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クラッシュ・リリーズ  作者: 駒戸野圭哉
第十章 愛のカタチ
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独りじゃない

「あなたたち、ケンカでもしたの?」


リリアムは、朝食後、そっとファーグスに尋ねた。


夕べはデュランタがリリアムたちを招いて饗宴を開いてくれた。ハレシア親子も出席してくれて、大いに楽しく盛り上がった。そのときから、ファーグスとブレティラの間はぎくしゃくしていた。


いつもなら、周りの視線も構わずにベタベタとファーグスにくっついているブレティラが、距離を置いていたのだ。一応会話はしていたが、どことなくよそよそしかった。


二人の間に何があったのだろうと心配していたのだが、今朝、それが決定的となった。一瞬でもファーグスと離れるのを嫌がるブレティラが、朝食を食べ終わったあと、用事があるからと言って独りいなくなってしまったのである。


「……別にケンカなんかしてねえよ」


「ウソよ。そうでなきゃ、なんであのレギーがあなたから離れるのよ」


「レギーだって、たまには独りでいたいときもあるだろうさ」


「……」


どうあっても、リリアムに話す気はないらしい。


「まあ、いいわ。二人の問題は二人に任せるけど。もしレギーを泣かせるようなことしたら、許さないよ」


「……わかってるよ」


「本当にわかってるの?」


「……しつこい」


「ちょっと、フィール。どこへ行くの? まだ話は途中よ」


「俺も今日は用事があるから」


ファーグスは背中を向けたまま、手を振ってどこかへ行ってしまった。


「……ねえ、リリー」


ハーデンベルギアが遠慮がちに声をかけた。


「今日はどこかへ出掛けるのだったよね」


「そうよ」


リリアムは、去っていくファーグスの後ろ姿に気がかりな視線を向けたまま言った。


「人に会うんだったけ?」


「先代に挨拶しに行くのよ」


「先代? リリーのお祖父さまってこと?」


「顔を見せないと拗ねるからね。ご機嫌とっておかないと、後がうるさいのよ」


「リリーのお祖父さまか。あたし、ちゃんとご挨拶できるかな」


「ただの楽隠居じじいよ。緊張なんかしなくていいって」


「……口、悪いよ」


こうして、心配のタネは残るがリリアムたち三人は、リリアムの祖父・サピンダスに会うために馬車に乗って出掛けた。ちなみに、ちゃんと御者のいる馬車である。


サピンダスは、フーストニアの郊外に離宮を建てて暮らしている。サピンダスの妻、つまりリリアムの祖母は、10年ほど前に病気で亡くなっている。


離宮は、こじんまりとしていた。宮というより少し大きめの別荘に近い。馬車は離宮の車寄せで停まった。高齢の執事が玄関先で出迎えていた。離宮の奥へと案内される。


「……お祖父さま!」


通された部屋は広いリビングだった。サピンダスは、暖炉のそばに置かれたソファに座って本を読んでいるところだった。年老いてはいたが赤毛の偉丈夫である。


「おおっ、リリー。待ちかねたぞ」


「お祖父さま、お体は大丈夫?」


リリアムは、皺だらけのサピンダスの手を愛おしそうに握った。


「最近は腰が痛くてな。なかなか思うように畑仕事ができんのだ」


サピンダスは、在位中から、王宮の庭で農作物を育てていた。退位した後も、離宮の庭で野菜作りを続けていた。


「もうお年なんだから、そろそろお止めになったら?」


「バカいえ。わしはまだまだ若いもんには負けんわ」


「……と、お年寄りはよく言うらしいわよ」


「人を年寄り扱いしおって」


「……!」


サピンダスの視線を感じたハーデンベルギアが、体を固くするのが伝わってきた。イフェイオンとの謁見のこともあって、粗相のないようにと過度の緊張をしているのに違いない。


