その男、妖魔につき
「ところで、お前の名前を確認していなかった。何という?」
「……リリアム」
「ではリリアム、早速行こうか。道案内しろ」
「……なんか腹立つぅ〜」
こうして、リリアムは自称妖魔・アーケルを従え(?)建物を出た。
さして進まないうちにふと振り返ると、神殿のような建物はすぐ見えなくなった。まるでそれは幻だったかのように。
しかし現実の出来事である証拠に、傍らには美しい悪魔が歩いている。
「これからどこへ向かう?」
悪魔…もとい、アーケルが言う。
「……町を探す。物資を補給しないと」
「人間が大勢いる場所なら分かるぞ。ここからそう遠くはない」
「えっ、そうなの?」
「オレは妖魔だからな。人間独特の生体エネルギーを感知できる。多数集まれば生体エネルギーも増幅するから感知し易い―と言っても、バカのリリアムには何のことか分からないか」
「いい加減怒るぞ、クソがっ。要するに離れた場所の人の気配が分かる、とかそういうことだろ?」
「魔獣も感知できるぞ。この森にも魔獣の生体エネルギーがうじゃうじゃ存在している」
「何楽しそうに言ってるの」
「―ほら、早速こっちへ近付いてくるやつが一体」
「えっ―」
アーケルが指差した先。バキバキと木々の折れる音が響いた。
魔獣の激しい息遣いもだんだん大きくなってくる。
そして、身がすくんで動けないリリアムの前に、森の木々をなぎ倒しながら巨大な姿が現れた。
「ベヒーモス!」
大きな二本の角をはやし、人を一噛みで砕く鋭い牙を剥き出しにして、敵意に満ちた暗赤色の目をリリアムに向けてくる。
「ウソでしょ!? 何でいきなりこんなのが出てくるのよ!」
魔獣ランクA。強敵である。そのあたりの冒険者パーティーでは苦戦必死。場合によっては犠牲者も覚悟しなければならない。
「……こんなところで負けてたまるかっ!」
リリアムはロッドを呼び出した。
「召喚! リングラビットっ」
召喚獣リングラビットが十数体湧き出し、ベヒーモスへ殺到する。
しかし。ベヒーモスは哀れなリングラビットたちをいとも簡単に次々と握りつぶしていく。彼我の戦闘力に差があり過ぎて闘いにならない。かすり傷一つつけることもできず、あっという間に全滅した。
ベヒーモスは間髪入れずリリアムに腕を伸ばす。
「アーケル! アーケルはどこ!?」
こういう時こそ、最強の力を示す時…と辺りを見回すも、どこにもいない。
「あいつ、逃げたな〜っ!」
やはりあの悪魔は口だけだったようだ。ベヒーモス相手なら逃げても仕方ないと思う反面、一瞬でも期待した自分が情けない。
ベヒーモスの巨大な爪がリリアムを襲う。
―やられる…!
思わず目を瞑る。
「ガッ…―!?」
激しい衝突音とベヒーモスの吠え声が交錯する。
恐る恐る目を開けると。リリアムの身体全体を覆う防御壁があった。
「防御魔法!? いったい誰が…あっ、アーケル!」
いつの間にかアーケルがベヒーモスの真横に立っていた。
アーケルは右腕を前に伸ばした。全身が淡い紫色に包まれる。そして静かに唱えた。
「爆」
世界が爆発した。
轟音が響き光と煙が入り混じる。そして。
「ほえええ〜〜〜」
鬱蒼と繁っていた深い森が、跡形もなく消滅していた。
リリアムとアーケルの立っている場所を除いて、恐ろしく巨大な何かが抉り取ったかのように、ただの荒地と化していた。
「簡単、簡単」
アーケルがリリアムを見て輝く笑顔を向ける。
「……あ、あなた…凄いのね」
リリアムの心臓が跳ね回っている。これは、アーケルの実力を目の当たりにしたからなのか、それとも破壊的な笑顔のせいなのだろうか…。
「だから言っただろう。オレは最強なんだって」
「……ま、まあまあってとこね。確かにあ、あなたの力を、み、認めてもいいよ」
―わたしの心臓、落ち着けっ!
「婚約者を守るのは当然の役割だしな」
「誰が婚約者だ、ボケがっ。森一つ消したくらいで最強とは言えないでしょーよ」
「オレもこの程度で証明できたとは思ってはいない。この先、もっとオレの力を見せてやるさ。にしてもリリアム…」
アーケルが紫色の瞳を煌かせる。
「弱いくせに魔獣を目の前にしても逃げなかったのは感心だ。敵わないとわかっていて敢えて立ち向かうその勇気。バカで無謀だが敬意を表しよう」
「……殴ってやろうかな。まあ、助けてくれたんだし今回は…って、アーケル。そんなに強いなら、最初からやっつけてくれれば良かったのに。どこに行ってたの」
「最初だからな。お前がどう動くか見てみたかった。だから透明魔法を使った」
「透明魔法?」
「ほら、この通り」
リリアムの目の前でアーケルの姿が消えた。と思ったらすぐ姿を現す。
「そんな魔法まで使えるの!? 初めて見た…」
あの凄まじい攻撃魔法に強力な防御魔法まで駆使できる上に、こんな見たこともない魔法まで使えるとは。
魔王でも見るような思いでアーケルに視線を送り、はたと気が付く。
―そもそもこいつは悪魔だったっけ。
こんな、いろいろな意味で危なそうなやつと契約を結んでしまって、本当に良かったのだろうか。
自身の将来と世界の未来に一抹の不安を覚えたその時、キラリと光るものを目の端が捉えた。
「あっ! あれは―」
リリアムは荒地に転がるそれに飛びついた。
「やったーっ!」
リリアムが歓喜に包まれる。
掲げた手には、遮るものがなくなった青空の下、金色のメダルが輝いていた。それにはベヒーモスの紋様が刻まれている。
「それは確か、魔獣を倒すと落とすと言われているメダルか?」
アーケルが物珍しそうに金メダルを見つめる。
「そうよ…って、あなた見たことないの?」
「オレの世界では魔獣は何も落とさない。この世界の魔獣とは違うのだろうな、文献で知ってはいたが」
「文献? ……とにかくこれで当分旅の資金には困らない…あっ! あっちにもある! こっちにも!」
荒地のあちらこちらに金・銀・銅のメダルが転がっていた。アーケルの魔法に巻き込まれて犠牲になった森の魔獣たちだろう。
「うっひょーっ! 大漁よ大漁! これで町へ行けばお腹いっぱいご飯が食べられる―」
グゥゥゥッ〜〜〜。
またしても盛大な音が鳴り響いた。
「ははは…」
顔を真っ赤にさせながらお腹を押さえるリリアム。
「……それじゃあ、町へ向かいますか。アーケル。場所わかるんでしょ、案内しなさいよ」
「何でお前が偉そうに指図するんだ。そのメダル、オレのおかげだろうが」
「わたしが逃げずに立ち向かったからこその収穫でしょーよ」
「それは違うだろう。リリアムは結局何もしていない」
「わたしと召喚契約したんでしょ。だったら召喚獣の成果は召喚士の成果よ」
「だから、オレは召喚獣ではない」
「はいはい、ヨーマとか言う召喚獣ね」
「だから、違うと言ってるだろう―」
土ぼこり舞う荒地を後にして、二人の騒々しくも賑やかな応酬が澄み切った青空に舞い散っていった。
ここに、大きな実力を秘めた小さなパーティーが誕生した。二人の前には、無限の可能性が広がっているように見えた。