雨のえれじい
「フィール。どんな様子?」
強い雨が降り続いている。ファーグスは、ジギタリスの家の斜め向かいにある喫茶店で紅茶を飲んでいた。そこへリリアムとハーデンベルギアが合流した。
「エリーは家に入ったきりだ。まだ出て来ない」
「そう。今日もお家デートで終わりにするつもりかな」
「つきまとい男もさすがに家の中までは襲撃してこないだろうしな」
「わざとガードの隙を作りエリーさんに自由行動させて男を誘い出す。……いい作戦だと思ったんだけどな」
「やっぱりエリーさんに事前に説明して、自由行動の演技をしてもらったほうが良かったかも」
「でもさ、ハーディ。エリーさんは女優だから上手に演技してくれると思うけど、だからこそ『演技』になっちゃうからやつに警戒されると思うのよね」
「罠だと見え見えになる、か」
「おい、お前たち何のんびりしている!」
そこへアーケルが飛び込んできた。
「ジギタリスの家に人の生体エネルギーはないぞ!」
「えっ!? それ、ほんと?」
リリアムは腰を浮かせる。
「でも家のドアからは誰も出てきてないぞ、これは確かだ」
「フィール。お前、一杯食わされたな。あの家には裏口がある。そこから抜け出したんだろう」
「なんだって!? ……すまん、しくじった」
「一昨日のヨーマの尾行も感づかれてたし、フィールの尾行もバレてたのね」
ハーデンベルギアは考え込みながら言う。
「でも、どうしてあたしたちをまくようなことを…」
「どうする、リリー。今襲われたらまずいぞ」
「……ヨーマ。生体エネルギーのある場所を教えて。手分けして探そう。一人ずつリングラビットを連絡係としてつける。見つけたらリングラビットを他の三人に飛ばして。見つからなかったら一旦この喫茶店に戻ること。―さあ、急いで!」
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雨が降りしきる中、エリスリナは夕陽が綺麗に見える公園に来ていた。傍らにはジギタリスが佇む。もちろん、昼間だし雨が降っているため、目を引くような景色は何も見えない。
「生憎の雨だけど、あなたを一度ここへ連れてきたかったんだ」
「今日でなくても良かっただろうに」
「今日があの人の命日だから」
「……!」
「昨日、リリーたちとここで夕陽を見たの。とても綺麗だった。そういえば次の日が彼の命日だったと思い出したら、無性に彼の話がしたくなって…リリーたちに話しちゃった」
「冒険者に話してもどうにもならんだろうに」
「何でかしらね。あの子を気に入ってるからかな。信頼できる子なのよ。……いや、信じさせてくれる、かな」
「……よう、エリー。この雨の中、デートか?」
「あなたは……!?」
雨を突き破るようにして男が現れた。全身ずぶ濡れで片腕の手にはナイフが光っている。
「ようやくあの忌々しいボディガードどもと離れてくれて嬉しいよ。あいつらのせいで手が出せなくなって困ってたんだ」
「お前がつきまとい男か」
ジギタリスはエリスリナをかばうように一步前に出た。
「てめえなんか、眼中にねえんだよ。引っ込んでろ。これは俺とエリーとの問題なんだ」
「そうはいかない。好いた女を守るのは恋人の義務だからな」
「ジーグ…!?」
「……よくぞ俺の目の前でそんなセリフを吐けたな。エリーは俺の女だ。てめえなんぞに盗られてたまるか!」
男がナイフを振り上げた。ジギタリスは傘を投げつける。男はナイフで傘を払い飛ばした。その隙に間合いを一気に詰めたジギタリスが殴りつける。男は俊敏な動きでそれをかわした。
「エリーっ! 俺のモノになれやぁぁぁーっ!」
エリスリナは恐怖で身動きできない。目の前に迫った男のナイフが振り下ろされる!
「ぐっ…!?」
男は勢いよく転がり手すりにぶつかって止まった。
ジギタリスが身を翻し間一髪、男に追いつき殴り飛ばしたのだ。
「エリーは俺の…女だっ。お前のほうこそ手を出すんじゃない!」
ジギタリスは仁王立ちで男に吠えた。
「ジーグ…」
エリスリナは身体を震わせながらジギタリスにしがみついた。その澄み渡った空のような瞳には涙が溢れていた。
「……へっ。ふざけるなよ、おっさん」
男はゆらりと立ち上がった。
「エリーはな、俺の求婚をすげなく断ったんだ。その時、なんて言ったと思う。『あなたなんか私を殺す度胸すらない意気地なしよ。ナイフでもなんでも持ってきてごらん。そうしたら付き合ってもいいわ』、だとよ」
「わ、私…そんなこと言ってない」
「確かに言ったんだ! だから、お望みどおり、ナイフで殺してやるのさ。そうすれば俺と付き合うんだろう? 俺の女になるんだろう? お前が言ったんだ、言ったことには責任取れやっ!」
男がナイフを構えて突進してくる。ジギタリスが拳を握った、その時。電撃が走った。
「ぐわっ!?」
電撃をくらったジギタリスは思わず跪いた。
「エリーっっっ! 死ねやぁぁぁー!」
男は今度こそナイフをエリスリナの胸に突き立てようと片腕を伸ばした!