「……お祖父さま、紹介するね。わたしのパーティーメンバーで、この子がハーデンベルギア。あっちの男がアーケル」


「ハーデンベルギアと申します」


ハーデンベルギアは、王侯貴族への礼儀をしてみせた。アーケルは頭を少し下げただけである。


「この子が例の妹にしたいという子か」


サピンダスは、じっとハーデンベルギアに視線を注いでいる。


「そうよ。わたしたちの間ではもう姉妹なのだけどね」


「ハーデンベルギアか。良い名じゃ」


「ハーディと呼んであげて」


「ハーディ。もっとこっちへおいで。わしに顔をよく見せておくれ」


ハーデンベルギアは黙ってサピンダスに近づいた。緊張しているのがよくわかる。


「……これは驚いた。長年、大勢の人相を観てきたが、これほど天運の強い相は観たことがない」


「天運、って何? お祖父さま」


「天に守られた運勢を持っておる、ということじゃ」


「そんなこと言われたの、初めてだわ。大抵の人はハーディの瞳を褒めてくれるけど」


「無論、それも含めてのことじゃ。その瞳、竜人、であろう?」


「やっぱり、わかる?」


「見るのは初めてじゃがな。―ふむ。イフェイオンはハーディに会ったのじゃろう?」


「もちろんよ。養子にしても何の得もないといって、あっさり却下されてしまったわ」


「あやつも、まだまだ人を見る目がないのう。この子は我が王室にとってまたとない幸運をもたらしてくれる女神さまじゃというに」


「女神さま? そういえば、似たようなことを言ってた人がいるね」


「……セネシオさん?」


リリアムとハーデンベルギアは顔を見合わせた。


「お祖父さまが人相を観るなんて、初めて聞いたわ。何でもっと早く教えてくださらなかったの?」


「若い頃、少しでも治世の役に立たせようといろいろ勉強した中の一つじゃ。あえて人に言う事ではない」


「……じゃあ、わたしの人相も密かに観てたのね。わたしはどうなの?」


「リリーは今のままで良い。自由に生きよ」


「またそんな適当なこと言って誤魔化す気でしょう」


「わしは良い孫を持った。つい最近5人目の孫に恵まれて喜んでおったが、6人目の孫ができたわい。―ハーディや。リリーのこと、頼んだぞ」


「……! はいっ」


ハーデンベルギアは先ほどまでの緊張はどこへやら、パッと顔を輝かせてサピンダスの手を握った。


「お祖父さま、お優しくてあたし、大好きです!」


珍しくハーデンベルギアは声を弾ませた。認められたのがよほど嬉しかったのだろう。しかし、二人の驚き混じりの視線に気づいて、ハーデンベルギアは慌てて手を引っ込めた。


「―あ、も、申し訳ありません。先王陛下に対し馴れ馴れしくお祖父さまなどとお呼びしてしまって…」


「構わんよ。わしの孫になるのだから、そう呼ぶのは当然じゃ」


「ハーディ、気にすることないって。今はただの隠居じじいなんだから」


「相変わらず口が悪いのう」


「……でもね、ハーディ」


リリアムは、ハーデンベルギアの耳元に口を寄せた。


「今はこんな好々爺だけど、在位中はとても怖かったのよ。目力が強くて、気の弱い人なんか見られただけで泣き出すくらい。わたしですら、近寄れなかったもの」


「全部聞こえとるぞ」


リリアムは澄まし顔で続けた。


「今から思うと、あれは『威厳』というのね。みんなから畏れられたけど、尊敬もされてた。ご立派な君主さまだったわ」


「リリーにそう言われるのなら、わしの治世もまんざらではなかったようだの」


「そうよ。わたし、お祖父さまのことは高く評価しているのよ」


「わっはっは。リリーらしいのう」


「……羨ましい」


ハーデンベルギアはポツリと漏らした。


「え…なあに、ハーディ?」


「あ、ううん。お二人、とても仲が良くて羨ましいな、と思って」


リリアムには既に両親はいない。兄弟もいない。しかし、叔父や従姉妹、祖父は健在である。一方、ハーデンベルギアは親族すべてを大凶(だいきょう)に殺されて、天涯孤独の身の上である。


「……ハーディ」


リリアムはハーデンベルギアをそっと抱きしめた。愛おしさが募ってくる。イフェイオンに堂々とリリアムの妹と名乗った心境を思うと、切なさが溢れてくる。


なんとしてもイフェイオンを説得して、この娘の『姉』になるのだ。そして、大きな声でこう伝えるのだ。


あなたは独りじゃないよ。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


ブレティラは独り王宮の中庭を歩いていた。昨日、ファーグスと二人で歩いた道である。


あの後、ファーグスと顔を合わせてもなんとなく気まずい雰囲気が流れて、まともに会話すらできなかった。


ファーグスはブレティラを好きだと言ってくれた。それだけで充分だった。確かに、他にも好きな人がいるというのは、複雑な気分だ。心のどこかにファーグスを独占したいという気持ちがあるのも、否定できない。


でも、そもそも、自分のような人間に人に愛される権利などあるのだろうか。騙されていたとはいえ、ゴシピウムの言葉を全面的に信じ込んで、とんでもない大罪を犯すところだった。


そんな自分が、自分以外の人を愛さないでなどと責められるだろうか。自分だけを見てほしいなどと要求できるだろうか。


―僕にはできない。僕にはただ、好きな人の隣にいることしかできない。


母リンデラも同じような思いをしていたのだろうか。愛する夫には正妻がいた。夫は、正妻を愛していたのに違いない。それでもリンデラは、夫に愛されていると確信していたのか。


愛妾でしかない母は、一歩引いて離宮で暮らすことを選んだ。本当は夫の隣にいたかったろうに、きっと夫の負担になりたくなかったのだろう。


―僕も、身を引いたほうがいいのかな。


「……!」


深く物思いにふけっていたので、目の前に女性が立っていることに気がつかなかった。


「ごめんなさい…」


頭を下げて通り過ぎようとした、そのとき。女性に声をかけられた。


「あなたがファーグスさまの恋人さま?」


「えっ―!?」


ブレティラは改めてその女性に視線を向けた。豊満な胸をした若い美女だった。白い豪奢なドレスを着ている。


一瞬、ファーグスの三人目の女が押しかけてきたのかと思った。しかしそれは、女性の次の言葉でとんでもない勘違いだとわかった。


「私は花柑子(はなこうじ)と申します。禍乱(からん)さまに仕えるものです」


「禍乱!? お前、魔獣か…!?」


反射的にブレティラは腰の剣を抜いた。しかし、どこからどう見ても、花柑子と名乗った女は人間にしか見えなかった。


「禍乱さまから、橙色の髪をした背の高い女性がファーグスさまの恋人とうかがいました。お名前を存じ上げないので失礼とは思いますが、恋人さまとお呼びいたします」


「お前、何をしに来た? ファーグスに手出しするなら許さんぞ」


「今回はファーグスさまではなく、恋人さまにご用件があって参りました」


「僕にだと? いったい何の―」


花柑子は瞬時に動いた。その時にはブレティラは気を失っていた。


「―恋人さまをお連れしろとのご命令でございます」


花柑子は気を失ったブレティラを軽々と腕に抱えると、空へ飛んでいってしまった。

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