星花女子プロジェクト教職員編キャラクター紹介短編
「悠乃。悪いけど、今日で別れてちょうだい」
「あん?」
*
私立星花女子学園高等部教師、巨勢悠乃。生まれてこの方、恋人を作って一年以上関係を続けられた試しがない。
つい先日もつきあっていた彼女から唐突に別れを切り出されてしまったばかりだ。今回は半年の寿命だったがまあ、つきあいだしてすぐに何か思ってたのと違うなと違和感を覚えだしていたのも事実だし、いざ別れてみても特に悲しいとか腹立たしいとか、そういう感情はなかった。
だけど一戦交えた後のベッドで別れを切り出すかなあ? 最後の情けのつもりか知らんけど。しかも別れたい理由ってのが実は婚約者がいたからときた。世間体のために仕方なく男と結婚するけど本当は女の子が好きなのにどーたらこーたら……と泣きながら言い訳していた。だけどこの子は前から虚言癖の気があったので本当かどうかわからない。苗字が渋沢だから自分は渋沢栄一の子孫で親は資産家だ、と言い張っていたし。
どっちにしろ去る者は追わずの精神で、私はすんなりと受け入れた。
そのときに手切れ金だと言って、なんと三十万円もポンと手渡してきた。私の給料より遥かに上回る金額を。親が資産家というのは本当だったのかもしれない。
――しょうがない。元カノちゃんの気持ち、ありがたく使わせてもらうとしよう
ということで、今は学校がちょうど夏休みの間で特に研修や追われる仕事も無かったから、有給を取って札幌まで旅行することにした。
向かった先は競馬場だった。
「差せー! 差せー!」
単勝をぶちこんだ馬が直線で先頭に立つ。ところが残り50mのところで後続に次々とかわされていった。
「あああ……もうちょい粘ってくれよ……」
結局着外。元カノちゃんのおこづかいの一部はあわれ誰かの手に渡ることになったが、まだまだ資金はある。交通費に宿泊代、すすきので上手いもんを食べたとしてもほんのちょっと余るぐらいだ。つまり自分の懐を一切痛めずに遊び呆けることができる。
教員生活も二年目で慣れたとはいえ、やはり年頃の女の子たちを相手するのはしんどい。それに学園は天寿という企業が経営に携わりはじめて、新しく理事長に収まった女性社長が改革をしようとしているけれど改革には抵抗勢力が出るのはつきもので、私も守旧派と改革派のいざこざに巻き込まれることがしょっちゅうあって。おかげでストレスは結構溜まっていた。
だから涼しい札幌の地で人様の金を使って趣味の競馬に興じても何のバチも当たるまい。ましてや手切れ金だからさっさと使ってしまった方が良いに決まってる。
うーん、我ながらクズの発想だな。
次の第5レースまで時間があるので昼飯を取ることにした。ここの競馬場はモツ煮込みが美味しいと聞いていたのでビールと一緒に頂いたが、本当にめちゃくちゃ美味しい。旅打ちで一人飲みは最高だ。
さらにテラスに出て、キッチンカーでビールとおつまみをおかわり。あーたまらんたまらんと天国気分に浸っていたところ、何やら怪しげな二人組が目に留まった。
一人は頭頂部が薄いおっちゃんでポロシャツにハーフパンツというラフな格好だったが、もう片方は黒いスーツを着ていた。年は若く、スーツは女性用だったが顔立ちは中性的で綺麗だ。しかし競馬場でスーツを着てくるのは競馬関係者ならいざ知らず客席には不似合いだし、容貌も服装も全然釣り合わない二人組は奇妙に映った。
おっちゃんは競馬新聞を片手に何やら険しい顔でブツブツとスーツの人に呟いている。スーツの人はニコニコしているが二人の表情の対比が私のアルコールで鈍った頭でもやっぱり何か変だな、と思わせた。
二人が去っていったところで、記憶の底に眠っていた情報がいきなり急浮上してきた。
「あのおっちゃんもしかして、俳優の森忠次じゃ……」
長年鳴かず飛ばずだったが近年、バラエティ番組に出たことがきっかけで売れだした遅咲きの俳優である。芸能人にしてはオーラが全く出ていない、見かけはフツーのおっちゃんなのだが、ポロシャツのおっちゃんの顔立ちが森忠次によく似ていたのだ。
「だとするとスーツの人はマネージャーか何かもな……」
などと推理してみたが、仕事ついでに遊びに来たのかプライベートなのかまでは知らない。
それよりも次のレースだ。私はパドックに向かい馬の調子を見ていたが、ふと隣を見るとさっきのスーツの人がいたからびっくりした。
さっきのニコニコ顔と違い、おっちゃんよりも険しい顔をしてうんうんとうなっている。何か気になったから馬と交互に横目でチラチラ観察していたら。たまたま目が合ってしまった。
「すみません、お伺いしてもよろしいでしょうか」
そう聞いてきた。私より背が低いから上目遣いで哀願しているように見えた。
「え、な、何を?」
「どの馬が一着になると思いますか? わたくし、実は競馬のことはよくわからなくて困っているのです」
「は?」
そんなの事前にわかってたら競馬新聞なんかいらないよ、と返したくなったが口にはしなかった。もしも今までスッたのが自分の金だったら機嫌の悪さのあまりもっときつい言葉をぶつけていたかもしれない。だけど今は極楽気分の中だったから穏便に、だけどすぐには答えを出してやらず、かわりに疑問点を聞き返した。
「質問を質問で返すようで悪いけど、あなた森忠次のマネージャーさんか何か?」
「あ、はい。気づいておられましたか」
「まあ、気づく人は気づくよね。ってか、森忠次どこ行ったの?」
「お酒を飲んでいます。全然当たらないものだから機嫌が悪くて仕方ありません」
マネージャーさんは苦笑いを見せた。
「そういうわけでお前が代わりに適当に当たりそうなもの買ってこいと、言われましてね」
「ああ、そういうことね」
素人に丸投げすんなよ森忠次。売れてるからってゴーマンになっちゃいないかい?
