ヒーローは絶対に泣かない20
※ ※ ※
私は何を見てるのだろう。
目の前で好きな人が1、2回しか見たことない女に抱きしめられてる。
玲奈とか言ったこの女の表情は見えないが、きっと泣いていると思う。
すごいな、こんな素直に気持ちを伝えられて。
私は恥ずかしくて、どうしても憎まれ口を叩いてしまう。
いっそ舞姫のように愛に狂って暴れることができたならいいのに。
私は玲奈さんよりも影光を愛することができるだろうか。
ふと、手首に巻いているミサンガを触る。子供の頃、影光がくれたもの。
そう、私と影光は昔会ったことがある。
私と影光、あとお姉ちゃんは一緒の小学校だった。
私は昔から本しか読まない子供だった。いつも注目されるのはお姉ちゃんの方、親も友達も。
それは別に良かった。
でも、お姉ちゃんが有名だと自動的に私も目立つのだ。それはまるで呪いのように。
「月里ちゃんのお姉ちゃん、運動会の競技全部一位だったね」
「すごいよね!私もあんなお姉ちゃんほしいな」
友達からはいいなーと毎日のように言われ
「陽海、この間のピアノの発表会良かったわよ」
「そうだな。月里もお姉ちゃんを見習って頑張るんだぞ」
親はいつも私と姉を比較した。
鬱陶しい。
別に一人が好きなわけではない。でも、私が望むのは私を見てくれる人だ。私が本を読んでるときに静かに一人にしないでくれる人だ。私を見て話をしてくれる人だ。メロスとセリヌンティウスになりたいわけじゃない。もっとたいしたことない友達がほしい。
私にそう接してくれたのは、皮肉にもお姉ちゃんと、あと影光だった。
影光は黄色のスカーフをつけて、お姉ちゃんといじめっ子をやっつけるような男の子だった。
私みたいな地味なことは縁遠いはずなのに、よく私の家で二人で本を読んでいた。
特別なことがあるわけではない。二人でもくもくと読書をして、たまに話をするときはとことん他愛もないことを話した。
星の王子さまは本当にいるのかとか、
ロミオとジュリエットのハッピーエンドを考えたり、
蜘蛛の糸で登るなんて、どうやって思いついたんだろうとか
本当に他愛もなくて、本当に楽しい話をした。
影光は私の前ではお姉ちゃんの話をしなかった。
唯一、お姉ちゃんの話をしたときも、切り出したのは私からだ。
「私、月が嫌いなの。お姉ちゃんは名前通り太陽で、私はお姉ちゃんがいないと見てももらえないの」
理科の授業で月が太陽の光を反射して光るって習ったばかりの頃だった。
こんなこと言えば、きっと影光は『俺は月が好きだよ』とか言ってくれるに決まってる。私はわかっていて、その問を投げかけた。
「俺は好きだよ、月。それにかぐや姫は月に帰るし、夏目漱石は"愛してる"を"月がきれいですね"って言ったんでしょ。みんなみんな月が好きなんだよ」
私が思っていたとおり、私が思った以上の言葉を影光はくれる。
私は嬉しくて、にやけそうな顔を必死に本で隠した。
「そうだ!これからツキちゃんって呼ぼう!」
影光ははしゃぎながら言う。
私のお姉ちゃんは、月が苦手な私に気を遣って月里の『里』だけとって『サトちゃん』と呼ぶのに。影光はいつも私の本当にほしいものをくれる。
「じゃー、私はカゲって呼ぶ」
影光があだ名で呼ばれるところを見たことはないけど、きっと影と光だったらあだ名に採用されやすいのは光だろう。
私はあえて暗いイメージの影を呼び名にした。
私以外、誰も呼ばない。
私だけの名前。
自分自身でもどうかしてると思う。このときの私はその名前だけで、どんな物語を読んだときよりも心が踊った。
「そうだこれプレゼント!」
「なにこれ?」
「ミサンガっていうんだよ……。ミサンガはね……。」
私と影光はずっと一緒だ。そう思っていたのに。
そんな日々を送っているうちに、影光はポツンといなくなってしまった。学校にも来ていないみたい。風の便りで転校したと聞いた。
私にサヨナラも何も言わずに、転校してしまったというの。なんで、なんでよ、影光……。
私は唯一の友人を失った。
その後、4年間は影光以上の友達もできず、とうとう高校生になってしまった。
とくに志望する高校もなかった私は、親のすすめで姉と同じ高校に入学した。
教室の雰囲気も制服も中学とはたいして変わりはない。
大きく変わったのは人と通学に電車を使うことくらいだ。
「ねーねー、北見さん、私アミっていうの。よろしく」
「わたし、さき」
「たえだよ。よろしく」
何人かの女子が本を読んでいる私に話しかけてくれる。私も「よろしく」と返した。
最初は3人かと思ったけど奥の方で私をボート見ている子が一人いた。
「北見です。よろしくね」
「か、かなえ……です」
私の差し出した手をかなえさんは恐る恐る握る。
「かなえーなんかよそよそしくね」
