エール
翌日も、その翌日も、アーケルたちはリリアムの元へ通っては、代わる代わる語った。それぞれの想いや思い出を。重複する話もあったし、メンバーも初めて聞く話もあった。
リリアムは静かに耳を傾けていた。相変わらず表情に何の変化も現れなかったが、真摯に聞こうとする態度は変わらなかった。
しかし、それも4日、5日と経ち6日目になると、さすがに話が尽きてくる。
「……それじゃあ、初めからもう一度話してみようか」
アーケルが言うと、リリアムはそっと頭を横に振った。
「これ以上は、もう結構です」
「リリー…」
「あ、皆さんの話を聞くのが嫌とか、そういうんじゃなくて。わたしを心配してくれてることはとてもよく伝わりました。だからこそ、これ以上皆さんにご負担をかけるのは心苦しいんです」
「負担だなんて、そんなことこれっぽっちも思ってないよ」
ハーデンベルギアが言い募る。
「リリーのためなら、何十回だって何百回だって話すよ。記憶が戻るのだったら、なんだってする」
「……もう終わりにしませんか」
「……」
「いくらお話を聞いても自分のことと感じられないんです。どこか遠い異国のお伽話を聞いているような気がして。リリアムさんという人は皆さんに愛されて、とても幸せな方だとは思います。でも、それはわたしじゃない」
「リリー…」
ハーデンベルギアの神秘的な瞳に涙が溢れてくる。
「わたしがここでアンゲルスとして生きちゃ、ダメですか?」
「そんな…」
「……それはダメだ、アン」
そのとき、リクニスが初めて口を開いた。リクニスは、アーケルたちが語る間、一切口を挟もうとはしなかった。そのリクニスが口を開いたのである。リリアムは驚いてリクニスを見つめた。
「……何でよ、リック」
「アンをこれ以上、ここに置いておくわけにはいかない」
「どうして? わたし、ここに居たい。リックやグレンおばあさまと一緒に居たいの」
「怪我人だから、今まで情けで置いてやっていたんだ」
「えっ!?」
「うちだって、ばあちゃんと二人ギリギリで暮らしてきたんだ。居候一人養えるほど余裕があるわけじゃない。はっきり言って迷惑なんだよ」
「うそ…そんな、リック…」
リリアムは青ざめて震え出した。
「記憶がどうのなんてどうでもいいから、早く出ていってくれないかな、リリアムさん」
「……!」
リリアムの蒼い瞳から大粒の涙がこぼれた。刹那、身を翻して外へ飛び出していった。
「リリーっ!」
アーケルが後を追いかける。
ハーデンベルギアも続こうとしたとき、腕を掴まれた。
「フィール!? 離してよっ」
「待て、ハーディ。ここはヨーマに任せよう」
「……!」
「ヨーマを…リリーを信じよう。必ず戻ってくるよ。必ず俺たちのところへ戻ってきてくれるよ」
「……」
ハーデンベルギアは唇をきつく噛んで、二人が出ていったドアを見つめた。
「リクニスさん…」
ブレティラはリクニスを振り返った。
「今の言葉、本心なの…」
「……」
ブレティラはリクニスの目から涙がこぼれ落ちるのを見た。すべてを悟ったブレティラは黙って頭を深々と下げた。感謝の気持ちをこめて。
一方。外へ飛び出したリリアムは、山の方へ駆け出していった。
「リリーっ、待て!」
アーケルは必死に追いかける。
リリアムは慣れた足取りで山の中へ入っていく。
「……来ないでっ!」
リリアムはある場所で立ち止まった。
「それ以上来たら飛び降りるわ!」
そこは、崖際だった。飛び降りれば命に関わる高さがある。
「……飛び降りたければ飛び降りろ」
「……!?」
「オレが見届けてやる。その後、オレも死ぬ」
「……」
「オレは本気だ。お前が死んだらこの世界に何の未練もない」
「……あなたには渾沌とかいう魔獣を倒す使命があるんじゃなかったの?」
「確かにそうだが、それはお前がいてこそだ。お前の大望でもあるのだからな」
「わたしはリリアムになれない。アンゲルスにもなれなかった。もうわたしの居場所はどこにもない」
「逃げるなっ」
「……!」
