ジェラシーホワイト
「……あーッ! もう! イライラするッ」
禍乱は床を転げ回った。
ある国のある場所。禍乱が根城にしている廃墟となった昔の城趾である。その一角にある部屋を私室として使っていた。豪華なシャンデリアに天蓋付きのベッド。洒落たソファとテーブル。生活様式は人間のそれとほとんど変わらない。
「わからない、わからない、わからなぁーッい!」
「……禍乱さま。吠えるのは構いませんが、寝転んでないでちゃんと起きてください」
白い豪奢なドレスを身に纏った美女がワインとグラスをトレイに載せて部屋へ入ってきた。
「それでは、ただの駄々っ子と変わりありませんよ」
歩くたびに豊満な胸が揺れる。大きく開いた胸元から今にもこぼれそうである。
「そんなこと言ったってぇ、花柑子ぃ。頭がぐっちゃんぐっちゃんでどうしようもないんだもん」
「禍乱さまは考え事が苦手でいらっしゃるから」
「失礼な! 廖疾みたいなこと言わないでよ」
禍乱は頬を膨らませて憤慨する。
「ボクは、頭脳労働者さ。いつもいろいろなことを考え続けているんだから」
「頭脳労働者の意味が違うと思いますけど。―ここへ置いておきますよ」
花柑子は持ってきたワインとグラスをソファのサイドテーブルへ置いた。
「ありがと。この人間の飲み物、美味しいよね」
禍乱は両目を輝かせてガバっと起き上がった。
「―あれ? グラスが一つしかないよ」
「一つでよろしいじゃありませんか。ここには、禍乱さましかいらっしゃいません」
「花柑子がいるじゃない」
「私…ですか? 私は使用人ですが」
「キミと一緒に飲もうと思って、頼んだんじゃないか。もう一つ持ってきなよ」
「……承知しました。こういうところが禍乱さまの良いところですね」
花柑子は微笑みながらグラスをもう一つ持ってきた。
「さあ、飲もうよ。……こういうとき、人間は何て言うんだっけ」
「乾杯、と言います」
「乾杯ーッ! ―あーッ、美味しい!」
「……禍乱さま。ワインは一気に飲むものではありません。それではビールですよ」
「かたいこと言うなよ。花柑子は人間のときもそんなに口うるさかったの?」
「……そうですね。侍女長を務めておりましたから、役目柄侍女たちの指導をしておりますと自然と口数が多くなります」
「言っておくけど、ボクの指導はしなくていいからね」
「とんでもございません。貴い五指仙さまに指導などと、畏れ多いことです」
「……と、口で言うほど畏れ入ってないくせに」
「私は、統骸さまに与えていただいたこの身体を、五指仙さまのために捧げるのみにございます」
「ふーん…」
禍乱は無遠慮に花柑子をじろじろ眺め回した。
「……何でしょうか?」
「ううん。さすが屍皇三傑だなと思って。こうして見てると、人間にしか見えないや」
「……」
「―ねえ、花柑子。キミは頭いいんだろ? 三傑の中で一番だ、って統骸が言ってたもん」
「滅相もございません。私など、五指仙さまの叡智に遠く及びません」
「聞きたいことがあるんだ。ボクの友だちがね、ある男性と知り合ったんだって」
花柑子の謙遜など聞き流して、禍乱は話し続ける。
「何度か仕事で会う機会があったんだけど、その男性に恋人がいることかわかったんだ。そうしたら、友だちは仕事も手につかないほどイライラして、男性のことしか考えられなくなって、胸の奥がキュウーッと苦しくなったんだって。これって、何だと思う?」
「……友だちの方は、男性とはどのようなご関係なのですか」
「ご関係って言われても…仕事上の知り合い? それともおもちゃかな?」
「友だちの方は男性のことをどう思っていらっしゃるのでしょう?」
「どう、って、どういうこと? 剣士だけどボクより弱いヤツだよ」
「私の尋ね方が間違っていましたね。申し訳ありません」
「そうだよ。聞き方変えてよ。なんだかボク、バカみたいじゃない」
禍乱は不平そうに口を尖らせた。
「では、友だちの方は男性に好意を抱いているのでしょうか」
「えっ!? 好意? 好意って、好きってこと?」
「そうですね。一般的にはそういう意味になりますね」
