契ル
「レギーは? レギーは落ち着いた?」
リリアムが戻ってくるなり、ハーデンベルギアは勢い込んで尋ねた。
「……ようやく寝たよ」
「良かった…」
気を失ったブレティラを王宮へ連れ帰り、医者や聖属性魔法使いの治療を受けさせた。幸い顔以外はどこも怪我をしていなかったので、腫れや傷はほぼ治った。しかし、問題はここからだった。
治療中から意識を取り戻してはいたが、治療が終わるまではおとなしかったのだ。それが、終わったとたん、ファーグスを求めて泣きわめき出した。それはまるで小さな女の子に戻ったかのようだった。
医者によると、強度のストレスを受けたことにより、心のバランスを保つために幼児退行の症状を発したとのことだった。薬などはないので、とにかく気持ちを落ち着かせることだという。
以来、ファーグスはブレティラにつきっきりだった。ブレティラの態度は恋人というより、父に甘える子どものようだった。おそらく、父親に甘える経験をしたことのないブレティラだ。その生い立ちも影響しているのに違いない。
ファーグスは辛抱強く相手をしていた。ファーグスとリリアムとで寝かしつけて、ようやく眠ったらしい。
「これでレギーが落ち着いてくれるといいんだけど」
「あとはフィールに任せよう。何しろ旦那さまだから」
「あたし、びっくりしちゃった。いきなりフィールがプロポーズするなんて思ってもいなかったから」
ハーデンベルギアは、まるで自分がプロポーズされたかのように顔を上気させている。
「何があったか知らないけど、結局収まるところに収まったんじゃないかな」
「ほんとにレギーが無事で良かった。禍乱は何でレギーを狙ったのかな」
「さあ。よくわからないわ。レギーを拉致した女? 花柑子、というんですって。フィールが言ってた。胴体を両断したけど死ななかったらしいよ」
「……そいつは屍皇だ」
アーケルが口を開く。
「屍皇? なにそれ?」
「ほら、あいつと同じだよ、リリー。三日月」
「ああ。アイツかあ。―アイツのせいで記憶喪失になったのよね。屍皇って何なの? 人じゃないよね?」
「屍皇は、一言で言えばアンデッドだ」
「アンデッド? アンデッドって、人の言葉を話せたっけ?」
「通常は話せない。知能がないからな。それを統骸は木偶と呼んでいる」
「統骸…。五指仙筆頭の?」
「アンデッドを操っているのは統骸だ。いよいよやつが本格的に動き出したということだ」
「ハーディがパルナスで遭遇したのも木偶だったのよね?」
「まだ試行段階だったのだろう。屍皇が現れたということは、統骸も能力を成長させたということだ」
「それで、アンデッドの屍皇が言葉を話せるのはどうしてよ?」
「木偶の中にも進化するものがいる。自分で考え行動することがてきるようになる。いわば自立思考型のアンデッドだ。それを統骸は屍皇と呼ぶ」
「自立思考型…。なんかヤバそうね」
「更にその屍皇の中でも飛躍的に能力を高めたものが生まれることがある。それを屍皇三傑というのだが、花柑子はその三傑の一人だ」
「見た目、完璧に人間らしいじゃないの」
「人間のアンデッドの最高峰だ。人間のときの記憶も持ち合わせているし、斬ったくらいでは死にはしない。もともと死んでるのだからな」
「そんなやつが禍乱と組んでるのか。かなりヤバいじゃない」
「禍乱は妙にフィールにこだわっているように見える。理由はわからないがレギーもターゲットにした可能性が高い。今後はフィールとレギー、二人の周りへの警戒を怠らないようにしたほうがいい」
「そうね。そうしよう。せっかく二人は恋仲になったんだもの、禍乱なんかに邪魔はさせないよ」
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父と母が楽しそうに話をしていた。色とりどりの花々が咲き乱れる草原だった。ブレティラは走って二人に近付こうとした。それなのに、距離が縮まらない。
一生懸命足を動かすのだが、一向に近付けない。ブレティラは母の名を呼んだ。母は気がついて手を振った。それなのにむしろ母はブレティラから離れていく。
『……置いていかないで。僕を独りにしないでっ!』
叫んでも母は振り向いてくれず、父と手を繋いでどんどん去っていく。
「嫌よっ! お母さま! 僕を…独りにしないで…」
「……レギー?」
ハッと目が覚めると、心配そうに見つめるファーグスと視線が合った。
「フィール…」
「大丈夫か? ずいぶん、うなされてたけど」
「……悲しい夢を見たわ」
「どんな…?」
「お母さまと離れていく夢」
