敵の名は。
『リリー。……リリーはどこに行った?』
『姫さまなら、侍女のアベリアと森に遊びに行かれています』
『またか。魔力の修練もしないで、まったくあいつは…。帰ってきたら説教してやる』
『旦那さま。どうかお怒りにならずに。姫さまは日頃から修練に励んでおられます。たまには息抜きも大事かと』
『執事のお前がそうやって甘やかすから、リリーがつけ上がるのだ。何が何でも召喚士にさせるぞ。大召喚士になって○○を倒すのだ!』
『旦那さまっ!? お顔が…!』
ブラシカの顔が消えた。顔のあった辺りはただの煙と化した。いきなり煙が大きく広がった。煙はリリアムを飲み込もうと襲いかかる!
「……!」
リリアムはベッドから跳ね起きた。
「……夢か」
全身汗でぐっしょりだ。
「嫌な夢…」
リリアムはベッドから起き上がる。窓の外は薄暗い。夜明けにはまだ間がありそうだ。
「もう起きちゃおう。今日は初めての仕事の日だし。頑張らなきゃ」
リリアムは日々続けている魔力の修練を行うと、身支度をすませ宿屋の階下へ降りていった。そこには既にアーケルが待っていた。そして、もう一人。
「おはようございます、ゲウムさん」
「おはようございます」
昨日食堂でトサカ頭男に殴られた男、ゲウムだった。
「ゲウムさん、わたし護衛なんて初めてで、緊張します」
「いやいや、昨日のお二人のご活躍、大変心強いてすよ」
「そんな活躍だなんて、お恥ずかしいです」
―二人の活躍といっても、わたしはクビを突っ込んだだけで、ケンカを収めたのはアーケルだけど。
昨日の騒動を思い出して、密かに苦笑いするリリアム。ケンカの仲裁に飛び込んだはいいが、かえって騒ぎを大きくしただけだった。
それに比べて後からやってきたアーケルは、指を少し動かしただけで(しかも小指!)ゲウムを殴った男を気絶させ、騒動を終わらせた。
商人だと名乗ったゲウムは、助けてくれた二人に深く感謝し、お礼を含めた破格の費用を示して近接の町までの護衛を依頼してきたのだ。
手元の資金には困っていなかったが、お礼をしたいというゲウムの熱量と旅路でまた夕べのような輩に絡まれるのが心配だという訴えに負けて、引き受けしまった。
「ゲウムさんは何の商売をなさっているのですか?」
町へ向かう道すがらリリアムが尋ねる。
「肉の卸を手掛けています。このサラカ地方は良質の肉を多く生産していますから。買い付けが済んだので私の店に戻るのですよ」
商売人らしく愛想の良い受け答えである。殴られた頬はまだ腫れている。こんな穏やかな人がなぜケンカなどしたのだろうか。
「夕べのケンカは何が原因だったんですか」
「いや、些細なことなのですが。私の故郷をバカにされまして、ついカッとなって相手の悪口を言ってしまってあの騒ぎに」
「わかります。故郷をけなされるのは我慢できないですよね」
「しかし商人としては失格です。相手を怒らせてしまっては話になりませんから」
「そんなことないですよ。商人の前に一人の人間なんですから、怒って当然です」
「リリアムさんは強いだけでなくお優しい。その上お美しいときている。こんな冒険者は見たことありません」
「ゲウムさんはお口がお上手ですね〜。それほどでもありませんよ、ほほほ」
リリアムのまんざらでもなさそうな様子に、アーケルは白い視線を送る。
そんなアーケルをちらっと見たゲウムが如才無く話し掛ける。
「アーケルさんもとてもお美しい。さぞかし女性におもてになるのでしょう」
「さあな。考えたこともない」
だがアーケルの答えは素っ気ない。
(ヨーマ、もっと愛想よくしなさいよ。わたしたちパーティーの初めての仕事のクライアントなのよ。)
リリアムがアーケルに耳打ちする。が、アーケルは素知らぬ顔。
「はは…。すみません、ゲウムさん。ヨー…アーケルは根っからの無愛想なんですよ。気にしないでください」
