ヒーローは絶対に泣かない3
持ち主は"選択教室"にいるそうだ。選択教室は生徒会室までの通り道でもあった第2校舎の2階にある。
どんなときに使う教室なのかと言われるとわからない。名前からして選択科目で使いそうだが、一年の選択科目である"音楽""美術""書写"の授業では使うことはない。
2年生や3年生になったら使うのだろうか。
第2校舎の2階にたどり着く。妙に静けさを感じるが、同じフロアー職員室があるからだろうか。
選択教室の前まで行き、生徒会室と同じようにノックをし、扉を開けた。
「失礼します」
中に入る。作りは通常の教室と同じだ。椅子や机は十数個ほど乱雑に並べられているが、一人の女子生徒の周りだけスペースが作られている。
ショートボブにレンズの大きい眼鏡の女子生徒は椅子に姿勢正しく座り、本を読んでいる。
あの女子生徒が持ち主なのだろうか。
女子生徒は俺の方を見るとすぐに本に戻ってしまう。
「伏見影光くん、何の用かしら」
「え?……なんで俺の名前……」
知り合いだっけ?俺だけ忘れてるとかちょっと気まずくて嫌だな。
「同じクラスなのだから覚えてて当然でしょ」
同じクラスというだけで名前を覚えられるものなのだろうか。
「もしかしなくてもあなたは覚えてないようね」
「当たり前だろ。仲良くもないクラスメイトの名前なんて一ヶ月じゃ覚えられねーよ」
「休み時間の様子を見る限り、クラスメイトに友達のいないあなたは名前を一人も覚えてないってことね」
どの様子を見たら俺に友達がいないと分かるんだ。
玲奈のおかげでボッチには見えないはずだぞ。
「まー、あなたの言うとおり私もクラス全員は覚えてないわ。あなたは珍しい名前だから印象に残ったのよ」
「そういう話だったら俺以上に珍しい名前はいなかった。だからもし俺がクラスメイトの名前を一人も覚えていなかったとしても不思議はない」
「やっぱり覚えてないの」
正直に言うと覚えてない。しかし、認めるのは悔しいから「そんなことはない。佐藤ってやつがいた」と適当に答える。
「自分で言うものでもないけれど、私もそれなりに珍しい名前よ。あと、クラスメイトに佐藤はいないわ」
何でいないんだよ。日本一多いだろうが、
どんなに珍しかろうと覚えてないものは覚えてない。要件だけ済ませて、帰ろう。
「そんなことより、これ」
俺は女子生徒に近づき栞を差し出した。
「私の栞、拾ってくれたの?」
「あー、生徒会室に行ったんだが、ここにいるから届けろと言われてな」
「ありがとう」
栞を渡し、用事を済ませた俺は踵を返そうとした。
「結局、私の名前は分からないの?」
その言葉に俺は思わず「え?」と振り返ってしまった。
名前わからないと帰れないんですか。無視して帰ってもいいが、なんか気持ち悪い感じになってしまう。とはいえ名前なんて出てこないし。俺は話題を変えることにした。
「そういえば君はなんでこんな教室にいるんだ」
「なんでって、部活動をしてるのよ」
部活動というには、一人だし、本読んでるだけだし
「文芸部なの」
女子生徒は補足するように言う。
「あー、それで本を。でも、文芸部ってもっと物語作ったりとか文集作ったりとかするんじゃないのか?読書なら家でもできるし」
「そうね。家のほうが落ち着いて読めるわ」
「わざわざ部活動である必要はないだろ。うちの高校は帰宅部禁止じゃないしな」
我が高校は帰宅部オッケー、バイトもオッケーと校則はわりと緩めだ。
だから無理して部活動をする理由はない。
「姉の帰りを待たないといけないの。一人が不安だって。部活も姉に勧められたのよ」
「過保護な姉だな。そのお姉さんは他の部活に?」
俺のその答えに女子生徒は「私の名前…」と返す。あまりに答えになってなくて、聞き間違いと勘違いしてしまう。思わず「なんて?」とマヌケな声を出してしまう。
「私の名前、北見月里っていうの」
「北見……」
聞いたことある名前だった。
「やっぱり姉の名前を知らない人はいないのね」
北見陽海が生徒会長なのは今日知ったんだけどね。ちなみに姉の面影はあまりない。似てるといえばキリッとした目くらいだ。月里は姉と違って、全体的に落ち着いたように見える。唯一、明るいのは左手首につけてる黄色のミサンガくらいだ。
名前も知れたことだし帰ろう。今なら気持ち悪い感じにならずに済む。
「たしかに珍しい名前だね。じゃーね北見さん、またね」
俺はそれだけ伝えて帰ろうとするが、またも呼び止められた。
「ちょっと待ちなさい」
俺は振り返ろうとする足を止め「何かと?」これでもかと嫌そうな顔を作り答えた。
俺はこれから本とクッションが待っているのだ。
「あなたが言ったのだから、やりましょ部活らしいこと」
「俺がなんて言ったって?」
「物語を作ったり、文集を作ったりするのが文芸部なのでしょ。一人ではできないわ手伝って」
「それは一日では終わらないよ」
あいにく帰宅部を卒業するつもりはない。
北見さんは「じゃー、」と顎に人差し指を当て空を見る。
「心情予想ゲームとかどうかしら」
「なにそれ?」
「物語の一部分を出題するから、その時の主人公の心情を予想しましょう」
なんだかとてもつまらなそうなゲームだな。そんなものに付き合っている暇はない。しかし、
「わかったやろう」
俺の理想が、頼み事を断ることを許さない。
さすがに立ってるのが辛くなってきた。ヘアピンをいじりながら空いてる椅子はないかさがす。近くにちょうど一つポツンと置いてあった椅子に座り、月里にゲームの進行を促した。
「で、どんな物語にするの。北見さん」
「月里でいいわ、影光くん。そうね、こんなのどうかしら」
月里はそう言うと、咳払いをした。
「"この世界には一人のヒーローがいました。ヒーローは戦いの末にようやくラスボスを倒しました"その後のヒーローの心情を答えなさい」
「随分と壮大な物語だな」
「どうせ空想するなら思いきり素晴らしい想像にしたほうがいいでしょう」
「赤毛のアンか」
「よく知ってるのね」
「昔はよく本を読んだから」
最近は漫画とかラノベのほうが多いが、昔は海外の作品や文豪も読んでたな。
「で?なんだと思う?」
「そうだな。普通にやったーと思うんじゃないか」
「不正解」
「え?これ正解とかあるの」
心情予想ゲームの正解とか月里しだいすぎないか。
「別にないけど、ありきたりで、とてもつまらなかったわ。」
ありきたりで何が悪いのだ。数多あるありきたりなストーリーは皆に好かれたからありきたりになったんだぞ!たぶん。
「月里は面白くできるのかよ」
そう言うと月里はまた咳払いをする。
「ヒーローは敵がいなくなったことで不安になりました。もう誰も自分を見てはくれないのではないかと、」
「それで?」
「……思いつかないわ」
「つまんな!」
柄にもなく思いっきり叫んでしまった。せめて完結させろよ!
「影光くんよりはマシだと思うけど」
いやいや、何を言っているのか。俺の話は面白かっただろ。カンヌ国際映画祭に出れるくらい面白い。
「北見さん」
その時、彼女を呼ぶ声がした。