復讐するは稀にあり
「母上の苦しみがお前ごときにわかってたまるか!」
ガレオラは身動きできないファーグスの腹を何度も蹴り上げた。ファーグスは苦痛に顔を歪めるが、うめき声一つ上げず耐える。
「母上は…母上は、お前たち父子に殺されたようなものなのだ」
ガレオラの母スミラシナは、北の有力国レスペデーザの王族の娘だった。パルナッシアとの同盟の証に当時王太子だったカランサと結婚したのだ。いわゆる政略結婚だった。
当初はカランサもスミラシナを愛しもうとしたらしい。しかし、スミラシナは独占欲の強い女だった。カランサの愛情がすべて己に注がれなければ気が済まなかった。カランサが侍女の一人にすら声を掛けることを嫌った。
やがてカランサはスミラシナの束縛から逃れるように町へ出掛けるようになった。そこで一人の女性と出会った。
その女性、クレオーメは心優しく聡明で美しかった。二人はたちまち恋に落ち、周囲の反対を押し切って王宮に引き上げた。身分が低いクレオーメは愛妾の地位しか認められなかったが、恨みごと一つ言わず己の境遇を受け入れた。
スミラシナは当然怒り狂った。自分以外の女を愛する夫を決して許さなかった。同時に夫の愛を強烈に欲した。憎しみながらカランサを愛した。
スミラシナの憎しみはクレオーメにも向いた。事あるごとに難癖をつけてイジメ抜いた。クレオーメは正妃であるスミラシナに決して逆らわなかった。何をされてもじっと耐えカランサに愚痴さえももらすことはなかった。
そしてクレオーメは妊娠した。正妃であるスミラシナよりも先に。それが悲劇の始まりだった。
クレオーメへの嫉妬や対抗心に燃えるスミラシナは、クレオーメが出産に向けて療養中なのをいいことに、毎晩のようにカランサに子種を求めた。
クレオーメが出産間近のころ、ついにスミラシナにも妊娠が判明した。スミラシナは狂喜した。これで忌々しい賤民の女に大きな顔をさせずにすむ。何しろこちらは正妃の子なのだから。
クレオーメは無事元気な男の子を生んだ。スミラシナへの義理は果たしたとばかりに、カランサはそれ以来クレオーメの元へ通い詰めた。
スミラシナも遅れて男の子を生んだ。正妃の男子である。二男であっても、正統な後継者であってしかるべきだ。王たる夫はこれで自分を認めざるを得ない…はずだった。
夫は自分の元へ戻ってはこなかった。子どもの顔もまるで仕事の一つとでも言うようにおざなりに見にくるだけだ。愛情のこもった言葉も何もない。カランサの自分への愛は失われたことを悟った。
すべてはあの女のせいだ。あの女は自分からすべてを奪っていく。
日増しにクレオーメへの憎しみが膨れ上っていき嫌がらせが激化した。食事の中にガラスの破片が入っているのは日常茶飯事で、時には子どもの服に針が仕込まれたことさえあった。
クレオーメは心労が重なり病に倒れた。誰もがスミラシナが毒殺を謀ったのではないかと疑った。その疑いはすぐに晴れたが、その頃にはスミラシナの侍女にすら敬遠されるようになっていた。皆の同情はクレオーメに集中した。
医師団の懸命の治療により、クレオーメの病状は一旦は快復した。しかし、体調はすぐれずむしろ日々衰えていくばかりでついにはベッドから起き上がれなくなってしまった。
医師団は手を尽くしたが病気の原因がわからず、ついにクレオーメの命の灯火は消えた。
誰からも愛されたクレオーメの死に王宮だけでなく国中が悲しみに沈んだ。死の原因はスミラシナではないかとの噂がたちまち広まった。
カランサは何も言わない。噂を打ち消すことも逆に非難めいたことも一切口にしない。しかし、スミラシナを見る目には愛情の一欠片も見い出せなかった。そこには、暗く冷え切った光があるだけだった。
スミラシナは孤立した。誰にも愛されず顧みられないスミラシナは世のすべてを呪った。カランサを、クレオーメを、クレオーメが生んだファーグスを。そして、この世で最も愛した人から愛を得られなかった自分自身さえも。
スミラシナは自害した。息子であるガレオラの目の前で。小刀を己の首にあて、呪いの言葉を吐きながら。
「……ガレオラよ、母はこれから死ぬ。よく見ておくのだ。母を殺したのはそなたの父である。母は決してあの女に敗けたのでない。お前がいる、ガレオラよ。あの女とカランサの間に生まれたファーグスめに決して玉座を渡してはならぬぞ。そなたこそ正統な王位継承者なのだ。よいな、決して忘れるでないぞ」
