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君のため

 寮長が、緩慢な動作で俺の手渡した書類を受け取った。

「本当に残念だ。君は才能豊かで、まだまだ、あらゆる可能性を秘めているというのに」

 俺だって、そう思う。だが、こうせざるを得ないのだ。ここにいれば、いくら避けても、ホワイトと会わざるを得ない。決して許されない清浄さに焦がれ続けるのは、辛くてたまらない。それに耐え続けるよりは、音楽院に編入した方がまだマシだ。まだ……。

 バンッ!

 背後のドアが勢いよく開き、そのまま壁に当たって音を立てた。びっくりして振り向いて、更にびっくりした。

 ホワイトが立っていた。

「ブラック!」

 ものすごい剣幕だ。俺はたじろいで、寮長の机に手を置いた。

「……ホ、ホワイト」

「ブラック、その書類は何?」

 ホワイトは、今までに聞いたことのないほど鋭い声で、俺に質問した。書類、とは、今寮長の手にあるもののことか。

「これは……お前には関係ない」

「なら、教えてくれたって構わないだろう」

 なんだ、その無茶苦茶な理屈は。

 ぽかんと口を開けている間に、ホワイトは寮長の手から紙を取り上げてしまった。

「ホワイト!」

 俺が伸ばした腕を避けて、取り上げた紙に視線を落とし、ホワイトはそのまま低い声でタイトルを読み上げた。

「『編入届』……。ブラック、これはどういうこと?」

 そんな声が出せたのかと思うほど、鋭く、緊張感のある声。それと同じくらいに厳しい表情を直視できず、俺は視線を逸らした。

「そこに書いてある通りさ。音楽院に編入する」

「なぜ?」

「……それは……」

 お前を諦めるためだ。

 そんなことは言えない。絶対に嫌だと思っていた編入を決意するほどの思いを、当のホワイトに伝えるなんてことは。

「それは、」

「そうじゃないだろう!」

「……え?」

 何を否定されたのか分からず、ようやくその顔を直視した。

 今にも泣きそうな顔をしていた。必死なのだと分かった。薄桃色の唇が震えている。……ああ、俺はこいつに、何て顔をさせてしまったのだろう。

「君は話してくれたじゃないか。広い世界で、もっと色々なことをしたいって。それは、ここじゃないとできないんじゃないの? だから、そこには行かないって、親の言いなりにはならないって、そう言ったじゃないか」

 確かに言った。それはその通りだ。だが、ここにい続けるのは辛いだけだし、それに……。

「ホワイト。お前だって、俺がいない方がいいだろ。俺はお前を……」

 傷つけた。その白さに、醜い爪痕を残そうとしてしまった。俺は、俺などは、その近くにはいない方がいいんだ。それがきっと、お互いのためだ。

 そんなことを、どういう言葉で伝えればいいのか……俺が迷っていると、ホワイトの方が先に言葉を発した。

「行かないで」

 耳を疑った。そんな言葉が今ここで発される筈がなかった。聞き間違いだ。

 しかし、ホワイトは繰り返した。

「行かないで、ブラック」

「……な」

 まっすぐ立っていられない。再び机に手をついて、呼吸を整えようとするが、うまくいかない。この部屋は暑くないか。

 ホワイトが一歩踏み出し、俺はそれ以上後に退けない。寮長に視線を向けたが、曖昧に逸らされてしまった。……くそっ。

「ブラック」

 前に向き直ると、すぐ目の前に真剣な顔があった。もう目を逸らすこともできない。

 ホワイトの柔らかな手が、俺の手を取った。

「私はようやく気づいたんだ。君と離れ離れになって、ようやく」

「……何に……」

 声が掠れた。今まで、こんなにも緊張したことはない。何を言われるのか、予想できるようでできなかった。いや、何も予想したくなかった。

 ホワイトはそこで、ふっと笑った。その途端、空気が変わった。張り詰めていたものが、優しくほどかれてゆく。初めて会ったときの、夢見るような笑み。俺のことを、心から歓迎してくれる純白。

「私は、君が好きだ」

 肩に入っていた力が抜けた。何も言えない。

 ホワイトは手を離し、そして俺のことを……抱きしめた。

 輝く金髪から、いい香りがする。背中に回された腕と密着した体の温かな感触に、なぜだか分からないが、安堵する。

 ずっと、こうされたかったんだ。

「ホワイト……」

 ホワイトは俺を抱きしめる腕に力を入れ、それから緩めて、少し体を離した。春の麗かな空を思わせる青い瞳が、俺を見上げる。

「ブラック。私は君ともっと一緒に過ごしたい。もっと話をしたいし、もっと……」

 そこでなぜだか僅かに頬を赤らめて、ホワイトは「とにかく」と続けた。

「行かないで欲しい。これは私のわがままでしかないけれど、……行かないで。私と一緒にいて」

 本当に、わがままだ。俺のためだとか何だとか言いながら、結局は自分のためじゃないか。

 俺が一緒にいることが、……ホワイトのため。

「……はは」

 笑いが込み上げてきた。俺は一体、何のためにここまで悩んで、編入まで決意したのだろう。

 全く、不要な決意だった。

 突然笑い出した俺を、ホワイトは不思議そうに見る。

「ブラック……?」

「いや、すまない。自分のやったことがおかしくて」

 嫌われたと思った。もう二度と、あんな風に笑いかけてなどくれないのだと。だから離れようと。

 何も分かっていなかった。俺は本当に、何も分かっていなかった。

「ホワイト」

 呼びかけると、素直な瞳が輝いた。ああ、胸が苦しい。俺がこんな感情を抱けるということを初めて教えてくれた、その相手からこんな眼差しを向けられるなんて。

「……ありがとう。俺も、お前と一緒にいたい」

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