嵐の前の群像劇
祝典4日前。
リリアムたちは、ハーデンベルギアの誕生日祝いのプレゼントを探すため、王都の貴金属店を巡った。
ファーグスは父である国王に挨拶にいってくると言って同行しなかった。王宮に戻るのは一か月ぶりらしい。
例のごとくリリアム一人が大騒ぎしながら三軒目でようやくお気に入りを見つけた。それは淡い紅色のペンダントだった。
首元につけ静かに佇むその姿は、まるでどこかの貴族の姫君のようだった。リリアムはご満悦な様子でハーデンベルギアを眺めてはため息を連発した。
ジムナスター亭では、ご馳走の山が待っていた。『歌姫降臨』以来リリアムのファンとなったジムナスター亭は、祝祭の準備があるにも関わらずリリアムの頼みを快く引き受けてくれた。
ジムナスター亭店主夫婦の娘であるセリッサとはすっかり仲良くなって、馴染客も飛び入り参加してハーデンベルギアの誕生日祝いは大いに盛り上がった。
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「父上、長く拝謁もせず申し訳もございません」
「ファーグスか。しばらく姿を見せなかったが、また町に入り浸っておったか」
ファーグスが頭を下げている相手は、パルナッシアの支配者、カランサ王である。この年45歳。大国パルナッシアを率いて30年、国を富ませ他国に付け入る隙を与えず安定した政治を行っていた。後世の評価はこの時代の名君の一人と称えている。
「どうにも町の連中といると楽しくて、つい時を過ごしてしまいます」
「正直なことよ。そちは幼きころから王宮におるより町に出ること、ことのほか好んでおった。母の血かの」
「恐れながら、父上の血かと。お若きころから町へお忍びされたる由、亡き母からよくお聞きしていました」
「クレオーメがそのようなことを」
「学業を投げ出し町へお忍びに参られたからこそ、父上にお会いできた、と笑っておいででした」
「学業を投げ出すとは余計だ」
「恐縮至極」
「口ほど恐縮してもおらぬであろう」
「父上には敵いません」
「よいよい、そちの良いところだと申しておるのだ。その分では、4日後の立太子の儀も気にはしておらんのだろうな」
「その件については以前も申し上げたとおり、ご辞退いたします」
「欲のないことだ。大国の玉座はファーグスにとっては価値がないか」
「滅相もございません。私には分不相応。とても担えるものではないと存じ上げます」
「もう言うまい。これ以上言及してもしつこいと嫌われて王宮に寄り付かなくなってしまうからな」
「お戯れを」
「せっかく顔を出したのだ。今宵は酒の相手をせよ。町の様子などを聞かせてくれ」
ファーグスは更に父王と2、3言葉を交わすと適当な理由をつけて早々に退出した。
「王宮は肩が凝るなあ。父上と話すのは嫌じゃないんだが」
独りごちて普段あまり使わない自室へ戻ろうとした時だった。
「ファーグス兄上!」
「おう、サリックスじゃねえか」
父王の前とは一変して、いつものファーグスに戻る。彼に声をかけてきたのは第三王子サリックスだった。現在の王妃の実子でもある。
「兄上、戻っておられたのですね」
「たまには父上にご挨拶しておかないと忘れられちまうからよ」
「そんなことあり得ませんよ。僕がご挨拶に伺っても二言目にはファーグス兄上のお話をされています」
「お前がマメに父上の相手をしてくれるから助かるよ」
「でも本当は兄上とお話しなさりたいんだと思いますよ。僕だって兄上とあまり会えないので寂しいです」
「お前だけだよ、ここでそんなこと言ってくれるのは」
「兄上を尊敬していますから」
サリックスは花のような笑顔を咲かせた。
「せっかくお会いできたのですから、今夜は僕とお話ししましょうよ」
「悪ぃ、父上の酒の相手を命じられてるんだ」
「それは残念です…」
笑顔が一転、落胆に変わる。
「……じゃあ、明日はお前の話相手になるよ」
「本当ですか!?」
落胆が一転、笑顔に変わる。
「可愛い弟に俺がウソ言ったことあるか?」
ファーグスはサリックスの頭を撫でながら言う。
「いいえ! 一度もありません」
―そっか。あいつ、サリックスに似てるんだ。
なぜ一目見て気に入ったのか今になってわかった。ころころと表情が変わるところが同じなのだ。純粋で真っ直ぐで誰もがこの人のためならと思わせてしまうところが同じなのだ。