「アーケルさんは慎み深いですな。お二人は私から見ても羨ましくなるほどとてもお似合いですよ」
などと他愛もない会話を続けながら旅路は進む。町までは2日の行程である。
幸い魔獣に襲われることもなく、日が暮れてきたので野宿することになった。
「食事は私がご用意いたしますので、お二人はおくつろぎください」
せっかくなのでゲウムの好意に甘えることにする。
ほどなく温かいスープが供される。
「美味しい! ゲウムさんお料理お上手なんですね」
リリアムが大げさに褒めちぎる。
「旅慣れているだけですよ―おや、アーケルさんのお口にはあいませんでしたか?」
アーケルはスープを一口含んだだけで手を止めていた。
「……いや、そんなことはない」
アーケルはそれ以上何も言わずスープを飲み干した。
温かい食事を済ませ、早目に眠ることにする。
一晩明けて。
「……リリー。起きろ、リリー」
「ん〜〜? もうお腹いっぱいで食べられないよ〜」
「何を寝ぼけている。しっかりしろ」
「へ…?」
アーケルの美しい顔がリリアムに覆い被さるようにして覗き込んでいる。
「ギャァァ〜っ! 何すんだ、この変態!」
一瞬で目が覚めたリリアムは、アーケルをボカボカ殴りつけると、素早く距離をとる。
「乙女の寝込みを襲おうなんて、大罪だぞっ。いっぺん死んでこい! この色情魔っ!」
「誰がお前なんか襲うか、オレにも選択する自由がある」
「はぁっ!? 襲いたくないほどわたしに魅力がないっていうのか、このクソが!」
「なんなんだお前は。まるで襲って欲しかったみたいだな」
「んなワケあるか! 襲ったら殺す! 襲わなくても殺す!」
「意味わからん…お前、時々口が悪くなるよな」
「知るかっ、ボケっ!」
「何でもいいが、いったん落ち着いて周りを見てみろ」
「何だと!? お前、誤魔化す気だな…ん?」
ふと周りを見回す。急速に冷静さが戻ってくる。
「もうあんなに日が高い。そんなに寝てたかな? ……あれ? そういえばゲウムさんがいない」
昨夜、火の番をしているといって一人起きていたゲウムの姿がない。
「どこへ…?」
「ゲウムはいない。荷物もな」
「荷物…あっ! わたしの鞄がない!?」
いつも肩にかけている鞄がなくなっていた。夕べ寝る時には確かに側に置いてあったが…。
「え? まさか…」
はたと重要なことに気が付く。あの中にはメダルを換金したかなりの額のお金が入っていた。
「持ち逃げされたな」
「え…ウソでしょ…そんな…えぇぇぇ〜〜っ!?」
「夜に食べたスープ。おそらく睡眠薬が入っていた」
「そんな…」
膝を抱えてがっくりとうなだれるリリアム。
「文字通りオレたちはいっぱい食わされた。初めからこれが狙いだったんだろうな」
「だって、ゲウムさん、旅が心配だって…困ってそうだったし、人助けだと思って護衛引き受けたのに…」
「護衛という話も今になって思えば怪しい。オレたちが金を持っていることを食堂で聞いたか、金目のものを持っていなくても騙しやすいとふんだか」
「……信じたわたしがバカだった」
「そうだな、お前は底抜けのバカだからな」
「わたしってダメね。……初めての仕事だったのに。ホントダメだ」
「リリー…?」
いつもの憎まれ口が返ってくると思っていたアーケルは、驚いてリリアムを見つめる。
「わたし、子どものころから何やっても失敗ばかり。お父さまによく叱られたっけ」
「……泣いているのか?」
アーケルはリリアムの隣に並ぶようにしてしゃがんだ。
「そう落ち込むな。金ならまたオレが魔獣を倒してやるから。沢山倒して盗られた以上に手に入れればいい」
「もしかして慰めてくれてる? 意外と優しいのね」
「別にそういうんじゃない」
「ごめんね、さっき色情魔なんて言って。―そうね、お金のこともショックだけど、それだけじゃなくて」
