ファミリー
「必ず来ると思っていた」
リクニスは、訪れたアーケルたちを家の中へ招き入れた。
「俺はリクニスという。怪我をして倒れていたアンを山から連れ帰ったのはこの俺だ」
「……アンというのは?」
「アンは自分の名前も忘れてしまったので、仮の名としてアンゲルスと呼んでいる。あだ名が好きらしく、自分のことはアンと呼べというから」
アーケルたちは顔を見合わせた。
「いかにもリリーらしい。オレたちもあだ名で呼ばれている」
「そうか。なるほど、ほんとうの名はリリアムというらしいな。それで『リリー』か。でも、俺にとってはアンゲルスだから、今後もアンと呼ぶことを許してほしい」
「それは構わないが、リクニス。リリーの姿が見えないようだ。来るとわかっていたなら、オレたちの要件もわかっているよな」
「アンはここにはいない。俺の祖母と一緒に友だちの家に行っている」
「それは、オレたちに引き渡す気はない、ということか?」
「今日は、な」
「……説明してもらおうか」
「アンはここに居たがっている。あんたたちに連れていかれたくないそうだ」
「そんな…そんなの信じられません」
「ハーディ。とにかく話を聞こう」
アーケルに言われて、ハーデンベルギアは口をつぐんだ。
「……アンは記憶を失くしている。自分のこともどういう環境で生きてきたかもすべて忘れている」
「やっぱり…」
ハーデンベルギアは悲しそうに目を伏せた。
「だから、今のアンはあんたたちの話を冷静に聞くことができない。それでまず、俺が代わりに聞くことにした。その上でアンに俺が言ってきかせる。アンがどういう態度をとろうが、明日は必ずあんたたちに会わせる」
「信用できない」
「……」
「……と、言いたいところだが、オレたちに選択肢はない。リクニスの言う通りにしよう」
「……それは良かった。―じゃあ、あんたたちの話を聞こうか」
アーケルは己の出会いから語り始めた。基本、アーケルが話し、時折ハーデンベルギアが補足した。
自分たちは冒険者パーティーであること。リリアムの父の仇である魔獣を探していること。それぞれのパーティーメンバーとの出会い。パーティーメンバーの為人。淡々と進めていく。
ファーグスとアスクレピアスは一切口を挟まなかった。ファーグスはひたすらリクニスを注視することに専念していた。それは、リクニスという人物を見極めようとしているかのようだった。
ただ、一度だけ、ファーグスがもう一人のメンバーであるブレティラのことを、アスクレピアスはリリアムがブルンフェルシアの王族であることを説明した。
終始無表情で話を聞いていたリクニスは、さすがにリリアムが王族と聞いたときだけ驚いた表情を浮かべた。
「……なるほど、よくわかった」
リクニスはすべて聞き終えると、ふうっと大きなため息をついた。
「山の上でその五指仙とかいう魔獣と闘ってるうちに、アンは崩落に巻き込まれた、というわけか」
「そうだ。すぐ崖下に飛び込んで探したんだが見つからなかった。こっちは怪我人も抱えていたし、医者を探したりしているうちにリリーの足取りを完全に見失ってしまった」
「それで、周辺の村々をしらみ潰しに探し歩きました」
ハーデンベルギアが言う。
「ようやくシンフィツム村で赤毛の女性が保護されたという噂を聞きつけて、昨日ここへ訪ねてきたんです」
「……アンは、やっぱり天使だったな」
「はい?」
「……いや、こっちのことだ。―事情はわかった。アンを引き渡すことに否やはない。むしろそれが当然だろう」
アーケルたちの間にほっとした空気が流れた。
「約束通り明日、アンと会わせる。ただ、無理やり連れて行くのはどうかな。俺としては本人の気持ちを尊重してやってほしい」
「それはオレたちに任せてもらおう。―リクニス」
アーケルは手を差し出した。
「理解してくれて感謝する。場合によっては力づくでもリリーを連れて行くつもりだったが、そうせずに済んで良かったと思っている」
「こちらこそ」
リクニスはアーケルの手を握った。
「正直に言うと、あんたたちが俺を信用していなかったように、俺もあんたたちのことは疑っていた」
「……」
「この頃は、怪しい人買いがこの辺りにも姿を見せると聞いていたからな。でも、今あんたたちの話を聞いて安心した。アンのこと、心底大事に思っていることが伝わってきた。―その」
リクニスは、アーケルたちを眩しそうな羨ましそうな目で眺めた。