だから好きになった。リリアムを。
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祝典3日前。
リリアムたちはランタナの庵を訪れた。おしゃべりもそうだが祝祭にランタナを誘うためだった。
ランタナはリリアムの心遣いに感謝しながら頑なに諾おうとしなかった。人嫌いは本当らしい。
無理強いもできないので楽しくおしゃべりに興じて過ごした。ランタナはクッキーとイチゴケーキを用意していた。前回、クッキーが好きだとハーデンベルギアが言ったからだ。スピラエのところで出されたクッキーが忘れられないらしい。イチゴケーキは無論、リリアムのためである。
ランタナがクッキーとイチゴケーキを買い求めているところを想像するのは、なかなかに微笑ましい。クッキーはさすがにスピラエのと同じものとはいかないが、十分にハーデンベルギアの嗜好を満足させるものだった。
ランタナへのお土産はフレーバーティーだった。特にアップルが好みだというので、昨日ハーデンベルギアの誕生日祝いを探すついでに選んでいた。アーケルには特に何も用意されていなかった。単にリリアムですらアーケルの好みを知らなかったからだが、聞かれても素っ気なく「特にない」というので、時折女子たちのお茶の肴にされながらひたすらアップルティーを飲んでいた。
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「シリンガよ。今日はファーグスが見えんな。また町へ行ったのか?」
カランサ王の執務室である。午前の仕事が一段落し、宰相のシリンガと休憩しているところだった。
「いえ、本日はサリックス殿下とお過ごしになられているようです」
「そうか」
「お寂しいことですな」
「バカを言え。私が寂しいなどと…」
横を向いてしまったカランサにシリンガは柔らかな視線を向けた。
「やはり立太子の件、ファーグス殿下は翻意なさいませんでしたか」
「あれは私がどうこうできる男ではない」
「陛下は名君と呼ばれるに足る偉大な王と存じますが、家庭人としては失格者ですからな」
「相変らず辛辣な男だな」
「直言こそ我が使命と心得ております」
「お前のような臣下がいてくれることこそ、我が宝である」
「勿体無きお言葉」
「……シリンガ。今だけ昔の友に戻って話さないか?」
「陛下…」
「昨日、ファーグスと町へのお忍びなどという話をしたせいか、あの頃のことが妙に思い出されて仕方ないのだ」
「……カランサさまとはよく町へ遊びに行きましたね」
「ああ。王室雇いの教授の話なんかより、町で民と触れ合ったほうがよっぽど面白かったからな」
「ですね。中でもあのジムナスター亭という居酒屋。民と酌み交わす酒は格別でした」
「よく言う。お前など一杯で酔いつぶれてしまったではないか」
「それは13か14のころのことでしょう。カランサさまが即位される前でしたから。カランサさまとクレオーメさまが出会われたころには二杯は飲めるようになっていましたよ」
「一杯も二杯もたいして違わん」
「その点カランサさまは酒だけはお強かった」
「だけとは失礼なやつだな」
「クレオーメさまはカランサさまの酒の相手をよくしてくださっていましたなあ」
「あいつも酒は強かったからな」
「懐かしいです」
「クレオーメにはいろいろなことを学んだ」
「クレオーメさまは文字通り才色兼備のお方。ご性格も慎ましやかで慈愛に溢れておられました。今ご健在であればと、何度思ったかしれません」
「私が不甲斐ないばかりに、可哀想なことをした」
「スミラシナ前王妃さまがクレオーメさまの十分の一でも優しさをお持ちであれば…」
「それはもう言うな、シリンガ」
「これは出過ぎたことを申しました。お許しください」
「よい。元をただせば妃の想いを受け止め切れなかった私の至らなさ故だ。クレオーメを死なせたのも、な」
「カランサさま、そうご自分をお責めになりますな」
「クレオーメが生きていれば、か…」
それ以上カランサは言葉にすることはなかった。
その胸に去来するのは若き日の追憶であったろうか、それとも未来の行く末であったか。誰も知るものはいなかった。