「好き…なのかな? 会話は楽しいよ。ボクより弱いくせにいつも反論してきて、とっても面白いんだ。殺すのが惜しいくらい。―そうだ!」
禍乱は両目を輝かせた。既に友人の話ではなく、自分のことに置き換わっているが全く気づいていない。
「それだよ! ボクはフィールを殺したくないんだ。首を斬ろうとしたとき、一瞬躊躇した。踏み込みも甘くなって、あのいまいましい女に飛び込む隙を与えてしまった。人間を斬るのに躊躇するなんて、初めてだよ」
「……であれば、フィールという方を好きなのでしょうね。そう考えれば胸が苦しい理由がわかります」
「理由は何?」
「嫉妬ですわ」
「嫉妬…ボクが人間に…?」
禍乱は、想像もしていなかった花柑子の言葉に呆然となった。
「禍乱さまは、フィールという方を好きなのです。だから、恋人だというその女の方に嫉妬なさって苦しんでおられるのですよ」
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「……召還命令?」
リリアムたちは、リリアム捜索の拠点にしていた宿屋に戻ってきていた。そこで、アスクレピアスが王家からの重大な指示を伝えていた。
「リリーが父上に養子縁組の件を託しただろ? 話を聞いた陛下はただちに帰国するようお命じになられたんだよ」
「そう、きたか〜」
リリアムは頭を抱えた。
リリアムとハーデンベルギアは自他共に認める『姉妹』だが、法的にも姉妹になるべくアスクレピアスの父・デュランタに国王との養子縁組を打診してもらうよう頼んだのである。デュランタは、リリアムが家族ぐるみで親しいブルンフェルシアの外務大臣である。
「陛下は、リリーやハーディと直接会って判断したいと仰ったらしい」
「……だからアックス兄さまがわたしのお迎えに一緒にいたのね。おかしいと思ったんだよ、わたしを探すためにわざわざ本国から呼ぶわけないし」
「こんな重大な任務、他のやつに任せられないからね。―というのは建前で、本当はリリーに会いたかったのさ。それが、いざ来てみれば行方不明だっていうからびっくりしたよ」
「ごめんなさい。アックス兄さまにまで心配かけて」
「それは別にいいんだけど、どうする? 一応、養子縁組の件を取り下げれば帰国する必要はなくなるけど」
「う〜む。ユーストマまであと少しなのに、ここで振り出しに戻るのは痛いなあ〜」
リリアムは腕を組みしばらく唸った。
「……リリー。あたし、無理に養子縁組しなくてもいいよ」
ハーデンベルギアは遠慮がちに言う。
「今のままで十分。リリーが戻ってきてくれただけで幸せだよ」
「……健気ねえ」
ブリティラはハーデンベルギアの頭を撫でた。
「僕はハーディのこと大好きよ。少なくとも僕たちは姉妹になれるから」
「おいっ、レギー。勝手に決めるな」
慌ててファーグスが突っ込む。
「別に僕が勝手に決めてるわけじゃないわ。フィールとサリックスは兄弟なのだから、お嫁さんになる僕たちは自然と姉妹になるだけじゃないの」
「違うっ。そこじゃない。勝手に俺の嫁になるなっつってんだよ!」
「そんなこと言って〜。禍乱に僕のこと『恋人』って紹介してくれたくせに」
「えっ、それ、ほんとう?」
リリアムは目を丸くして尋ねた。
「本当よ、リリー。僕が禍乱に斬られたあと、その女は誰だって聞かれて、フィールったら『俺の恋人だ』、って言ってくれたのよ〜」
ブレティラは、幸せそうに両手で頬を覆った。
「きゃあぁぁ〜っ、フィールもついに恋人同士と認めたのね。良かったね〜、レギーっ!」
リリアムはブレティラに飛びついた。
「ありがとう、リリーっ!」
二人は手を繋いで飛び跳ね、喜びを分かち合った。
「い、いや、あれは流れというか、勢いというか、決して本心から―」
リリアムはキッとファーグスを睨みつけた。
「フィール。今さら言い訳するな。自分で言ったことには責任を持てよ」
「……」
黙り込んだファーグスの肩をアーケルは無言でポンっと叩いた。
「……よしっ! 決めた」
リリアムは、みんなを見回し高らかに宣言した。
「ブルンフェルシアに帰る。心配しないで、ハーディ。わたしが絶対、陛下に認めさせてみせるから。大船に乗ったつもりでいなさい!」