「アーケルがアンの婚約者で、ハーデンベルギアはアンとファーグスの義理の妹ということになるわけだな。パーティーというより、ファミリーなんだな、あんたたちは」
「ファミリー…」
言われてみれば、確かにこの将来何もなければそうなるだろう。しかし、その視点でメンバーを考えたことがなかったので、ハーデンベルギアにはとても新鮮だった。
「―リクニスさん。お礼を言うのが遅れてしまってごめんなさい。リリーを助けていただいて本当にありがとうございました」
「……いや、当然のことをしたまでだ」
「あのまま山で気を失ったままだったら、命が危なかったと思います。姉がいろいろ面倒をおかけしてすみませんでした」
深々と頭を下げるハーデンベルギアを見て、リクニスはどこか寂しげに言うのであった。
「まだ小さいのに、しっかりした妹さんだ。あんたのような人たちに囲まれて、アンは幸せ者だな」
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その翌日。
リクニスとどんな話し合いが持たれのかはわからないが、目の前に現れたリリアムは悄然としていた。
「……リリー。身体のほうはもう元気なのか?」
アーケルが声をかける。
「……はい」
「その…迎えに来るのが遅くなってすまなかった」
「いえ…」
一昨日のように会話すらままならないような激しい拒否感情を示さないのはいいが、明らかに言葉に力がない。
「昨日、リクニスから話を聞いたと思うが、お前の本当の名前はリリアムだ」
「はい。お聞きしました。わたしが冒険者パーティーの召喚士だということも。ヨーマさんがその…」
リリアムは唇を噛むと、絞り出すように言った。
「……わたしの、婚約者だということも」
「リリーが掌中の珠のように可愛がっているハーディもいるし―」
アーケルはハーデンベルギアを前に押し出した。
「フィールも、アックスもいる。それに今日はレギーも来てくれた」
「……ハロー、リリー」
ブレティラは小さく手を振った。
「みんな、お前が名付けてくれたあだ名だ」
「……すみません。覚えていないんです」
リリアムの声が震えている。
「お名前を聞いても、皆さんのお顔を見ても、何も思い出せない」
「無理に今思い出さなくていい。みんながいる。これから少しずつみんなと一緒に―」
「やっぱりこんなの意味ないよ!」
リリアムが激しく頭を振った。
「リック! この人たちと会ったからって何も変わらない。わたしの過去は消えちゃったんだよ、何をやったってダメっ!」
「落ち着け、アン。昨日約束しただろ、ちゃんと最後まで話を聞くって。それから判断しても遅くはない」
「でも…」
リリアムの蒼い瞳には早くも涙が溢れてくる。
「……リリー」
そのとき。ハーデンベルギアがリリアムの手を優しく握った。リリアムの手はとても冷たかった。
「リリーの過去は消えてないよ。あたしたちがちゃんと覚えてる。リリーの笑った顔も、怒った顔も」
「……」
「リリーの好きなこと。嫌なこと。これまでやってきたこと。これからやりたいこと。全部…全部覚えてる。だから、あたしたちと一緒にいてよ。リリーの隣にいさせてよ」
「……それでもわたし、思い出せないかもしれない。あなたをがっかりさせてしまうかもしれない」
「がっかりなんてしない。だって、リリーのことが好きだから」
「……」
「あたしたちのことを思い出せなくたって、リリーはリリーだから」
リリアムは力なく椅子に座り込んだ。皆、それで初めて、お互い立ったまま話していたことに気がついた。
あらかじめリクニスが用意していた人数分の椅子に、腰を落ち着けた。そして、アーケルはゆっくりとリリアムに語り始めた。
リリアムは大人しく聞いていた。終始うつむき加減で、アーケルが話し終わっても表情に何の変化も現れなかった。
その日は、そこで一旦帰ることになった。初めからリリアムに多くの情報を与えて負担をかけても、効果はないとの判断からだった。
帰り際、ハーデンベルギアはリリアムの冷たい手を握りながら言った。
「一つだけ言わせて。あたしは何があってもリリーの味方だから。リリーの悩みも痛みも一緒に背負うから」
「ハーディさん…」
「……これ、前にあたしがあることで悩んでいるとき、リリーが言ってくれた言葉なの。だから、今、リリーに返すね。―あなたは独りじゃないよ」