大天使の目覚め
ハーデンベルギアはリクニスの家の前でしゃがみ込んでいた。傍らではファーグスが落ち着かなげに行ったり来たりしている。
「……少しは落ち着きなさいよ、フィール。ウザいったらありゃしない」
ブレティラがファーグスをたしなめるが、一向に収まる気配はない。
「……なあ、レギー。いくら何でも遅過ぎると思わないか。やっぱり様子を見に行ったほうが―」
「フィールが二人を信じて待とうって言ったんでしょ。待つと決めたらとことん待つだけだよ」
「そりゃ、そうなんだけどよ…」
「―帰ってきた!」
ハーデンベルギアが弾かれたように立ち上がった。山のほうから二人の影がこちらに歩いてくるのが見える。無意識に走り出していた。
「―リリーっ!」
「ハーディさん…」
リリアムは支えるように付き添っていたアーケルを一度見上げてから、ハーデンベルギアに小さく手を振った。
「……良かった。元気そうで」
ハーデンベルギアは心配そうにリリアムの全身を見回した。
「家の前でわざわざ待っていてくださったの?」
「え…ええ」
「姉思いの妹さんなのね。さすがリリアムさんの自慢の妹さんですわ」
「……」
違和感を覚えたハーデンベルギアは、形のいい眉をひそめた。
「……リリー。大丈夫か?」
ファーグス、ブレティラ、アスクレピアスの三人も集まった。
「フィールさん、ありがとうございます。わたしは大丈夫ですよ。―レギーさんも、アックスさんもすみません、永らくお待たせしちゃって」
「そのう…元気ならいいんだ」
「わたしもこんな経験初めてでしたから、すっかり動揺しちゃって。でも、ヨーマさんと山の中で話し合ってるうちにわかったんです」
「……」
「リリアムパーティーは世界で最高のパーティーなんだって」
リリアムはウィンクをしてみせた。
「……!」
「いい? みんな。誰にも『クラッシュ・リリーズ』なんて言わせないよ。わたしたちは破壊者じゃない。これからわたしたちのパーティー名は『大天使たち』にする」
「リリー…!」
何かを確信したように、ハーデンベルギアの神秘的な瞳に涙が溢れ出した。
「わたしたちは『大天使』だ。渾沌の『悪魔』を退治しに行くよっ!」
「リリーっ、戻ったのね!」
ハーデンベルギアはリリアムの首に抱きついた。
「……戻った?」
ファーグスがきょとんとした表情を浮かべた。
「そうか! 戻ったのね!」
ブレティラも手を叩いて喜びを爆発させた。アスクレピアスは既に男泣きに泣いている。
「……あんたら、大げさだぜ。リリーが山から戻ってきただけでそんなに喜ぶほどか?」
「フィール。意外とお前、勘が悪いな」
アーケルは笑いながらフィールをからかう。
「勘…? そりゃ無事に戻ってきたのは嬉しいけどよ」
「バカね、フィール」
ブレティラがファーグスの肩を小突いた。
「リリーの記憶が、戻ったのよ!」
「えっ!? だって、さっき俺たちのこと敬語で呼んで…」
「だから、それはリリーのいつもの悪ふざけだって」
「なっ…!?」
ファーグスが絶句する。
「わあぁぁーんっ!」
ハーデンベルギアが大声を上げて泣き出した。
「ゴメンね、ハーディ。心配かけて」
リリアムはハーデンベルギアを優しく抱きしめた。
「良かった…ほんとに良かった」
ブレティラももらい泣きして二人を抱きしめた。
「……なんだよ。そうか、記憶が戻ったのか。それならそうと初めに言ってくれればいいのに」
三人娘が抱き合う横で、ファーグスは独り言ちた。
「良かった…良かったよ〜。これでリリアムパーティーは元どおりだ」
アスクレピアスは泣きながらファーグスの肩を叩いた。
「……ああ。そうだな。これでようやく元どおりだ」
アーケルは意味ありげにリリアムを見た。
「うん。わかってる」
リリアムはアーケルに頷いてみせた。
「……みんな、心配かけてほんとにごめんなさい。改めてみんなに支えられて冒険者をやっていけてるんだなって、今回のことで痛いほど実感したよ」
「そんなこと改まって言うなよ、リリー。恥ずいだろうが」
ファーグスが照れたように言う。
「いや、真面目な話、みんなが勇気をくれなかったら、きっとアンゲルスとしてこの村で生きていたと思うんだ」
「リリー…」
ハーデンベルギアはハッとしたようにリリアムを見つめた。
「だからこそ、けじめをつけなくちゃならない」
「リリー。あたしも付き添うよ」
