その女、最弱につき
それは古びた神殿のような建物だった。
リリアムはすっかり疲れ切って、朦朧としながらその建物に入っていった。建物の奥へ進むと祭壇らしきものがある部屋へ辿り着いた。祭壇の前で倒れるように座り込む。
何日森を彷徨っただろう。どこか休める場所を探して探して、ようやく見つけた建物だった。飲食物はとっくに消費してしまって手元には何も残っていない。
「……なんで…こんなことに―」
それは分かり切っている。冒険者パーティーをクビになったからだ。
新米召喚士として参加したはいいが、最低ランクEの召喚獣・リングラビットしか召喚できないリリアムは、全く戦力にならなかった。魔獣との最初の戦闘で、パーティーのリーダーに見限られてしまったのだ。
「こんなはずじゃ、なかったのにな…」
3年である。14歳で始めて3年間、召喚士の辛くて苦しい修練を経てようやく得た召喚士ランクEの資格。これから目的に向かって進もうとした第一歩で挫折してしまった。
「わたし…才能ないのかな」
天を仰いだその時。
『……リリー』
リリアムの名を呼ぶ懐かしい声が聞こえた。
―お父さ…ま?
父・ブラシカの姿が見える。
―ごめんなさい、お父さま。約束…果たせそうにない。
『お嬢さま! リリーお嬢さまぁ〜』
今度は親友のアベリアが手を振っている。
―これってもしかして、走馬灯ってやつかしら。
「死ぬのかな、わたし…」
涙が一つ、頬を伝う。
グゥ〜〜〜。
盛大に音が響いた。
17歳の身体は強硬に生きることを要求している。実際、朝から何も食べていない。
「せっかく人が感傷に浸ろうとしてたのに」
まったくムードぶち壊しである。
「もう! 何よ! わたしは召喚士なんだからっ! 召喚獣を召喚してナンボなんだからっ!」
リリアムの声が虚しく散っていく。
「ええいっ! もうヤケクソよ! こうなったら、魔王でも悪魔でも何でもいい! わたしの召喚に応えなさいっ!」
………。
やはり何も応えるものはいない。
「……」
がっくり肩を落とした、その時だった。
祭壇が光だしたと思うとみるみるその光が大きくなっていく。一瞬、空間が歪んだように見えたが、光のあまりの眩しさに思わず目を瞑る。すると唐突に光が収束していく。
リリアムはそっと目を開いた。その目に映ったのは。
「なっ…!?」
人が立っていた。
長身の若い男。見慣れない服装と紫の髪をしている。髪と同じ色をした瞳がじっとリリアムを見つめている。
あまりの美しさに一瞬見惚れたリリアム。が、しかし。疲労も忘れて飛び起きた。
「な、な、な、なにっ!? あなた誰!? どこから来たの!? どうしてここに―」
「待て待て待て」
男が手でリリアムをとどめるしぐさをする。その姿もまたサマになっている。
「一度にいくつも質問するな。お前はバカか?」
「バ…バカですって!?」
「オレの名はアーケル。お前の召喚の声が聞こえたんでな、応えて来てやったんだ。有り難く思え」
「召喚…」
「何をポカンとしている。やはりお前はバカだな」
「ちょっと、さっきから人のことバカバカ言って失礼な! あなたとは初対面なんですけどっ」
「ふん。怒る元気はまだあるというわけか」
「キーッ! 何その人のこと見下した顔! 何様のつもり!?」
「オレか、オレ様は妖魔だ。当代最強の、な」
「当代最強? すごい自信ね。言うほど強そうには見えないけど。…ん? ヨーマ? ヨーマって何…あっ! ちょっと待って」
アーケルと名乗った男の冷たい視線を感じて、慌てて考える。
ヨーマとは何だろう。17年の人生で一度も聞いたことがない。でも知らないと言ったらまたバカにされるのは必定だ。
―そういえば、こいつ、最初に何て言ってたっけ…。
やたら顔はいいが性格は悪そうな男を睨みつけたリリアム。必死に思い出す。
「……さっき召喚に応えたって言ったよね。じゃあ、あなた、召喚獣ってこと?」
「いや…オレは召喚獣ではない」
アーケルは、ふっと視線を外した。右手の中指にはめた紫水晶の指輪を触る。
「オレは人間に強い興味を持っている。人間のことをずっと知りたいと思っていた。そこへ偶然お前の召喚の声が聞こえた。だからここへ来たまでだ」
「何だかまだよく分からないけど…召喚に応えたってことはわたしに力を貸してくれるってことでいいのね?」
「そうだな」
アーケルはまたリリアムに視線を戻した。今度は紫色の瞳を煌めかせて。
「お前と召喚契約をしてやろう。お前の求めに応じて助けてやる。その代わり、お前の望みがかなったら、オレと結婚しろ」
「な、なん…!?」
リリアムの燃えるような赤い髪に劣らないほど、その両頬が染め上がる。
「け、結婚!? バカはお前のほうだっ! 100回死んでこい! なんでお前と結婚しなくちゃいけないんだ、クソがっ。第一、召喚契約ってのは召喚獣が召喚に応じて召喚士を助けるものだろうが」
「そんな決まりは知らん。オレはそもそも召喚獣ではないからな。そのオレが召喚に応じるんだ、対価を求めて当然だ」
「絶対にイヤだっ」
「そんなこと、言ってる場合なのか?」
「えっ…」
「お前、なぜ今ここに一人でいる?」
「そ、それは…」
「冒険者パーティーとやらをクビになったからだろう」
「なっ!? 何でそれを…」
頭に上った血が急速に下がる。
「召喚前からお前の声は聞こえていた。初めて入ったパーティーで、まったく戦力にならなかったそうじゃないか」
「うぐぐぐぅ〜」
まさか独白を聞かれていたとは。朦朧としていたとはいえ、一生の不覚。恥ずかしいやら悔しいやらで二の句が継げない。
「仮にオレとの契約を拒否したとして、今のお前に何の展望がある? ついさっきまで弱音を吐きながらそこへうずくまっていたではないか」
―悪魔だ。こいつは悪魔に違いない。
今更ながら悔やまれる。確かに破れかぶれで魔王でも悪魔でも召喚に応えろとは言った。言ったが、まさか本当に悪魔が召喚されるとは。
しかし、悪魔の言うとおり今のリリアムには何の力もない。このまま目的を諦めるのか、それとも目的のために魂を悪魔に売るのか…。
「決めるのはお前だ。別にオレはお前と契約しなくてもいいのだからな。そうなったらなったで、他の人間を探すまでだ」
「……あなたさっき、当代最強って言ったよね」
リリアムは喉の奥から絞り出すように言う。
「口でなら何とでも言える。証明して見せなさいよ。本当に最強なら…」
「……」
「もし本当に最強なら契約…するわよ」
「声が小さい。もう一度言え」
グギギギィィ〜。
リリアムは、彫像のように整ったアーケルの顔を睨みつけながら奥歯を噛み締めた。
「あなたが、最・強、なら契約するって言ったのよ!」
「よし、キマリだ」
アーケルの笑顔がはじけた。眩い光を放って。
―き、綺麗…。
リリアムは瞬時目を奪われる。が、慌てて頭を振った。
―ダメよリリー。騙されちゃダメ。こいつは悪魔…こいつは悪魔…。