「そうだよ。なに緊張してんのさ」
「そんなんじゃないよ」
知り合いとかいなかったけど、入学早々に友達ができてよかった。
「そういえば北見さんって、会長の妹なんでしょ」
「すごいよねー!会長の妹と同じクラスとかうちらラッキーじゃん」
この人たちも姉目当てだったのか。
前言撤回、中学から高校に上がって変わったことは通学に電車を使うことくらいだ。
「ホームルームを始めまーす。席についてくださーい」
このクラスの担任が号令をかける。小柄でゆるふわな女教師はどこか自信がなさそうだ。
「これからクラス名簿を配ります。一枚ずつとって回してください」
クラスの名簿がいきわたる。普段なら配布物なんか目を通さない私だが、そのときは不自然にもクラスメイト一人一人の名前を上から追っていった。
何か予感でもあったのかもしれない。
私はその名前の中に決して忘れることのない名前を見つけた。
"伏見影光"
一番後ろの窓から2番目、その席にあの影光が。思わず振り返る。
いた。髪は長くなり、前髪なんて鬱陶しくはないのかと思う。雰囲気もどことなく暗い。でも、確かに影光だ。黄色いスカーフの代わりに、黄色のヘアピンをつけているところなんて影光らしい。
影光とたくさんおしゃべりができる。
また、隣で本が読める。
なんで勝手にいなくなったのかも聞きたい。
私が悲しかったことを伝えたい。
しかし、一ヶ月経っても私は影光に話しかけられないでいた。
そもそもなんて話しかければいいのだろうか。
ひさしぶり?
影光だよね?
お昼一緒に食べない?
そもそもどんな顔で話しかければいいのだろうか。
満面の笑み?
おしとやかに笑ったほうがいい?
いっそ真顔?
四年という月日はこの星と月よりも遠く感じる。
しかも問題はそれだけじゃない。
私は放課後の教室で影光が日直の仕事をしているのを廊下から見ていた。
周りから見たら完全にストーカーかもしれない。
しかし、それでも観察せずにはいられなかった。
あの女は誰だ。
机を合わせて影光と楽しげに話している。
今なら少女漫画に出てくる主人公に意地悪する女の気持ちがわかる。
もしくは王子様と結婚したいシンデレラのお姉さまたちだろうか。
率直に気持ちを伝えるなら、『誰の男に手を出してる』みたいなものだ。
会話もできていないのに何を言ってるんだと思われてしまうかもしれないけど。
そもそもなんだあの格好は、髪の毛明るいし、アクセサリーたくさんつけて、きっと化粧もしているだろう。あんな格好の女と暗い風体の影光では釣り合わないだろう。
その後も影光と頭の悪そうなギャル女の観察を続けた。何回か人の出入りがあって、隠れるのが大変だった。
「影光のバカバカバカバカ!うんこ!」
ギャル女が暴言をはきながら教室を出ていった。
影光はその後も日誌を書いたり、教室を掃除したりしている。
これは絶好のチャンスではないか。いつもギャル女が隣にいるが、今日の影光は一人だ。ここ一ヶ月で最も声をかけやすい状況だ。
「誰!」
突然、影光に話しかけられた。いや、影光は教室の窓側にいる。私の姿は見えてないはず。なんだかドキドキしてしまって、私は一旦逃げることにした。
でも、ただ逃げたらこの機会を逃してしまう。
私は左手に持っていた本から、挟んである栞を取り出し廊下に落として、逃げ出した。さながらシンデレラのガラスの靴のように。
私の思惑通り、影光は私のもとまで栞を運んできてくれた。
「伏見影光くん、何の用かしら」
「え?……なんで俺の名前……」
知り合いだっけ?みたいな顔で影光が答える。
私の顔を見ても思い出せないなんて、がっかりを通り越して腹立たしくなってきた。
「同じクラスなのだから覚えてて当然でしょ。もしかしなくてもあなたは覚えてないようね」
「当たり前だろ。仲良くもないクラスメイトの名前なんて一ヶ月じゃ覚えられねーよ」
仲良くない!なんてひどい言葉!私達あんなに仲良かったじゃない。
「休み時間の様子を見る限り、クラスメイトに友達のいないあなたは名前を一人も覚えてないってことね」
イライラのせいでつい意地悪な物言いになってしまう。
影光を見ると、私の顔をジーと覗き込んでいる。少し言い過ぎたかしら……。
「まー、あなたの言うとおり私もクラス全員は覚えてないわ。あなたは珍しい名前だから印象に残ったのよ」
そうよ、思い出してもらうまで他愛もない会話でもしよう。影光とならきっと楽しいはず。
「そういう話だったら俺以上に珍しい名前はいなかった。だからもし俺がクラスメイトの名前を一人も覚えていなかったとしても不思議はない」
前言撤回、私だってそれなりに珍しい名前の持ち主よ。なんで覚えてないの!!というか名簿に私の名前あったら気づくでしょ!!