「ありがとう、ハーディ。ついてきてくれれば嬉しい。でも、口出しは無用よ。これは、わたしが直接言わなきゃだから」
「うん。いい人たちだからきっとわかってくれるよ」
リリアムは歩き出した。力強く一歩一歩踏みしめながら。
「……なあ、レギー。今のはどういう話なんだ?」
ファーグスはブレティラの耳元に口を寄せ、そっと尋ねた。
「フィール。ほんとに貴方、勘が悪いわね」
ブレティラは呆れたように言う。
「お世話になったリクニスさんとグレーニアさんにお詫びをしに行く話じゃないの」
「お詫び? お礼じゃなくて?」
「お礼もあるけど、どちらかと言うとお詫びのほうが比重が大きいと思うわ」
「比重ねえ…さっぱりわからん」
「あのねえ…。見てわからないの? リクニスさんと、記憶を失くしたアンゲルスさんは好き合ってたのよ」
「えっ!? そうだったのか? 全然わからなかった」
「……貴方、少し人情というものを勉強したほうがいいわよ」
「……大きなお世話だ」
そんな幕間が後ろで展開されているとはつゆ知らず、リリアムは家の前に着くと、大きく深呼吸した。そして、静かにドアを開ける。リクニスとグレーニアがリリアムを見つめた。
「リクニスさん、グレーニアさん。わたし、記憶を取り戻しました」
「そうかい。そりゃ、良かったなあ」
グレーニアはパッと顔を明るくさせた。
「ほんとにこれまでわたしなんかのお世話をしてくださって、ありがとうございました。このご恩は一生忘れません」
「水臭いのう。わしらは好きでやったことじゃて、そんな有り難く思わんでええに」
「おばあさまにはお料理を教えていただき、感謝しかありません」
そう言いながら、リリアムはリクニスを見つめていた。
「……ほれ、リクニス。お前も何か言わんかい」
「……俺は、別に…」
「口下手な孫ですまんなあ、アン…じゃなかった。リリアムさん、じゃったな」
「……リクニスさん。ほんとにお世話になりました。あなたの優しさがなければ、わたしは山で命を落としていたでしょう。わたしの命の恩人です」
「当然のことをしたまでだ。そんな大げさなもんじゃない」
「リクニスさんとのお昼、いつも楽しみにしていました。わたしのつまらない会話に付き合ってくださってありがとう」
「つまらなくはない。俺は…とても楽しかった」
そっぽを向いたままのリクニスに、リリアムは微笑んだ。
「……お二人には何とお礼を言ったらいいか、わからないほどです。必ずこのご恩はお返しいたします」
リリアムは深々と頭を下げた。
「とても…辛いのですが、お別れを言わなければなりません」
リリアムは前を見据えた。その蒼い瞳には決意が強く滲んでいた。
「散々ご迷惑をおかけしてお世話になっておきながら、身勝手だと思われるでしょうが、わたしにはやらなければならないことが―」
リリアムは泣きそうになるのを懸命にこらえた。
「―わたしには、やらなければならないことがあります。やり遂げたら…もしお二人が許してくださるのなら、やり遂げた後、またこちらにお邪魔させてください」
「……」
「……では、お元気で。わたしは、行きます」
リリアムが身を翻そうとしたそのとき。
「待ちんしゃい」
グレーニアが何かを衣装箱から取り出した。
「……これを持っていけ」
グレーニアから渡されたそれを見て、リリアムは驚いた。
「これ…わたしのローブ!? 山から落ちたとき、ボロボロになったからとっくに捨てちゃったのかと―」
「確かにボロボロじゃった。だから、わしが縫っといた。汚れも酷かったで、綺麗に洗っといたんだわ。この日がいつか来たら、返そう思うての」
「グレンおばあさま…」
リリアムはローブを握りしめたまま、堪えきれず泣き出した。グレーニアはそんなリリアムを黙って優しく抱きしめた。
「……おばあさま、ありがとう。とっても嬉しい」
「……身体にだけは気ぃつけての」
「おばあさまも、お元気で」
「―アン」
ふいにリクニスに呼びかけられて、リリアムは顔を上げた。真っ直ぐ見つめるリクニスの目と合う。
「アン。お前のパーティーは世界一だ。仲間を大事にしろよ」
「リック…」
「応援してるから。お前の望みがかなうように、ここでいつも声援を送ってるから」
「……ありがとう、リック」
涙で頬を濡らしながら、輝く笑顔でリリアムは応えた。その笑顔は、かつてアンゲルスがリクニスに向けたものと同じだった。
「絶対に忘れない。あなたのこと、絶対に忘れないよ」