「賭けるのは森忠次の金であなたの金じゃないよね?」
「ええ、当然です」
「じゃあマネージャーさんにお礼のお小遣いがあたるよう、穴馬を教えてさしあげよう」
「本当ですか、助かります」
私はいたずらっぽい笑みを浮かべて、4番のゼッケンの馬を指差した。
「こいつにドーンとお賭けなさい」
「え、あの……」
マネージャーさんは困惑していた。そりゃそうだろう、4番の馬には「五本目の脚」が生えていたからだ。しかも首を激しく上下させてるわ発汗が目立つわでめっちゃイレこんでいる。人間だと変態呼ばわりされること間違いなしの振る舞いだ。
「雄馬はな、絶好調だと俺様は強いんだぞ、とこうやって激しくアピールするんだ」
「なるほど!」
すっかりウソを信じ切っているマネージャーさん。この子には悪いが、馬券を他人任せにすると痛い目に遭うことを森忠次殿に教えてさしあげなければいけない。ちなみに単勝オッズは186倍のドべ人気、しかも馬っ気出してる状態じゃ絶対に勝てっこない。
「それでは早速馬券を買ってきます」
「買い方はわかる?」
「見て覚えました。ありがとうございます」
そう言い残して早足で去っていった。ナンボ賭けるのか知らないが後でボロクソに怒られることにはなるだろう。気の毒だけど。
私はきっちりと予想を組み立てて馬券を買って、いざレースへ。
『スタートしました。1番のワープシックス好スタート』
軸馬が逃げに打って出る。そのままスローペースの展開に。いいぞ、その調子だと逃げ切れる。
最後の直線。息が入ったワープシックスにムチが飛んでラストスパート。一馬身二馬身と後続を突き放していく。最終オッズは10倍ぐらいだが諭吉を二人分ぶち込んでいる。これで負けを取り返してお釣りも返ってくる。目の前に\マークがちらつき出したそのときだった。
『先頭はワープシックス、しかし外から一気にやってきたのは4番ヘッドショット! グングン差を詰めてくる!!』
ウソだろ。4番ってあの……
『捉えるか!? 捉えるか!? 捉えた!! ゴールイン!! 勝ったのは4番ヘッドショット! 最後は凄い脚を見せました!』
\マークがボロボロと崩れ落ちた。パドックであんなにイレこんでたのに勝つかあ?