リリアムの蒼い瞳が濡れて光る。
「お父さまはわたしに後をついで欲しかったんでしょうね。召喚士になれって、ずっと言ってて。でもわたし、自信がなかった。勉強の成績は悪いし魔法も運動も苦手で、なんの取り柄もない子だったの。だからずっと逃げてて。召喚士の修練、子どもの時から受けなきゃいけないのに。それなのに―」
「……その話、オレが聞いていてもいいのか?」
アーケルは右手の中指にはめた紫水晶の指輪に触れた。
「えっ、どういう意味?」
「オレたち知り合ってまだ二日目だぞ。込み入った話を聞けるほどお互いのことを知ってはいない」
「いいのよ。わたしが話したいんだ。アーケルに聞いてもらいたいの」
「ならいいが」
「気遣ってくれてありがと。ホントにいい人ね。―でね、召喚士の修練、ほんとは小さい時から受けなきゃいけないのに、修練を受けずに済む言い訳のために女学校に入ったの。そうやって修練からもお父さまからも逃げてるうちに…お父さまは死んでしまった。殺されたの。3年前に」
「……誰にやられた?」
「召喚獣に」
「召喚獣?」
「詳しくはよくわからない。でも名前はわかってる―お父さまを殺した召喚獣は『渾沌』というの」
「渾沌…知らないな」
「正体がまったくわからない。どんな姿でどんな能力なのか、まったく」
「なのになぜ名前がわかる?」
「お父さまの日記に書いてあったから。―自分はいつか召喚獣の渾沌に殺されるって」
「……」
「だから、わたし召喚士になった。今度は逃げずにお父さまのような強い召喚士になって…どんな強い相手だろうと逃げずに立ち向かって、そして渾沌を必ず倒すって決めたんだ」
「リリーの旅の本当の目的は父上の敵討ちか」
「今のままじゃダメだって、自分が一番わかってる。でも、いつか必ず強くなってみせる。強くなって、必ず渾沌を…」
「だったら、こんなところでいつまでもしょぼくれてる場合じゃないな」
「え…」
「考えようによってはオレたちは運がいい。なにしろ生きている」
「どういうこと?」
「やつは毒を入れることもできた。でも選んだのは睡眠薬だった。おかげでオレたちは生きている。リリー、生きていれば何だってできる」
「アーケル…」
「失敗したっていい。その度に起き上がってやり直せばいい。それが人間の特性だろう? 文献に書いてあった」
「何よそれ? 文献って…変なの」
リリアムの口元がほころぶ。
「さあ、行こう。リリー」
アーケルは勢いよく立ち上がった。
「オレが手助けしてやる。一緒に渾沌を倒しにいこう」
リリアムの目の前に手が指し出された。紫色に包まれた眩いほどに輝く笑顔とともに。
………好き。
「…えっ!? わたし今なんて言った?」
「あ? 何も聞こえなかったが」
「あ、うん…えっと―何でもない。気にしないで」
慌ててリリアムは差し出された手を強く握り返し、立ち上がった。
―びっくりした〜。
旅立つ支度を始めたアーケルをちらっと見て、リリアムは密かに胸をなでおろす。
―何でわたし、あんなこと思ったんだろ?
心臓がまた跳ね上がり始めるのを感じながら思った。
―そうだよ。アーケルの言うようにまだわたしたち、知り合ったばっかりだもの。
アーケルのことは何も知らない。やたら強くて自信家で、すぐひとのことをバカにするが、そのくせとても優しい、という以外、何も。
『一緒に倒そう』
アーケルが言うと明日にでもできそうな気がしてくるから不思議だ。現状、何の手がかりもないというのに。
それでは、こんな情けない自分に、ともに歩いてくれる人が現れたのだ。
ついさっきまで沈み込んでいた心がきれいさっぱり晴れ渡っていた。今まで感じたことのない高揚感に包まれて。
―さあ、行こう。この人とともに。
リリアムは、力強く明日への一歩を踏み出した。