ずっと一緒に…いようよ!
たちまちアーケルはトップスピードに乗る。
猛烈な風がリリアムに吹き付ける。 しかし。リリアムはそれどころではなかった。
―な、な、何? この状況? なんなの? どういうことなの?
―わ、わたし、抱かれてる? アーケルに抱かれてるの? アーケルの腕の中なの?
―ああ…。胸が苦しい。吐きそう…。
アーケルの彫像のような顔が目の前にある。が、まともに見られない。身体中が暑い。冷たい強風にさらされているはずなのに。
「……いたぞ。4人いる」
アーケルの言葉が耳に入ってこない。
「向こうも動きが早い。たぶん馬車だな。馬車で移動している―リリー? おい、聞いているのか?」
「……」
アーケルが空中で静止した。
「リリー? どうした」
アーケルがリリーの顔を覗き込んでくる。
―ち、近い…!
「そ、そんな顔で見るな、反則だっ!」
「は? 何を言ってる?」
「あ…いや…えっと…その…そ、速度。そう、速度が反則だ。早すぎる」
―わたしはいったい何を言ってるの? もう頭の中がぐちゃぐちゃ…。
「早く追いつきたいのだろう?」
「そ、そうだよ、早くハーディに追いつかなきゃ。ハーディはどこ?」
「だから、見つけたと言ってる。この少し先に生体エネルギーを感じる。馬の生体エネルギーも。おそらく馬車で移動している」
「じ、じゃあ早く行こう」
アーケルはまた飛び始める。すぐに草原を走る馬車が視界に入ってきた。
「馬車を止める」
「ヨ、ヨーマ! 爆はダメっ! ハーディがいるんだよ」
「撃」
アーケルが唱えると、馬車の車輪が弾け飛んだ。バランスをくずした馬車が横転する。傾いた幌から人が這い出してきた。伸びた草がクッションになったのか、乗っていた連中に大きなケガはないようだ。 アーケルはその前に降り立つ。リリアムをそっと降ろした。
「おいっ! 誘拐魔、よくもうちのハーディをさらったな」
リリアムの顔は上気したままだ。目が完全に据わっている。
「わたしは今機嫌がすこぶる悪い。大人しくハーディを返せば腕一本ずつでカンベンしてやる。四だの五だの言うなら八つ裂きだ。好きなほうを選べ」
「誰が誘拐魔だ。勘違いすんなよ、ねえちゃん。このガキが自分から逃げたいって頼んできたんだぜ」
「ウソつけっ。ハーディがそんなこというはずない。……そうでしょ? ハーディ。ウソだよね?」
「違うの! リリー、この人たちは悪くない。あたしがお願いしたの。あたし…二人とは一緒にいられないから」
「……!」
リリアムの顔がゆがむ。
「聞いたとおりだ、ねえちゃん。わかったらさっさと手を引きな」
「黙れ、クズがっ! わたしはハーディと話してるんだ」
「なんだとぉ?」
「ハーディ。そんなにわたしたちのこと嫌い?」
「嫌いじゃない! リリーたちは優しくしてくれた。何の役にも立たないあたしなんかに。……好きだよ。好きだけど…あたしがいたら邪魔になる。迷惑かけちゃう。だから、あたし…」
「迷惑だなんて、そんなこと―」
「動くな!」
ハーデンベルギアに近づこうとしたリリアムを男が制する。
「それ以上動いてみろ。後悔することになるぞ」
男の手にはサバイバルナイフが握られていた。刃先をハーデンベルギアに向けて。
「せっかく俺たちのフトコロに自分から転がり込んできたお宝だ。傷つけたくはねえが、顔さえ無事ならこんな痩せっぽちの身体、多少傷めても価値は下がらねえさ」
「……下衆野郎。ちょっとでもハーディを傷つけてみろ、ただじゃおかないからな」
「面白え。やれるもんならやってもらおうじゃねえか。みたところ、お前ら魔法使いらしいが、こっちにも魔法使いならいるぜ。―おい」
「はいよ」
どうやらサバイバルナイフ男がリーダーらしい。彼に促されて、顔半分を覆う大きな黒いマスクをつけた男が前に出てくる。
「俺さまの攻撃魔法を受け止められるかな?」
マスク男が構えたその時、リリアムが叫ぶ。
「ヨーマ、やれっ!」
「斬」
「ギャーッ!」
マスク男の悲鳴が草原に響き渡った。 マスク男が右腕を抑えて草の上を転げ回っている。その肘から先がない。派手に血が吹き上がる。
「よくもやりやがったな!」
サバイバルナイフ男がハーデンベルギアを突き刺した。
「キャァァーッ!」
悲鳴がリリアムの耳をつんざく。重なるように高い金属音が響いた。
リリアムは、悲鳴は自分があげたものだったと遠く思った。では、今の金属音は?
