慶兆
「なんと…! そうか、お前もとうとう決断したのだな」
「はい、父上」
「先日、三人で飲み明かした際は、頑として恋人であることを認めなかったお前が…そうかそうか。これはめでたい。私は一度に二人も娘を得ることになるのだな」
「―陛下」
ブレティラは少し前ににじり出た。
「未熟者にございますが、どうかお導きくださいませ」
「ブレティラ姫よ。こちらこそファーグスのことを頼む。こやつは、私にも制御できぬ荒馬ゆえ、しっかりと手綱を握って鼻面を押さえてやれ。ぐぅの音も出ぬようにな」
「はい! 馬の扱いには自信がございます。しっかり私が調教いたします」
「おいおい、二人とも俺を何だと思ってるんだ。せめて人間扱いしてくれよ」
つい地が出て泣き言を言うファーグス。再び一同に笑声が上がった。
「……では、そなたたちの結婚についても、披露しなくてはならんな」
「父上。そのことですが、今回は父上へのご報告までに留めておきたいのです」
「……なせだ?」
「あくまで今回の主役はサリックスとハーデンベルギア姫ですので。私たちは機会を見計らって後日ということで結構です」
「私からもお願いいたします」
ブレティラは頭を下げた。
「王太子さまのご婚約となれば、国家の重大事。そのような重要な儀式に割り込むような真似はしたくありません」
「ブレティラ姫がそう申すのであれば、無理にとは言わぬが。本当にそれで良いのか?」
「はい、陛下。私はファーグス殿下のお側にいられれば、それだけで充分でございます」
「私の前でノロケおって」
カランサは苦笑いを浮かべた。
「―まあ、よい。されど、エキナセアへは使者を送らねばならん。これは譲れぬぞ」
「はい、父上。王族たる身の上である以上、致し方ありません。私たちも、サリックスたちの婚約披露パーティーが終わり次第、エキナセアへ挨拶に伺う所存」
ファーグスはブレティラと笑みを交わした。
「なにしろ、ブレティラはエキナセアにとってはまだ幻の姫ですので、まずは姫として名乗りを上げるところから始めなくてはなりませんから」
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パルナッシアの王太子とブルンフェルシアの王女の婚約。
このニュースは、驚きをもって即座に中央大陸全土へと伝わった。それは、まさしく両国の同盟を意味した。各国では、この時期の同盟成立についてあらゆる分析が行われることであろう。
真相は、リリアムがハーデンベルギアと真の姉妹になりたいと望んだがためであった。真相にたどり着ける国はまず無いであろう。そんな真相よりこの一件で歴史上特筆すべきは、ただ一点。
ハーデンベルギア姫の名が初めて歴史に刻まれたことである。後世の歴史を俯瞰すれば、これは大事件であった。歴史を変えたと言っても過言ではない。
世界に冠たるパルナッシアの後の王妃にして女王たるハーデンベルギアは、弱冠12歳で世界史の表舞台に初登場したのである。
「……疲れた〜」
リリアムは、ソファに倒れ込むようにして身を投げ出した。
「お嬢さま、はしたないですよ。ここは他国の王宮なのですから、まだ気を緩めてはなりません」
アベリアは、冷たいドリンクを配りながらたしなめた。
「別にいいじゃないの。この部屋には身内しかいないんだし」
「でも、リリー。一番疲れてるのはハーディだと思うよ。―ごめんなさい、アビさん」
アベリアから受け取ったドリンクを一気飲みしたブレティラが言う。
「―もう一杯いただける? なんか喉乾いちゃった」
「……そうね。そりゃ、そうよね」
リリアムは、この場にいないハーデンベルギアの別れ際の淡い笑顔を思い浮かべた。
ハーデンベルギアは、婚約披露パーティーが終わった後も、サリックスと共に別室で客たちの挨拶の相手をしている。
新年祝賀会と合わせた婚約披露パーティーは、盛大に執り行われた。遠くは南大陸のストレリチアから北はユーストマまで、各国から代表団が集まった。
主役のハーデンベルギアはサリックスと並んで、ずっとにこやかに各国代表の挨拶を受けていた。定番のダンスタイムもあり、猛特訓を受けたハーデンベルギアはサリックスとの見事なダンスを披露した。アーケル曰く、ハーデンベルギアにはダンスの才能があった。