「……」
「……フィール。僕を独りにしないで」
レギーの橙色の瞳から涙が一つ、こぼれ落ちた。
「するもんか。レギーが嫌だと言っても離れない」
「フィール」
ブレティラが手を伸ばした。ファーグスは、その手をしっかりと握った。
「あ―!」
ふいに引っ張られ、バランスを崩してブレティラに覆いかぶさる格好になった。顔が間近に迫る。ブレティラは、いたずらっ子のようにくすくす笑った。
ファーグスは、頬に手を触れた。橙色の瞳が潤む。求め合うように口づけを交わした。
「……そういえば、リリーのこと、ちゃんと聞いてないわ」
ブレティラが思い出したように言う。
「こんなときに、リリーのこと持ち出すなよ」
「大事なことよ。貴方はリリーのこと、どうするの? まだ好きなんでしょ?」
「ああ。好きだ」
聞いたとたん、ブレティラの瞳が翳る。
「冒険者としても人としても尊敬してる。でも、それは愛じゃない」
「え…」
「好きだけどそれは、言ってみればLikeさ。Loveじゃない。俺が愛しているのは、レギー。お前だけだ」
「……僕も…僕も貴方だけを愛しているわ」
もう一度唇を重ねる。
「……ねえ、ファーグス。僕のこと、抱いて」
「えっ?」
「身も心も貴方のものになりたいの」
「でも、お前、病み上がりだぞ。身体に障る」
「平気よ。顔しか殴られてない」
そう言うと、立ち上がり服を脱ぎ始めた。一糸まとわぬ姿になる。
「……きて」
「……」
ファーグスも全てを脱ぎ捨てた。
口づけを交わす。そのままファーグスはブレティラをベッドへと押し倒した。
「ああ…!」
激しく口で求め合うと、ファーグスはブレティラの首に口を這わした。ブレティラはビクっと身体を小さく震わせた。
「……大丈夫か?」
ファーグスは動きを止めた。
一瞬、禍乱にされたことが蘇った。あの嫌悪感。肌を這う不気味さと気色悪さ。全てを忘れたかった。忘れさせてほしかった。
「……大丈夫。何でもないわ」
ブレティラはファーグスの首に腕を回して囁いた。
二人はお互いだけを見つめた。お互いだけを求めた。二人の前には、長い夜が横たわっていた。
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「くっそ〜。何だよ、あの魔法使い。めっちゃ強いじゃん〜」
禍乱は根城の私室で花柑子を相手にくだを巻いていた。
「ボクの両目が通用しなかった。あんなヤツが世の中にはいるんだなあ〜。世界は広いなあ」
「リリアムパーティーの魔法使い、アーケル。通称ヨーマ。妖魔族を名乗る謎の多い魔法使いですわ」
「何、その妖魔って。聞いたことないよ」
「今のところ情報が全くないので、わかりかねます」
「アイツ、きっと廖疾より強いよ。―ねえ、花柑子ぃ〜。どうやってあんなヤツと闘えばいいと思う?」
「アーケルには廖疾さまが強いこだわりのあるご様子。別に禍乱さまがお相手なさる必要はございませんでしょう」
「―それもそうか。なぁんだ。思い悩んで損しちゃった」
「それより禍乱さまは、フィールさまでしょう? アーケルや竜人ハーデンベルギアが守っている中で、どうやって殺すおつもりですか」
「どうって言われても、まだ殺すと決めた訳じゃないし…」
「殺さないのですか? 好きだから?」
「……正直、殺したくない」
禍乱はもじもじしながら頬を赤らめた。
「フィールって、面白いじゃん。恋人くん助けようと必死にボクに立ち向かってきたり。敵わないってわかってるのにさ。かわいいよね」
「それではリリアム以外のメンバーは皆殺しという、統骸さまのご指示ひいては渾沌さまのご命令に背くことになりますが」
「別にいいんじゃないの〜? フィールは殺しはしないけど、ボクのペットにするんだ。リリアムからは引き離すんだし、小言くらいは喰らうかもだけど、最後は許してくれるよぉ」
「では、我々の方針はフィールさまの捕獲、ということでよろしいですか」
「そうだね。理想は廖疾が魔法使いや竜の子ちゃんを引き付けてくれるといいんだけど」
「一度、廖疾さまとの連携は失敗なさっておられます」
「あのときは左目が目覚めてなかったから、フィールに遅れをとっただけだよ。今なら、確実に捕まえられるよ」
禍乱はニッと笑った。二本の牙が覗く。禍々しい気が全身から溢れ出した。
「今度は謀逆と連携しよっかなあ〜。廖疾より頼りになるかも。そのときは、統骸に頼んで屍皇の誰かを貸してもらおうっと。ワクワクするなあ。フィールは楽しんでくれるかなあ? ボクの…ボクだけのフィール!」




