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いやだ

 新しいルームメイトは情報通の彼で、私を見るなり苦笑いした。

「あーあ、うまくできなかったか」

「いや……寮の改修工事なんだって。寮長から部屋を移るよう頼まれて。……この間は変なこと聞いてすまなかった。これからよろしく」

 情報通は肩をすくめて笑うと、さっさと寝てしまった。新しい部屋の窓からは、月は見えないようだった。


 ブラックの新しい部屋がどこなのか、寮長は特に教えてくれなかった。私も聴かなかった。あんなことをされたのだ、もう関わらなくてよいのなら、その方が好都合に決まっている。

 お前も俺のことが好きだろ?

 あの声、言葉。私を好きだと言った、あのときの。そして……。

 されているときは頭が真っ白で何も考えられなかったけれど、今になって、あの口づけの感覚が思い出される。……初めてだった。けれども彼の方は慣れていた。あのとき、走り去った先輩と、同じことをしていたのだろうか。あんな……あんなキスを。

「ホワイト、何ぼーっとしてんの。食堂行くぞ」

 呼びかけられてハッとした。急いで支度をして部屋を出ると、ルームメイトの背中はもうなかった。いつも私を待って歩いてくれていた、ブラックのことを思い出して胸が痛む。

「……いや……」

 首を振る。私が胸を痛める必要なんてない。私は、彼に弄ばれたのだから。だから……。

 だから、もう彼とは関わらない。

 そう決めたのに、一時間目から、彼と同じ授業だった。彼はいつでも最前列の机を選ぶ。できる限り離れた席を、と思ったのに、朝の支度が遅くなったせいか、彼の隣の席しか空いていなかった。恐る恐る座り、挨拶くらいはと声をかける。

「おはよう、ブラック」

「……おはよう」

 別人かと思った。

 ブラックは、こんなにそっけない、冷たい声を出せたのか。しかも全然、目を合わせてくれない。すぐ隣の席なのに、まるで何メートルも離れた場所にいるような気になる。思わずノートを抱き締めていたのに気がついて、慌ててそれを下に置く。

 悲しいなんて、そんなわけ。

 授業が終わると、ブラックは私には目もくれず、教室を出て行った。

「うーわ。あいつ、何あの態度。ホワイト大丈夫?」

「部屋替えたんだって? やっぱり何かされたのか」

 心配してくれた親友や友達が集まって口々に色々なことを言う。

「ううん、私は何もされてないよ。部屋替えも、寮の改修工事のためだし。大丈夫、何もないから」

 友達は尚も心配してくれたけれど、彼にされたことを話せる訳もない。誰にも……主にも、打ち明けられる気がしない。

 それから数日が過ぎた。あれからブラックとは何度か廊下ですれ違い、教室や食堂で隣り合うこともあった。挨拶だけはしているけれども、やはりそっけない。いや、そっけないどころではない。冷淡で、……まるで言葉によってはねのけられるような、そんな。

 もう、私のことなんて何とも思っていないんだ。あんなに優しくしてくれたのに。あんなに楽しく話をしたのに。

 全部、ただのからかいだったんだ。

 そんな思いが積み重なって、今日は食欲が出なかった。喉元まで重い塊がせり上がってくるようで、私は初めて昼食を抜かすことにして、寮の自室へ向かった。あのときのように人の姿のない廊下を歩く。ああ、もしかすると今このときもまた、ブラックは部屋であの先輩と……。

 呼吸が苦しくなる。早足になったとき、廊下の隅から話し声が聞こえてきた。寮長の部屋からだ。こんな時間に寮長が部屋にいるなんて、珍しい。ふと気になって足を止めると、会話の断片が耳に入った。

「ブラック。それで君は……」

「ええ。音楽院に編入します」

 耳を疑った。寮長と話しているのは、彼だ。あの声を、間違いようがない。いつも耳元で囁かれていたのだから。

 彼が、音楽院に編入する?

「部屋替えの話も聞いてくださって、寮長には感謝しているんです。あいつにも黙っていてくれましたし……」

 何を、何を言っているんだろう。部屋替えの話? でも、部屋替えは施設の改修のためだと聞いた。それを、彼が? 寮長に頼んだって?

 混乱した頭でも、彼がここからいなくなるつもりなのは分かった。音楽院に行くということは、そういうことだ。

 ブラックが、ここからいなくなってしまう。この学校から……手の届くところ、視界に入るところから、きっと永遠に。

 そんな、そんなのはいやだ。

 明確に、そう思った。だってそうなったら、もう彼の艶やかな髪を、不思議な目を、見ることができなくなってしまう。あの声を、聴けなくなってしまう。それが例え、氷のように、刃のように冷たかったとしても……なくなってしまうなんて、そんなのはいやだ。

 それに。

『世界は広い。俺は、もっと色々なことをしたいんだ』

 あの夜……彼と初めて出会った日の、夜の言葉を思い出した。

 そう、そうだ。彼は。

 ついさっきまでの気持ちの悪さなんて、どこかに消えてしまった。私は大股で、寮長の部屋へ向かった。

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