糸口
「お気に入りのものは見つかりましたか」
「はい。本当にあんな高価なものをいただいていいのか気が引けますが」
豪華な夕餉の席である。二十人テーブルほとんどを埋め尽くす料理の数々。
客にはいつもこんな食事を出しているのか知らないが、豪商ぶりがうかがえる。
ハーデンベルギアはテーブルを見ただけで目を回しそうになるし、アーケルは感想らしい感想は一切口にせず、つまらなそうな顔で黙々と料理を消化しているのみである。
必然的に会話はリリアムとスピラエの間だけで進み、これまた必然的にスピラエの商売の話になった。
「なに、あれぐらいはそうでもありません。実は値の張るレア品は別の倉庫に納めていますので」
―へえ。そりゃそうか。でもあのバレッタだって、相当な高級品だけど。
リリアムは、普段のがっついた食事ぶりがウソのように清楚な佇まいで料理に向き合っている。スピラエはそんなリリアムを相変わらず興味深そうに観察している。
「装飾品だけではなく、ほかにもインテリアや食材など幅広く取り引きさせていただいています。時にはお客様たってのご注文で特注品を扱うこともございます。その材料が特定の国にしかない場合もあって、直接私が赴くことも多いですね」
「それで、旅がちなのですね」
「ええ。最近は魔獣が人里に現れることも珍しくなくなりました。中には村一つ全滅、などという話も時折耳にいたします」
「冒険者パーティーとしては歯がゆい思いです」
「―ところでリリアムさま、失礼を承知でお尋ねいたしますが」
「なんでしょう」
「リリアムさまはご身分の高い家柄のご出身なのではありませんか」
「えっ…そんなこと…ありませんよ。しがない庶民の家の出ですから」
「いや、これは大変失礼しました。こう見えて私は貴族や王家の方々と交流させていただくことが多いもので、リリアムさまのご様子をうかがってもしやと思ったものですから」
「ははは。買いかぶりですよ」
―王家と交流があるだと〜。この男、意外と油断ならんな。
リリアムは内心気を引き締めた。
「魔獣の話でしたな。最近の魔獣は単体だけではなく、組織だった動きをみせるようになったといいます。そう、3年くらい前から」
「3年前…」
「ええ。そのころからある魔獣の名前を耳にすることが多くなりました。その魔獣の名は『渾沌』」
「渾沌!?」
それは父ブラシカを殺した仇敵。リリアムの旅の目的。リリアムの形相が変わった。
「渾沌を知ってるのか? どんな奴だっ? どこにいるっ?」
急に立ち上がった拍子に飲み物のグラスが床に落ちて派手に割れた。
「リリアムさま…?」
「教えろ! 渾沌はどこにいる? 渾沌は…!」
「リリー、落ち着けっ!」
アーケルがリリアムの肩を掴んだ。
「……!」
アーケルとしばし睨み合う。が、すぐに魂が抜けたようにふらふらと席に座る。
「―申し訳ありません、スピラエさん。お見苦しいところを。つい興奮してしまって」
力なく謝罪する。
「いえ、私のことは構わずに。私のほうこそ不用意なお話をしてしまって申し訳ありません」
「スピラエさんは全く悪くありません。わたしが未熟なんです。―失礼して休ませていただいてもよろしいでしょうか」
「どうぞ。ご遠慮なさらずに」
「……リリー」
ハーデンベルギアが立ち上がったリリーの手を握りしめた。まるで小さなハーデンベルギアがリリアムを支えるかのように。
アーケルもスピラエに一礼すると二人の後を追った。
部屋へ戻るとリリアムはベッドに崩れ落ちた。
「わたしって、ホントにダメだな」
「リリー、元気出して」
ハーデンベルギアがリリアムに寄り添う。
「ありがとう。心配かけてごめんね」
「済まなかった、リリー」
「どうしてヨーマが謝るの。わたしがダメなだけだよ」
「今夜はもう休んだほうがいい。また明日話そう」
「そうね…そうする」
「あたし、今夜はリリーと一緒に寝る」
「……優しい子ね」
リリアムはハーディを抱き締めた。
「ヨーマ。……ありがとう」
部屋を出ようとしたアーケルの背中にリリアムが声をかけた。アーケルは一瞬動きを止めたが、何も言わずに出ていった。
