ヒーローは絶対に泣かない10
次の日、6時間目の国語の授業が退屈すぎて、昨日の依頼について考えていた。そもそも俺は何をしたらいいのだろうか。
目立った被害はなく、つけられて、変な手紙を送られる。それをやめさせればいいんだろうけど、どうやったらやめてくれるのだろうか。それに"逆ストーカー"の目的は何なのだろうか。
何はともあれ"逆ストーカー"を見つけることが一番やらなければいけないことだな。
どうやって見つけるか考えながら、指の上でペンを回す。開いているノートは真っ白だ。黒板も真っ白。いや、黒板だから真っ黒か。黒板を写すことなく、先生が教科書を読むのをただ聞くだけなんて、子守唄よりも眠気をさそう。
好きな物語ならまだ聞けるが、古文は意味がわからないと何もわからない。古文も英語同様に文法や単語まで隅々やるべきだ。
頭の中で思考が脱線してしまったが、まー白石の後をつけるのが一番手っ取り早いな。
授業の終わりを告げるチャイムがなった。俺は白石に会うため荷物をまとめてる。ふと教室がすごく騒がしくなった。
「おーいたいた伏見くん」
教室の前の入り口に北見会長が立っている。そのせいで教室がライブ会場になったのか。
そして俺のことを呼ばないでくれ、変に目立つ。
ほら見たことか、クラスの視線が俺へと集まる。望んでない大スター気分だ。いや、ホント勘弁してほしい。月里の元友達3人なんか、憎しみに満ち満ちた表情で俺を見ている。
「お姉さん、何か用?」
呼ばれた俺より妹である月里のほうが先に北見会長のもとに向かう。
「昨日、さとちゃんと話したことを伝えようと思ってな」
北見会長は月里のことを"さとちゃん"とあだ名で呼ぶ。
昨日、何かあったのだろうか。玲奈が部活に来た話か?
「そんなこと、私が伝えるわよ」
「まーいいじゃないか。私も伏見くんとは話がしてみたかったのだ」
当人がいないのに、話を進めないでもらえます?
「さあ、伏見くん行こうか」
また、クラスの視線が俺に集まる。
え?行かなきゃだめですか。仕方なく北見会長のもとに向かう。まるでハリヤマの上を歩いているみたいだ。
「それで、何か用ですか?」
「そうだな、とりあえず生徒会室に行くか」
北見会長は周りを見ながらそう言った。
ここで話すのはだいぶ目立つもんね。
「伏見くんは後で返却するから、選択教室で待っていてくれ」
返却って…俺は本かなにかでしょうか。
生徒会室までついていくと、部屋の中には誰もいなかった。
「他の生徒会のメンバーは、図書委員の手伝いで本棚の整理をしに行っている。上級生が多いと伏見くんもくつろげないだろうと思ってな」
俺が聞こうとしたことを、北見会長は教えてくれる。
「家のほうが100倍くつろげますよ。あと、生徒会長は手伝いにいかなくていいんですか」
俺は質問しながら、机に少しだけ腰をあて、体をあずける。
生徒会室は10畳くらいのリビングのような広さで、真ん中に長机を4つくっつけて大きな机にしている。北見会長は奥の窓にある、社長みたいな席に腰をかける。
「生徒会長は多忙だからね。皆、理解してくれている」
多忙なら下級生を生徒会室に引っ張ってこないでほしい。
「椅子に座ってもらって構わないよ」
北見会長はそう言って、椅子を指差す。
「そんなに長い話をするんですか」
「いいや、でもいささか行儀が悪いと思ってね」
たしかに上級生への態度にしては大きかったと思い、指さされた椅子に座る。
「そういえば妹が悪口を言われてるところを叱ってくれたらしいな」
クラスではあまり話題になってなかったが、白石といい、会長といい、その話はそんなに広まっているのか。
「誰から聞いたんですか?」
「昨日君たちが、選択教室で話しているのを聞いてしまってね」
北見会長、盗み聞きは行儀が悪くないんですか。
「月里だけのヒーローか」
恥ずかしいのだから、口に出して言わないでほしい。
「どおりで最近、あの子達の顔を見なくなったと思ったのだ」
「北見会長は、あの人たちが会長目当で、月里の友達でいた事を知っていたんですか」
俺がそう問うと、北見会長は「さーな」とはぐらかす。
この人の悪い癖だ。
「たとえ知っていたとして、それがなにか悪いかな」