結果イライラしてしまった。
なんだか、寂しい気持ちになってしまう。
覚えられてないことも
イライラしてしまうことも
私だけが大事にしていたことも
「やっぱり覚えてないの」
さみしいからだろうか。思いのほか頼りない声が出てしまった。
「そんなことはない。佐藤ってやつがいた」
そういうことではない。私の話をしているんだ!
こいつ噛み付いてやろうかな。
「自分で言うものでもないけれど、私もそれなりに珍しい名前よ。あと、クラスメイトに佐藤はいないわ」
たぶん……、
「そんなことより、これ」
影光は私に近づき栞を渡してくれる。
「私の栞、拾ってくれたの?」
私がわざと落としたんだけどね。
「あー、生徒会室に行ったんだが、ここにいるから届けろと言われてな」
「ありがとう」
私に栞を手渡した影光は「じゃ」と短くサヨナラを告げる。
やだ、せっかく会えたのに。
なんとか引き止めないと。
「結局、私の名前は分からないの?」
引き止めるために、なんだかよくわからないことを言ってしまった。
影光は少し考えて返事をする。
「そういえば君はなんでこんな教室にいるんだ」
これまたわけのわからない返事が帰ってきた。
「なんでって、部活動をしてるのよ。文芸部なの」
「あー、それで本を。でも、文芸部ってもっと物語作ったりとか文集作ったりとかするんじゃないのか?読書なら家でもできるし」
たしかに部活動とは言っているが、私はただ空き教室で本を読んでいるだけだ。
「そうね。家のほうが落ち着いて読めるわ」
「わざわざ部活動である必要はないだろ。うちの高校は帰宅部禁止じゃないしな」
私もそうしたいのは山々である。
「姉の帰りを待たないといけないの。一人が不安だって。部活も姉に勧められたのよ」
「過保護な姉だな。そのお姉さんは他の部活に?」
姉のことを話すと、自然と私のこともわかってしまうような気がした。姉をきっかけに私を思い出してほしくなくて「私の名前…」と呟いてしまう。
「なんて?」
影光はうんとマヌケな声を出す。
「私の名前、北見月里っていうの」
「北見……」
こんなことで影光に自分のことを明かすなんて、
「やっぱり姉の名前を知らない人はいないのね」
そう。私は結局、姉のおまけでしかないんだ。
「たしかに珍しい名前だね。じゃーね北見さん、またね」
ん?
「ちょっと待ちなさい」
ホントに待って、私の名前聞いても私のこと思い出せないの?
最低じゃない。
小学校の思い出ってそういうものなの?
「何か?」
「あなたが言ったのだから、やりましょ部活らしいこと」
つい、変な引き止め方をしてしまった。
影光になんとしても私のことを思い出させたい。
しかし、その後も影光が私を思い出すことはなかった。
まーそうよね…。今の影光にはギャル女がいる。
私のことなんか覚えてなくて当然かもしれない。
そう思っていたが、次の日驚きの事実を知る。
「影光は小学6年生のときの事故で、それより前の記憶がないの」
小学生より前、つまり私の記憶は影光にはない。
一緒に本を読んだ記憶も
他愛もない話で笑ったことも
ツキって呼んでくれたことも、カゲって呼んでいたことも。
今の影光は覚えていないのだ。
なんとも形容し難い感情だ。驚きも悲しみも超えていた。
太宰の人間失格よりも幸福の観念が消えていた。
「前言撤回するわ。あなたにも良い友達がいるのね」
自然を装っているつもりだけれど、こんな台詞はまるで不自然にしか聞こえない。
皮肉を言ったほうが、意地悪を言ったほうが、よっぽど自然だ。
二人がいなくなったあと、私は変わらず椅子に座り本を開く。本の中に逃げこもうとした。フィクションは私を絶対に傷つけない。
でも、いつもみたいに没頭することができない。
きっと椅子が硬いせいだ。学校の椅子には全部クッションをつけるべきだ。
そうしないと痛くて泣いてしまいそうだ。
そして今も……