「な、なに!?」
サバイバルナイフ男が驚愕のあまり半歩後ずさった。
ナイフの刃先が折れていた。
刺されたはずのハーデンベルギアがびっくりしたように佇んでいる。
破れた服から眩い光を放つ黒曜石のような黒い肌が見えた。
否。日を反射して輝くそれは黒色の鱗だった。鱗にはかすり傷一つついていない。
「ま、魔獣!?」
よろめくサバイバルナイフ男の脇を風が通り抜けた。
「ハーディ!」
リリアムだった。隙をついてハーデンベルギアを抱きかかえ男たちと距離をとる。
「これ以上闘っても意味はない。見逃してやるからどこへでもさっさと行け」
アーケルが言うと男たちは這々の体で逃げていく。リリアムは既に彼らに関心を向けていない。
「ハーディ。大丈夫? どこも怪我はしていない?」
「うん。大丈夫」
「良かった〜」
リリアムはハーデンベルギアを抱きしめた。
「無事でほんとに良かった。すごく心配したんだから」
「……リリー。あたし、迷惑ばっかり掛けて―」
「そんなことないよ!」
言いかけたハーデンベルギアを強く遮る。
「あなたのこと迷惑だなんてこれっぽっちも思ったことない。あなたに会えて、わたしほんとに嬉しかった。妹ができたと思ってたのよ。……役に立たないどころか、そもそもわたしの命の恩人じゃないの」
「あたし…何もしてない」
「ゲールウルフから助けてくれたじゃない」
「あれはリリーがあたしを守ってくれたんだよ」
「でもハーディが助けてくれたことに変わりはない。竜になってやっつけてくれたから、喰われないで済んだのよ」
「覚醒したってもう遅い。あたしはなんにもできない悪い子。リリーたちと一緒にいちゃいけない子なの」
「なんで自分のことそんなに卑下してるのか知らないけど、あなたは良い子よ。とっても良い子。だって、わたしを幸せな気持ちにしてくれるのだから」
「しあ…わせ…?」
「そうよ。あなたがいてくれるとわたしは幸せなの。あなたのことが大好きだから」
草原の風が二人を包んだ。ハーデンベルギアの心にも爽やかな涼風が吹き抜けた。ふいに涙がこぼれ落ちる。
「ハーディはわたしと一緒にいるの、いや?」
「いやじゃない。……あたし、一緒にいたい。リリーたちのそばにいたい。一緒にいてもいいの? あたしなんかがいてもいいの?」
「ハーディ、聞いて。わたしはあなたが大好き。あなたもわたしのこと好きって言ってくれたでしょ?」
「……うん」
「だったら、お互い好き同士なんだから、一緒にいていいこれ以上の理由はいらないでしょーよ?」
「……うん……うん。ありがとう、リリー」
ハーデンベルギアは小さな顔をリリアムの胸に埋めるようにして抱きついた。
「……でも、悪い子もあったな」
「え…?」
しばらく抱き合ってから顔を上げたリリアムは、ハーデンベルギアを軽く睨みながらおでこをちょこんと弾いた。
「これはわたしたちに黙って出ていった悪い子への罰」
「……ごめんなさい」
「素直でよろしい」
「……ふふっ」
「あっ! ハーディが笑った! 初めてじゃない? ハーディが笑ったの」
「ごめんなさい、笑ったりして。でもリリーの言い方。……ふふっ。面白くて…ふふふっ」
「そんなにわたし、おかしかった?」
「リリーはいつもおかしい。常識がぶっ飛んでいる」
それまで黙っていたアーケルが口を挟む。
「なんだよ、それ。いつもそんなふうにわたしのこと思ってたのか?」
「リリーはおかしくないよ、リリーといるとあたしとても楽しい」
「まあ、なんていい子なの〜。わたしもとても楽しいよ。これからもっともっと楽しいことがきっと待ってるよ。―わたし、ハーディのことたくさん知りたい」
「あたしもリリーのこと、知りたい」
「そうね、ハーディ。いっぱいおしゃべりしようね。―そうだ! あなたに似合いそうな服買ってきたんだ」
「服?」
「いつまでもそんな汚い格好させられないじゃない。早速宿に戻って着せ替えしなくっちゃ。―ヨーマ。さっきの『翔』ってやつで、わたしたちを町まで運んでよ」
「……やれやれ」
完全に乗り物扱いされているアーケルは、既にクセになりつつある頭を振る仕草でリリアムに応えるのであった。