下町のディーヴァ
「……あはは。な、何でもないんです。お騒がせしてすみません」
リリアムが頭を下げると皆それぞれ談笑に戻った。
「ああ、びっくりした…」
リリアムは胸をなでおろす。
「びっくりしたのはこっちのほうだ。人の耳元で大きな声を出すな」
アーケルが手で耳を塞いでいた。
「……ファーグスって、ただの山猿じゃなかったんだ」
「それは山猿に失礼だ」
「ヨーマも言うよね〜」
「……冗談はともかく、リリーのことを変わった姫と言っていたが、ファーグスも立派に変わった王子だ」
「だよねえ。あの態度、口のきき方、どう考えても気さくをブチ超えてるでしょーよ」
リリアムはまたアーケルの表情を伺う。いつものアーケルとまったく同じだ。なんの動揺も感じられない。
「……ねえ、アーケル。わたしがお姫さまだって聞いてびっくりした? 引いたりしてない?」
「別に、特には。大召喚士ブラシカが貴族だというのは文献にも書いてある。だから初めから知っていた」
「そっか。そうだったんだ」
道理で無反応なワケだ。少しホッとしたような、残念なような複雑な気分だった。
「それに…」
「え…」
「お姫さまだろうがなんだろうが、リリーはリリーだろう。特別変わったことは何もない」
「……!」
ステージで演奏が始まった。軽快な音色に合わせて手拍子が沸き起こる。次第に興に乗って即興で踊り始めるものが出る。すると、次々と皆踊り出し輪が広がっていく。その輪にファーグスがすぐ取り込まれていった。
―この人は、わたしのことをありのまま見てくれている。
何の先入観もなく。自然に。
リリアムは胸が暖かくなっていくのを感じた。
踊りの輪にいたファーグスがリリアムを誘いにきた。リリアムは何度か首を横に振ったが、ハーデンベルギアまでが手拍子で促したので苦笑いを浮かべながら輪に入る。
リリアムは瞬く間に溶け込み、楽しそうにみんなと踊り回った。 一曲が終り、歓声が上った。
「ああ〜、楽しかった〜」
息をはずませ席へ戻ってきたリリアムは少し気の抜けたビールを飲み干した。
「リリー、やるね~」
ファーグスもテーブルに戻りひと息つく。
「随分ノリが良かったな。初めてじゃないだろ?」
「故郷にいた時も、こんな雰囲気大好きだったんだ」
目を輝かせ思い出を呼び起こす。
〜
『さあ、みんな! 今夜も楽しもう!』
リリアムはジョッキを片手に高々と掲げた。カリステファス城下の居酒屋である。
『リリアムさま、私たちと踊りましょうよ』
早速町娘がリリアムを誘う。領民たちはリリアムが姫君と呼ばれるのを嫌うことを知っているので、みな名前呼びである。
軽快な音楽に合わせてリリアムは踊り回った。純粋に楽しかった。領民たちと過ごす時間は何よりも開放的で刺激的で魅惑的だった。
時間が止まったような古臭くてカビ臭い城の中にいるより、よっぽど生きていると実感できた。
『リリーお嬢さま。あまりお過ごしになりますとまた旦那さまに叱られます』
踊り疲れてテーブルに戻ると、侍女のアベリアがしかめっ面で迎える。
『執事みたいなこと言わないでよ、アビ』
『でも、結局私も執事さまに叱られるんですよ。お説教食らうのは嫌です』
『だったら、黙ってればいいじゃない。あんなジジイにわかりゃしないよ』
『リリーお嬢さまっ、またお口が悪くなっています』
慌てたように手を振るアベリア。それをリリアムは微笑ましく見つめる。小さいころから一緒に過ごしてきた同い年の侍女であり親友である。真面目な性格も実は踊りや歌が好きなことも知り尽くしている。
『一休みしたら、アビも一緒に踊ろうよ』
『えっ…わ、私はダメです。リリーお嬢さまのハメ外しを抑えるのが役目ですから』
『そんなの一旦忘れちゃいなよ。せっかくここに来たんだから、アビだって楽しみたいでしょーよ』
『ダ、ダメですったら。―あっ! リリーお嬢さまっ、腕を引っ張らないで』
リリアムは無理やりアベリアを踊りの輪に連れていった。困った顔をしていたアベリアもすぐに歓喜の表情に変わった。
カリステファスの夜は陽気に更けていった。
〜
「城にいるより城下に出てみんなと過ごしているほうが多かったな。こういうお店に入れば同じようにお酒飲んで歌って踊ってさ」
リリアムは懐かしそうに言う。
「お前何歳だよ。もしかしてガキのころから飲んでたのか?」
「お酒は13からだよ。それまでは歌と踊りだけ。それでもみんな喜んでくれたし」
「13でも十分ガキだぜ。こいつぁたまげたな。俺の想像以上の傑物だ」
ステージでは客による飛び入り参加の歌が始まっていた。一曲終るごとにやんやの喝采が起こる。
「リリーもどうだい、一曲歌ってきちゃ」
「わたしはいいよ。他のみんなを優先してあげて」
「あたし、リリーの歌聞きたい!」
「ほら、嬢ちゃんもこう言ってるし」
「う〜ん、でもあんまり出しゃばりたくない…」
「おい、みんな! 聞いてくれ」
煮え切らないリリアムを見てファーグスはさっと立ち上がった。
「俺の客人が歌を披露してくれるそうだ。すまねえが拍手で迎えてやっちゃくんねえか」
ファーグスの呼び掛けに客たちが一斉に拍手で応える。ファーグスはリリアムに片目を瞑ってステージへ促す。
リリアムはファーグスをちょっと睨んでから、客たちに笑顔で応えながらステージに立つ。
一呼吸置いて、静かに歌い始める。伸びやかな歌声が広がった。一瞬で店内が静まり返った。
遠く離れた恋人を想う愛の唄だった。聴いているもの皆、ここが店の中であることを忘れて唄の世界に引き込まれた。誰もが唄の主人公になりきり時に笑い時に涙した。
否。三人を除いて。ファーグス、アーケル、そして人々の影に隠れるようにしてこの場を眺めている目付きの鋭い男。
サビに入った。演奏隊が伴奏を始める。絶頂を迎え、恋人の愛を確かめた主人公は歓喜の中大団円へと至り、物語は静かに終わった。
水を打ったような静寂。誰も身動き一つしない。永遠に時が止まったのかと思われた次の瞬間。
大歓声が巻き起こった。
リリアムを称賛する声は止まず拍手や口笛も引きも切らない。ハーデンベルギアが涙を流しながらリリアムに駆け寄った。リリアムは満面の笑顔でハーデンベルギアを抱き上げ頬を寄せた。
つられたように皆リリアムに殺到し取り囲んだ。 人々の動きに紛れて影も動いた。音も立てずファーグスに近付く。その手には小型のナイフが握られている。ステージを見つめるファーグスの心臓にナイフが突き立てられる!
が、ファーグスは軽やかに身を翻し男の手首を捻った。みぞおちに肘打ちする。男は崩折れた。ファーグスは空いたテーブルの席に気絶した男を座らせた。一連の動きにまったく無駄がなかった。まるで華麗な踊りを舞っているようだった。
何事もなかったようにリリアムに集まる人々に目を向けようとして、アーケルの視線と合った。
ファーグスは一瞬笑みを浮かべるとすぐ視線をはずし、拍手をしながらリリアムの輪の中に飛び込んだ。
「ブラボー! みんな、今夜は記念すべき日だぜ、パルナスに歌姫が降臨したぞ!」