その夜。
『……お父さまぁ』
なきべそをかきながら、リリアムは父ブラシカの部屋へ入った。およそ4、5歳くらいだろうか。それをリリアムは空中から見ている。これは夢だという自覚もあった。
『お父さま、一緒におねんねして』
怖い夢を見たのだ。魔獣に殺される夢。それも何度も。魔獣に殺されると夢から覚める。夢だったのだと安心すると、また魔獣が現れ殺される。そして夢から覚める…という無限のループだった。
『……渾沌がいる限り…大召喚士は…』
ブラシカは誰かと話していた。
『お父さま…?』
『リリーか』
『どなたとお話ししてたの?』
『……いや、ここには誰もいないよ』
『……?』
『きっと、独り言がいつの間にか大きくなったのだろう』
なんだ。独り言だったんだ。
リリアムはブラシカに抱きついた。
『お父さま。怖い夢を見たの。一緒におねんねして』
『リリーは甘えん坊だな。可愛い可愛い私の娘』
ブラシカは微笑んだ。微笑んだ顔が次第に歪んでいく。黒い渦となり魔獣に変わった。
『食べたいほど可愛い私のムスメ!』
魔獣はリリアムを丸呑みした。魔獣に殺される無限ループ。
「……!」
目が覚めた。一瞬これも夢の続きかと錯覚した。でも。
「わたしは…リリアム。冒険者パーティーのリリアム」
自分は自分自身だというしっかりとした実感がある。豪商のスピラエに招かれて一晩休んだ。隣では静かに寝息を立てながらハーデンベルギアが寝ている。記憶も確かだ。今度こそ現実世界。
「……最悪」
リリアムはハーデンベルギアを起こさないようにそっとベッドを抜け出した。大人二人が余裕で並べる洗面台で顔を洗う。
「ヒドイ顔…」
鏡を見てぽつりとつぶやいた。
いつもの魔力の修練を終える頃にはメンバーが順々に起きてきた。三人連れ立って例の広い客間へ向かうとスピラエが既に待っていた。
「……夕べは大変失礼しました」
リリアムはスピラエに平謝りだった。
「そんな気になさらずに」
「せっかく心尽くしのお食事をご用意していただいたのに、途中で退席しまうなんて本当に申し訳ありません」
「お客様にそう恐縮されては、私としても心苦しい。―ではこうしましょう。私はリリアムさまにとって有意義であろう情報を一つ提供できます。その代わり、次の私の旅には護衛として参加いただきたい。いわゆるギブアンドテイクです。これならリリアムさまもご納得いただけるのでは?」
「ありがとうございます。有り難くお受けいたします」
「では商談成立ということで。さあ、朝食にいたしましょう」
朝食は夕べと比較すれば品数がかなり絞り込まれていたが、その分一つひとつに高級素材が使用されていた。
当たり障りのない会話で食事は和やかに進み、食後のお茶を味わっていると、執事がすっと近付いてきてスピラエに耳打ちした。
「……そうか。わかった。―リリアムさま、どうやら先程の商談、早速実現しましたよ」
「商談…ですか」
「王都から緊急の呼び出しがありました。これから私は出掛けなければなりません。王都までの護衛をお願いしたい」
「それはもちろん。―ということは」
「リリアムさまにとって有意義な情報をご提供します。いいですか、どうか落ち着いてお聞きください。―渾沌のことです」
「……はい。わたしは大丈夫です」
「私は渾沌については旅の途上で伝聞として聞いただけなので、詳しくは知りません。しかし、渾沌のことを知っている人物を紹介できます」
「えっ…!」
一瞬動揺しかけるが、アーケルとハーデンベルギアの心配そうな視線を感じ、自分を取り戻した。
「……大丈夫。大丈夫よ」
二人にうなづいてみせる。
「スピラエさん、その方はどちらにいらっしゃるのですか。是非お会いしたい」
「そう、おっしゃると思いました。幸いといいますか、その人物はこれから私たちが向かう王都の近郊にある山中に隠棲しておられます。その方の名は―ランタナ。剣聖・ランタナさまです」
聞いたとたん、リリアムはまた席を飛び上がりそうになった。
それは、父ブラシカの冒険者パーティーメンバーの名前だったからである。