レースが確定して払い戻しがターフビジョンに映った瞬間、観客がどよめいた。単勝17,800円の数字。パドックで見たときよりオッズが下がっていたものの高配当には変わりなく、あちこちで「あんなん買えんわー」という声がする。
しかしいるんだよな、買った奴が。よりによって私がついたウソで。
「あ、いました! あちらです!」
心ここにあらずの状態で後ろを振り返ると、マネージャーさんがいた。森忠次も一緒に。マネージャーさんの目はキラキラしていた。
「さっきはありがとうございました! あなたのおかげで……」
「しっ!」
森忠次が指を口に当てた。当てましたなんて大声で言ったら周りの観衆からどんな目で見られるか。マネージャーに代わって森忠次がサングラスを外し、一般人の私に丁寧に何度も頭を下げる。
「どうも失礼しました。いやー、この子にアドバイスをしてくださったそうで、本当にありがとうございます。おかげさまで帯を取ることができました。どうです、よろしければお礼にお食事でも」
「いや、結構ですよ。そんなつもりじゃないんで」
ショックで心ここにあらずだったから、芸能人が目の前でペコペコしているのが視界に入っていても脳が認識していない状態だった。
ケチがついてしまったから、この先運が向く気配はないだろう。さっさと切り上げよう。
「すいません、これから行かなきゃいけないところがあるんで」
「ああっ、ならばせめてお名前だけでも聞かせてください!」
「名乗る程のもんじゃないんで、失礼します」
私は脇目も振らず、人を押し分けて立ち去った。せっかくの旅打ちが台無しだが、負け戦になるとわかってギャンブルを続けるのは自殺行為に等しい。いくら手切れ金でも使い所というものがある。
「しゃーない、適当に観光するか……」
結局その日はすすきので散財しまくって、気がついたらホテルのベッドで寝ていたという有様だった。よく戻ってこれたなと思う。
ちなみに後日、森忠次はバラエティ番組で単勝万馬券をぶち当てた話をして、そのことがきっかけで競馬中継のゲストに呼ばれるようになったという。
*
立成16年4月1日。新学期や新入生の受け入れの準備であたふたしている頃、朝礼で新規教職員の紹介があった。その中に背の低い、しかしやたら綺麗な顔をしたスーツが似合う人がいたが、どこかで見たような気がしてならなかった。その人が自己紹介を始めた。
「天寿から出向してきた乙七海と申します。天寿では広報担当としてタレント部門の立ち上げに関わっていましたが、こちらでも入試広報室長という大役を仰せつかりました。若輩者ではございますが星花女子学園の発展のため努力して参りますので、みなさまご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
室長を任されるにしてはかなり若く見える。とはいえ天寿は年功序列ではないし、社長も変な人事をする方ではないから相当有能なのだろう。しかしどこかで見たような気がする。
などとずーっと考え事をしながら仕事をしていて、そのまま昼食の時間になってコンビニ弁当を食べようとしたときだった。
「お食事中に失礼します。巨勢先生ですね?」
「あ、乙室長」
私は立ち上がって「巨勢です」と挨拶したら、乙室長はニコニコ笑って「お久しぶりですね」と言った。
「どこかでお会いしましたっけ……?」
「四年前、札幌で」
「…………………………あーーーっ!! あのときのマネージャーさん!!」
職員室じゅうの視線が私に集まってしまい、「すみません」と小声で謝った。
だけど乙室長は、紛れもなく札幌の競馬場で出会った森忠次のマネージャーその人だったのだ。
「思い出して頂きましたか?」
「はい、でも天寿から出向してきたって聞きましたけど……」
札幌のときには初対面にも関わらずタメ口を聞いていた相手に敬語を使う。たまたま旅先で話しかけてきた赤の他人が、後に同じ職場になる確率は果たして何分の一になるのだろうか。
「ヘッドハンティングされたんですよ。社長から直々にね」
天寿はタレント部門立ち上げのために様々な人材をかき集めていたが、その中に芸能界のノウハウを熟知している乙室長がいた、ということらしい。
「何で天寿の芸能事務所じゃなくうちに来たんです?」
「そうですねえ。理由はあと一、二年したらわかるでしょう」
「はあ」
後にアイドルや女優が星花女子学園にやって来るだなんて、このときの私には全く想像ができなかった。
「ところで四年前のことですけど、あのときは本当にありがとうございました。おかげさまでわたくしも恩恵を受けることができました」
「おおー、それはそれはおめでとうございます」
「今度お礼させてください。この辺で芸能人がよく訪れる店をいくつか知ってるんですよ」
「んー、じゃあ室長の歓迎会も兼ねてということで、お言葉に甘えさせていただきます」
適当にぶっこいたウソなのでお礼してもらうことではないのだが、これから同じ職場で働くことになる相手なのだから仲良くしておくに越したことはない。
「それでは、お食事中失礼しました。今後ともよろしくお願いいたします」
「こちらこそよろしくお願いします」
乙室長は去り際に立ち止まって振り向いた。
「そうそう、ひとつ言い忘れてました。巨勢先生、あのときわたくしにウソをつきましたね?」
ぎくっ。
「なぜですか?」
顔はにっこり笑っていたが、小さな背丈に似合わない低い声には得体の知れない鋭さがあり、身が震えた。
いやいや、何でビビらされてんだよ私。ここはハッキリ言ってやらないと。
「それは……馬券は見ず知らずの人に予想を聞いて買うもんじゃないよと教えたかったんで」
「ですよねえ」
乙室長の声のトーンが高くなった。
「あのときはとんだご無礼をいたしました。このお詫びもお礼とともに形でさせて頂きますので」
「た、楽しみにしています」
乙室長は今度こそ職員室から退室した。途端に忘れていた空腹感を思い出す。
「何か知らんけど、嵐が起きそうな予感がするなあ……」
コンビニ弁当の味はいつもより薄い気がした。