリアムは着ていたローブを脱いだ。少女はリリアムに少し警戒する仕草を見せたが、己にそっとかけられたローブを不思議そうに見つめた。
「大丈夫。わたしは味方よ。決してあなたに悪いことはしない。ここで少し待ってて」
リリアムは少女に微笑みかけると立ち上がった。
「ヨーマ、手伝って。村の人たちを埋葬する」
リリアムとアーケルは可能な限り遺体を集めた。損傷の激しい遺体もあったが、アーケルは意外な繊細さをみせて丁寧に遺体を扱った。
村の広場らしき場所に墓を掘り埋葬した。墓掘りはアーケルの魔法であっという間にできたが、すべて終わる頃には太陽が落ちかけていた。
リリアムは召喚士のロッドを手に墓の前に佇むと、静かに歌い始めた。
それは亡き人を想い別れを嘆き悲しみながら、魂の安らぎを願う葬送の詩だった。
夕陽を浴びながら、詩に合わせて舞い始める。
優雅に。荘厳に。時に激しく。時に優しく。悲嘆を覆い、希望が溢れ出す。
リリアムは光に包まれた。神々しい黄金色に輝き四方に光が拡散する。世界が慈愛に満たされた。
夕陽の最後のひと欠片が地上に堕ちるのと同時に、詩と舞が静かに終わった。
「……お待たせ」
リリアムはしばらく肩を激しく上下に動かしていたが、やがて大きく一息つくとゆっくり振り返った。
「……召喚士の舞か」
それまで身じろぎひとつせずリリアムの舞を凝視していたアーケルが、慌てたように目を背けた。
「死者を弔う葬送の詩。召喚士に送られた魂は神の御下で昇華され人間に再生するという。文献に書いてあった」
「召喚士はもともと生者と死者を繋ぐのが役割だっからね。わたしの詩と舞も全然だけど」
「いや、とても良かった。心が震えた」
「珍しい、ヨーマが褒めてくれるなんて」
「オレだって良いものは良いとちゃんと評価する」
「ありがと。素直に受け取っておくよ」
「日も暮れた。さっき遺体を運ぶついでに壊れた家を片付けて空き地を作っておいた。今夜はそこで野宿しよう」
「そうね。―あなたもこっちにおいで」
リリアムが少女に声を掛けると、素直についてきた。しかし、まだリリアムたちのそばに近寄ろうとしないし一言も喋ろうとしない。
「……まだまだ信用されていないみたいね」
リリアムは警戒心をあらわにする少女を見ながら苦笑いを浮かべるのであった。