「がっ…!?」
雷撃が光り男の身体を貫いた。男は吹き飛ぶ。全身に火傷を負って小さな煙が立ち昇る。気絶したらしくピクリとも動かない。
「……良かった、間に合って」
ハーデンベルギアの小さな身体が雨をかき分けるようにして現れた。
「ジーグ…!」
エリスリナはしびれて動けないジギタリスに抱きついた。
「ジーグ。ああ…ジーグっ」
エリスリナは言葉にならない。涙が溢れて止まらない。
「エリーさん、少し離れてください」
ハーデンベルギアはジギタリスに手をかざした。雷撃が手に光る。ほんの少しの雷撃がジギタリスの身体を走った。
「むう…」
ジギタリスはゆっくり両手を動かした。
「……しびれが取れた。済まないな、お嬢ちゃん」
「ジーグっ!」
エリスリナはジギタリスにしがみついた。
「エリー、無事で良かった」
ジギタリスはエリスリナの頭を撫でた。エリスリナは泣き崩れた。
「……エリーさんっ!」
リリアムたちが駆けつける。
「無事なのね、良かった〜」
「ハーディがやったのか」
アーケルは、雨に打たれながらまだ煙を上げている男を見やる。
「ハーディ〜、偉いわあ。ほんとに良い子」
リリアムはハーデンベルギアの頭を撫でた。ハーデンベルギアは照れたようにはにかんだ。
「みんなずぶ濡れだな。とりあえずどこかで着替えて暖まろうぜ」
ファーグスが言うのをきっかけにみんなが動き出した。倒れたままの男に注意を向けるものは誰もいなかった。だから男の手からナイフが動き出したことに誰も気が付かなかった。
男は気絶していなかったのだ。電撃を使ってナイフを弾き飛ばした。ナイフは一直線にエリスリナの胸に吸い込まれた。
「エリーっ!?」
エリスリナの胸に突き立ったナイフを見てジギタリスが叫んだ。
「……やったぞ! これでエリーは俺のモノだっ!」
男はムクリと立ち上がった。手摺りへと走る。
「ざまあみろ! 最後は俺の勝ちだぁぁ〜!」
男は手摺りを乗り越え身を投げ出した。慌ててアーケルとファーグスが駆け寄る。男は真っ逆さまに地上へと落下していった。地面に激突し頭が潰れたのが上から見ていてもわかった。
「エリーっ!」
「エリーさんっ!」
ぐったりしたエリスリナを抱きかかえ必死に声を掛けるジギタリスとリリアム。
「あたしのせいだ…あたしの…」
傍らで茫然と立ち尽くすハーデンベルギア。
「ダメっ! ジギタリスさん」
胸に広がる血を見てナイフを抜こうとしたジギタリスをリリアムは止めた。
「今ナイフを抜いたら血が吹き出しちゃう。出血多量になるかも」
「オレが病院に連れて行く」
アーケルが言う。
「俺も一緒に行く」
ジギタリスは必死な表情をアーケルに向けた。
「近くに病院がある。案内できる」
「リリー…」
エリスリナがか細い声を上げた。
「エリーさん、喋らないで。今病院に連れて行きます」
「公演…今日の公演」
「公演なんかどうでもいいだろう!」
ジギタリスは苛立った様子で言う。
「ダメ…よ…お客さん…待たせて…る」
「エリーさんはムリですよっ」
「だから…お願い…代わりに…リリーが舞台に…立って」
「えっ!?」
「あなた…なら…できる…お願…い」
力を使い果たしたように気を失うエリスリナ。
「急ぐぞ。ジギタリス、済まないがエリスリナを抱き上げる。悪く思うな」
「それは構わないが、走るのか?」
「翔ぶんだ。お前はオレの背中に乗れ」
「翔ぶ? よくわからんが背中に乗ればいいんだな」
アーケルはひょいとエリスリナを抱き上げた。ジギタリスの巨体を背中に乗せ小さく唱えた。
「翔」
アーケルは軽々と二人を連れ雨空の中を翔んでいった。
「……リリー。ハーディ」
ファーグスは雨に打たれたまま茫然とアーケルたちの消えた空を見つめる二人を抱き寄せた。
ふいにハーデンベルギアが声を上げて泣き出した。
「誰のせいでもない。これは誰のせいでもないんだ」
ハーデンベルギアの泣きじゃくる声だけが雨の中に溶けて消えていった。