式神の依り代
ファルハーナの部屋を出ると、アイーシャと共に監視カメラの映像を確認するために警備室に入った。
部屋から出てくる侍女の映像を見て、最後に出てきた侍女の名前を教えてもらった。
「この侍女がどうかしたのですか?」
麗子は話をアイーシャにしていいものか悩んだ。誰が犯人なのか分からない段階で、無闇に情報を広げるのはまずい。
「いえ、ちょっと気になることがあっただけです」
「それを教えてはくれないのですか?」
「今はまだ……」
アイーシャは突然、怒ったように手を振り上げた。
「ハリーファのために頑張って通訳をしているのに、私を信じられないんですか!」
さらに大きなジェスチャーで、怒っていることを伝えようとする。
「教えてください!」
「……」
麗子には話すことはできなかった。
ハリーファには命令が入ったようだが、ジャファルもファルハーナも何か完全に掛かっている感じではなかった。二人続けてそうなったということは、予めこちらの情報がバレていると考えるべきだ。
ヒジャブから見える目を見ているだけでも、アイーシャの怒りが伝わってくる。
「もういいです。祈りの時間もありますから、私はこれで」
アイーシャは警備室から一人出ていく。
男ばかりの警備室なので、そのままではいられない。麗子達もアイーシャを追いかけるように出ていく。
警備室を出ると、広い建物の中を、アイーシャは逃げるように去って行ってしまう。麗子と橋口は、アイーシャを見失うと同時に、自分達のいる場所も見失った。
「完全に迷子になってしまったんだケド」
「確かこっちだよ」
麗子はそう言って廊下を進み始める。
「あれ?」
「はぁ…… 方向音痴の麗子に任せたのが間違いなんだケド」
「……」
今度は橋口が先を歩いて、麗子が後をついていった。
橋口でも部屋に帰りつけなかった場合は、時間跳躍した時、道を間違えたのは誰だっけ、と言い返そう。麗子はそう思いながら、歩いていた。
橋口が通路の先の曲がり角を曲がって姿を消したかと思うと、尻餅をついた。
「ヒッ!」
そう言うと、お尻を床についたまま後ずさってくる。
「ど、どうしたの?」
「アイーシャが居たんだケド」
「そりゃ、ここに住んでるんだから……」
麗子も曲がり角につき、橋口の見ているものに気づくと、後ずさった。
「これアイーシャ…… じゃないよね」
そこにアイーシャのような、そうでないような者が立っていた。
本物のアイーシャなら、いくらさっき気分を害したとは言え、何か反応があるはずだ。
しかし、その者は何も反応しない。
しかしながら姿形は『アイーシャ』そのものなのだ。その者はアバヤどころか、ヒジャブも、ニカブも、つけていない。ゆっくり動き出すと、モーターのような音が微かに聞こえる。
「この音…… ロボットなんだケド」
そうか、この違和感。このロボットはいわゆる『不気味の谷』を越えきれていないのだ。
「すごい精巧にできてるね。びっくりしちゃった」
『ようこそいらっしゃいました』
口の機構は非常に自然に開閉して、中から声が聞こえた。
突然しゃべったので、お互い目を丸くして顔を見合わせる。
すると何か思いついたのか、ポンと手のひらを叩いてから、麗子が言った。
「これだ!」
「突然、どうしたんだケド」
橋口は立ち上がるとそう言った。
「これに通訳してもらおう」
「だからこれはアイーシャじゃないんだケド。ロボットなんだケド」
麗子はニヤリと笑った。
「これを依り代にして、式神を憑けるの」
「えっ? 確か、麗子は式神使えないんだケド」
「初めてやるけど、この前、かんなが『蛇』の式神を作って、操るのを見ててなんとなくわかったわ」
それにこれだけ明確な形の依り代があれば、後はここにこちらの意図する霊を埋め込むだけだ。紙から式神を作り出すより簡単だろう。そして、言語については、このロボット側にある程度能力があるだろうからそれを利用すればいい。憑けた霊の力を合わせれば、あたかも人間のように自然に振る舞うことができるはずだ。
「麗子がそこまでいうならやって見せるんだケド」
「問題は、勝手にやっちゃっていいのか、どうかだけど……」
「後で解けばいいんだから、やってみればいいんだケド」
まあ、そうか、と麗子は思った。なんでもかんでも、許可を取ろうとすると、知られたくない相手に情報がバレてしまう。
麗子は右手の人差し指と中指を伸ばし、口元で呪文を吹き込む。
そしてその指をロボットの額にそっと当てる。
「この者に宿りし霊に告げる。我に仕えよ」
『仰せのままに』
「うわっ、今度は、わかる言葉でしゃべったんだケド」
麗子は笑った。
「私たちの部屋に案内して」
『承知いたしました』
ロボットはモーター音をさせながら、踵を返し、歩き始める。
「なんでこのロボットが私たちの借りている部屋に案内できるんだケド」
「多分、この建物のシステムと、ネットで繋がっているんだと思うよ」
ロボットは歩くのが遅かったが、ついて行くことで、確実に借りている部屋に戻ることができた。
「あなた、充電状態は?」
『残り三十パーセントです』
「そう。充電はどうするの? ここでできる?」
『ここでできます。直ちに充電します』
ロボットは自らの脹脛を開くと、電源ケーブルを取り出して、コンセントに差した。
「あんた何者なんだケド」
『……』
「あんた、私のいうことわからないんだケド」
『……』
「何が聞きたいの?」
「どういう経緯で作られたモノか聞きたいんだケド」
『……』
麗子は橋口の聞きたいことを言ってみた。
「あなた、どういう経緯で作られたの?」
『ハリーファ様が夫人達の美貌を永遠に残そうとして作られました』
麗子の前に手を伸ばして、橋口が前に出た。
「なんであんた、答えるんだケド」
「やっぱり『ケド』がつくと何を言っているか理解できないんじゃない? それより、このロボット、他の婦人達のもあるってこと?」
アイーシャのようにしゃべるロボットは、否定した。
『夫人全員分を作成予定で、3Dスキャンは終わっていますが、意外とお金が掛かかった為、現在はプロジェクトが止まっています』
「……王族でもお金に限りはあるのね」
「まあ、当然なんだケド」
麗子はロボットの姿を見つめた。
『?』
視線に気づいたロボットは、言葉には出さなかったが、少し首を傾げ、麗子を見つめ返した。
これは見つめる麗子に対し、疑問符を返す仕草と考えていい。ロボットに式神を憑けたおかげで最初に感じた『不気味の谷』を越えたのだ、と麗子は思った。
だが、完璧に思えるが、問題が一つだけある。さっき話していて分かったのだが、この式神は橋口の言葉を理解しない。多分、橋口の語尾だけなんとかすればいいのだが、こればかりはどうにもならないだろう。
麗子はあることを思いつき、ロボットに命じた。
「そうだ。充電が終わったら、私たちに侍女をつけてくれるよう、皇太子の執事に交渉してきて」
『承知いたしました』
「あなたに名前がないと困るわね。アイーシャじゃ混乱するし」
麗子は考えた。スマフォを使って、王国の言葉を調べていると、良い名前が見つかった。
「アーヤ。アーヤにしよう」
「何それ。なんだケド」
麗子はスマフォを見せて言う。
「奇跡って意味らしいよ。なんか聞き馴染みのある感じだし」
ロボットが言い返してきた。
『私の名前はアイーシャですが』
「いいから。私たちがあなたを呼ぶときは『アーヤ』と呼ぶって覚えておいて」
『承知いたしました』