「リリアムから逃げるな。オレの知ってるリリーはどんな困難があっても逃げはしなかった。自分が誰かわからないのは不安だろう、怖いだろう。だけど、逃げたらそれでおしまいだ。闘え、リリー。オレがいる。オレが応援する。自分に敗けるな」
「……リリアムさんならそうなんだろうね。でもわたしはリリアムさんにはなれない。リリアムさんみたいに闘えないよ。……もう疲れちゃった。このまま休ませて」
リリアムは目を閉じた。そのまま背中から崖下へ身を投げた。
「くっ…!」
アーケルは飛んだ。崖下へ落ちるリリアムに追いつき身体ごと抱える。地面に激突する寸前、ふわりと浮かんで静かに降り立った。
そこは、細い川が流れる河原だった。拳大の石が一面に転がっていた。
「……無茶しやがって」
リリアムを胸に抱きしめたまま、アーケルは言った。
「なんで…どうして死なせてくれないの」
「お前のことが好きだからだ」
「……そう言えば、婚約者だったね」
「婚約者だから好きなんじゃない。好きだから婚約したんだ」
「……ここまで愛されて、リリアムさんは幸せ者だね」
「……オレはお前を守れなかった」
「今、守ってくれたじゃない」
「山の中で崩落に巻き込まれたときのことだ」
「……あれは事故だったんでしょ。誰の責任でもないよ」
「いや、あれはオレの責任だ。屍皇が自爆することは知っていた。それなのにオレは未然に防ぐことができなかった。すまない、リリー。ここまでお前を追い詰めたのはオレの責任なんだ。星降る夜にお前を守ると誓ったのに…」
「……泣いてるの? そんなに自分のこと責めないで。あなたは悪くない。精一杯やってるわ」
リリアムは涙に濡れたアーケルの頬にそっと触れた。
「オレは魔法戦士だ。魔王軍と闘うために生まれてきた」
「魔王軍…?」
「人類の救世主として闘うことがオレの宿命なんだ。それなのにオレは、愛する女一人救えない能無しだ」
「ヨーマさん…」
リリアムはアーケルの頬を流れる涙を指で拭った。
「……わたし、リリアムさんになれる自信が全然ない。きっと、ヨーマさんたちの足を引っ張ることになる。それでも良ければ…一緒にいさせてくれる?」
「リリー…!」
「どうせ一度は死んだようなものでしょ。もう一度、生き返ったつもりになって、リリアムさんを演じてみるわ」
「すまない、リリー。すまない…」
「謝らないで、ヨーマさん。わたしに話してくれた物語の中の魔法使いアーケルは、自信家で博識で負けず嫌いの強い人のはずよ」
「……」
「……さあ、みんなのところに戻りましょ。きっと心配してるわ」
リリアムはアーケルから身体を離した。一歩足を踏み出す。
「―痛っ!」
突然頭に激痛が走った。目の前が真っ暗になる。めまいに襲われ平衡感覚を失った。アーケルの呼ぶ声が遠くに聞こえた気がした。
気がついたときには、アーケルの膝枕の上で横たわっていた。
「…リーっ! リリーっ!」
「……わたし、どうしたの」
「気がついたか。良かった…」
目の前で彫像のように整ったアーケルの顔が覗き込んでいた。なぜか、どぎまぎした。
「急に倒れたんだ。驚いたぞ」
「……突然めまいがして…目の前が真っ暗になったの」
「とっさに受け止めようとしたが間に合わなかった。倒れたときに河原の石で頭を強く打ったようだが、血は出ていない。どこか痛いところはあるか?」
「ううん。特には―痛っ!」
「どうした!?」
「頭が…痛い」
リリアムは苦しそうに頭を抱えた。
「痛いっ! 痛いよっ」
「リリー、しっかりしろ!」
「……!?」
リリアムの頭の中にさまざまな映像が洪水のように流れ込んでくる。それは渦を巻き激しく波打ちリリアムを飲み込んだ。
『リリアム』
『リリー!』
『リリアムさま』
『リリーさん』
『リリアム姫っ』
『リリー姫君さま』
リリアムに呼びかけるすべての声が、姿が、一本の線に繋がった。過去から現在まで、綺麗にすべてが一つになった。
頭の中を覆っていた霞が消え、光が満ち溢れた。
「ああ…! わたしは―」