スミラシナの首から血が激しく吹き出した。その血はガレオラの顔にもかかった。ガレオラはスミラシナが血まみれになって倒れ事切れるその最後まで、母の言いつけどおり見守り続けた。その目に涙はなかった。狂おしく渦巻く憎悪の光しかなかった。
「それから十数年、私は耐え忍んできたのだ。母上の恨みを晴らすこの日のために」
「……スミラシナ王妃は病で死んだと聞いた。まさか自害だったなんて…」
「外聞を恐れたカランサが偽って病死と発表したのだ。つくづく見下げ果てた奴よ」
「ガレオラ。お前も苦しんだのだな」
「私を…この期に及んで私に同情するか」
ガレオラは再度ファーグスの腹を蹴った。
「そんなお為ごかしを聞きたいのではない。謝罪しろ。心の底から母上に謝罪するのだ」
「……」
「どうした? 謝罪すれば命だけは救けてやらんこともないぞ。手足は斬り落とすがな」
「謝罪など、望んではいないだろう。スミラシナ王妃も、お前も」
「何だと!?」
「父上は以前、俺に言ったことがある。スミラシナには恨まれて当然のことをした。もっと寄り添い、理解する努力をすべきだった。償っても償い切れない過ちを犯したがいつか自分にも天罰が下るだろう。その時まで、スミラシナを弔い続けるのが自分に課された責務であると…」
「黙れ黙れ黙れっ!」
ガレオラは我を忘れてファーグスの顔を殴りつけた。
「お前ら父子はどこまで私たちを馬鹿にすれば気が済むのだ。弔うだと? ふざけるな!」
ガレオラは腰に差していた剣を抜いた。
「もういい。お前の顔など二度と見たくない。少しずつ身体を斬り刻んで苦しめてから殺してやろうと思っていたが止めた。さっさと片付けてすべて終わりにしてやる」
ガレオラは剣を振り上げた。そしてファーグスの首目掛けて振り下ろそうとした、その時だった。
激しい爆発音が轟いた。
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リリアムたちは、最初にアーケルたちが隠れた物置の小部屋へ戻ってきていた。
「ファーグスが心配だわ。早く救けに行こう」
ハーデンベルギアから、スピラエと協力することになった経緯をかいつまんで聞いたリリアムが、開口一番言葉にしたのがそれだった。
「リリーならそう言うと思った」
ハーデンベルギアは莞爾として笑った。
「殿下は西の塔の最上階に囚われています」
「西の塔って、王宮の背後にそびえているあの高い塔のこと?」
「そうです。そして東の塔にはサリックス殿下も囚われています」
「サリックスさまも…」
ハーデンベルギアの顔が曇る。
「ガレオラの狙いはファーグスで間違いないが、サリックスの命も危ういと考えたほうがいい」
アーケルが言う。
「王位継承の競争相手を一気に片づけられる絶好の機会だからな」
「より危険なのはやっぱりファーグスだと思う。ファーグスを優先しよう」
「待って、リリー。ここは二手に別れようよ」
ハーデンベルギアが提案する。
「二手?」
「ファーグス救出組と、サリックスさま救出組に別れるの。幸いここには4人いるし、第一その方が効率的でしょ」
「それはとても良い考えだと思います」
スピラエが真っ先に賛成する。
「それじゃあ、スピラエさんはあたしと一緒にサリックスさま組に入ってください」
「承知しました」
「えっ! ちょ、ちょっと待って。それじゃ、ファーグス組はわたしと…」
リリアムは横目でアーケルをちらっと見た。
「じゃあそういうことで。リリー、ファーグスを頼んだよ」
「ま、待ってよ、ハーディ!」
リリアムはハーデンベルギアにしがみついて小声でささやく。
「ヨーマと二人きりにしないでよ。わかるでしょ?」
「あたし、よくわからない」
「意外と薄情ね。二人きりにされたら、どうしたらいいか困るでしょーよ」
「むしろ二人のほうが話しやすいと思うよ」
「えっ、何言ってるの…」
「時間ないから、あたし行くね。サリックスさまが心配だし。―ヨーマお兄さま、頑張ってよ。リリーをお願いします」
「ヨーマお兄…さま? な、何なの、それ。―あっ、待って! お願いだから行かないで、ハーディ〜!」
リリアムの哀願も虚しく、二人を残してハーデンベルギアはスピラエと共に闇の中へ消えていった。