ダンス下手のアーケルに褒められても仕方がないが、リリアムから見ても12歳とは思えないステップさばきは、只者ではない。練習を重ねていけばダンスの名手として名を轟かせるに違いない。
お付き合いでリリアムたちもそれぞれダンスを披露した。リリアム組はアーケルが足を引っ張り残念な結果に終わったが、ブレティラ組はハーデンベギア組に負けず劣らず華麗なダンスで客を魅了した。ダンスをしたことのないブレティラも、ハーデンベルギアと共に猛特訓を受けたのだ。
外交とは多大な労力を使うものだ。駆け引きの場でもある。表の披露パーティーが終わったあとも、次期国王夫妻と繋がりを作るべく各国は会見を申し入れてきて、ハーデンベルギアは今も別室で拘束中というわけであった。
「ハーディは、ほんとに大したものね。辛抱強く大人の相手をして、ずぅっとにこにこして、とても12歳とは思えないわ」
「あの子なら、どこへ行ってもみんなに愛されるよ。レギーも見たでしょ、人見知りフェルがあっさりハーディに籠絡されるのを」
「あれは天性のものね。羨ましいわ。僕には何にも特技がないから」
「あなたには誰にも負けない積極性があるじゃない。その押しの強さと素直さがあればパルナッシア宮廷でも上手くやれるよ」
「パルナッシア宮廷…か。実はね、フィールとも話し合ってるところなんだけど、国政には携わらないでいようかなって思ってるの」
「未来の王兄が国政から外れるっていうの?」
「サリックス殿下、初めて拝見したけど、とても聡明そうじゃない。ハーディがついていれば安泰だと思うの。何もフィールが出しゃばらなくてもいいかなって」
「……それ、ハーディに遠慮してるんじゃないの?」
「……別に、そういう訳じゃないわ。確かにフィールは殿下の手助けをしたいってずっと言ってる。でも、それは年中側に張り付いてなくてもできると思うの」
「あなたたちがいれば、ハーディたちはむしろ心強いと思うよ」
「リリー。俺たちはこれまでもどちらかというと市井側にいるほうが多かった」
ファーグスが言う。
「だから、今後もそのスタンスは変えたくないんだ。正直、国政が煩わしいっていうのもあるが、俺たちには内政だの外交だのなんて、似合わねーよ」
「フィール…」
「どこか地方の小さな領地をもらえればそれで充分。サリックスから求められたときだけ助力する、っていうのが一番いい形だと思う」
「だからね、リリー。僕たちはハーディに遠慮してるんじゃなく…」
言いかけて、ブレティラは急に口元を押さえた。
「……どうしたの? レギー」
「ご、ごめんなさい…ちょっとおトイレ…」
ブレティラは、突然立ち上がり、走るように部屋を出ていった。
「―どうしたのかな、急に」
心配そうに見送るリリアム。
「……最近レギーのやつ、時々ああなるんだよな。体調があまり良くないらしい」
ファーグスも眉根を寄せる。
「……わたし、様子見てくる」
リリアムはブレティラを追いかけた。
「……レギー、大丈夫?」
トイレを覗くと、ブレティラは洗面台に頭を突っ込んでいた。
「……ごめん。なんか気持ち悪くて…」
リリアムは背中をさすってやる。
「最近、調子悪いんだって?」
「そうなの。時々こんなふうに気持ち悪くなって吐いちゃうの。―拾い食いなんてしてないんだけどね」
「冗談言ってる場合? いつからなの?」
「ここ2、3週間。女の子の日も止まってるし、どこか身体が悪いのかもね」
「えっ!? それ、本当?」
ブレティラの何気ない一言に、リリアムの顔色が変わった。
「……って、何が?」
「何が、じゃないよ、女の子の日の話だよ」
「え…うん。こんなこと初めてなんだけどね」
「いつからよ? いつからないの?」
俄に色めき立つリリアム。
「……そうね、二か月前くらいかな」
「ちょっとちょっと、レギー。あなた、お医者さまに診ていただくべきよ」
「えっ、やっぱり僕、どこか悪い病気?」
「違うよっ。―赤ちゃん、できたんじゃないの?」
「……!」
思いも寄らないリリアムの言葉に、ブレティラはしばらく呆然とした。