悪くない。打算的に友人になることが悪いはずがない。ましてや会長は、その友人関係の外の人だ。悪いはずがない。でも、
「会長は知っていたんじゃないですか。月里が悪口を言われていることを」
「どうだろうな」
「だとしたらあなたは止めるべきだった。妹を救うべきだった」
「私は知ってるなんて言ってないぞ」
「知らなければ知らないっていうでしょ。はぐらかすのは、やめましょう」
会長は両手のひらを合わせて握りしめる。
「君は妹を救ったつもりでいるのか」
救ったなんて、大げさなことは考えていない。でも、月里のために動いたことは事実だ。
俺の沈黙を肯定とみなしたのか、会長は話を続ける。
「生まれたばかりの子犬に狩りのやり方を教えず、餌を与えてばかりでは、その子犬は一人で野生を生きることはできないと思わないか」
月里がそうだとでも言いたいのだろうか。
「会長はほっとくべきだったと、それともお前の友達は悪口を言っているから注意したほうがいいと伝えたほうが良かったですか」
嫌な言い方になっただろうか。
「少なくとも妹が助けを求めるまでは、手を出してはいけなかった。私はたとえ悪口を言われていたとしても月里が平気ならそれでいい」
「月里は、平気なんかじゃなかった。ちゃんと傷ついていた」
俺はつい語気を強くして言ってしまった。
だっておかしいだろ。悪口言われて平気な人なんていないじゃないか。
「そういう意味で平気と言ったわけではない。生活に支障がないという意味で言ったのだ」
この人は何を言っているんだ。
「たとえ嫌われていても嫌いであっても社会に出たら関わらなければいけないことがあるだろう。それを人は社交性とか協調性とか言うのではないか」
「それが月里が傷ついていい理由だと?」
「傷つくだけの価値はあるスキルだとは思うよ。嫌な相手をずっと避け続けるようでは、今の世では生きてはいけない」
北見会長の言っていることはわかる。きっとこの人は正しいことを言っている。
どちらの意見が正解か不正解かの問題ではない。
この人は、俺とは違って、自分の意見が正しいと1ミリも疑っていない。これを人は信念とでも呼ぶのだろうか。だからこの人は、世界で一番正しい人だ。
「それで月里が潰れてしまったら本末転倒だ」
「それじゃー、君は何をしたんだ?」
俺は月里を傷つけるやつを遠ざけただろう。
月里の本物の友達を見つけただろう。
「君がしたことはただ妹を孤立させただけだろう。百合ヶ原くんは結果でしかない。あの子達はこれからだって、妹の悪口を言うだろう。だったら悪態をつかれても一緒にいたほうが、得るものが多かったのではないか」
そんなことないと、言ってやりたいが、反論する言葉が出てこない。すべてそのとおりだ。
「それに妹のことをずっと放置するつもりはない。目に見える危害や不登校に追い込まれたとしたら、私は全力で妹の敵を打ちのめす」
北見会長は席を立ち俺の目の前まで来ると、俺の横の机をバンとたたく。
10センチメートルの間を空けて、俺と会長の顔は接近していた。普通はドキドキするだろう、俺も健全な男子高校生だ。でも、桜も散ったばかりのこの時期に、悪寒しか感じなかった。
「私は姉で生徒会長で北見陽海だ。だから私はあの子を一番愛している。だから私が守るよ。君と違って、私は月里だけを守る」
この人に勝てる要素など一つもない。勝とうとも思わない。ただ悔しかった。自分のほうが月里を思ってると断言され、そのとおりだと思った自分が悔しかった。
だから怯まず俺はその場に立った。
「愛なんて大げさなものは持っていません。ただ無関心以外のすべての感情が愛だと、俺は教わりました。俺は月里に関心がありますよ」
「守るのは俺です」その言葉を捨て台詞のように吐き、俺は生徒会室を出ようとする。
「そういえば、昨日、月里から聞いたぞ」
北見会長に呼びかけられ、ドアの前で振り向かずに止まった。
「月里もついていきたいそうだ。選択教室で待ってると思うから迎えに行ってくれ」
俺はドアノブをひねった。
「ふふ、伏見くんは面白いな。"無関心以外のすべての感情が愛"か。その言葉を教えたのは、私だというのに」