ハリーファの弟、ジャファル
麗子達は軍の施設に行った後、車内に戻った。
そこで突然、麗子と橋口が喧嘩をしたので、侍女のモナは困っていた。
押したり掴んだり、引っ張ったり、叩いたりする喧嘩は収まったかに思えた。
だが、麗子と橋口はそっぽを向き、顔を合わせようとしない。
そのせいで車の中は静まり返っていた。
その上、アイーシャはなかなか施設から帰ってこない。
侍女のモナは、耐えきれなくなったのか、スマフォに声で入力した。
『夫人の帰りが遅いので見てきます。仲良くしててください』
翻訳すると、二人にスマフォの画面を見せた。
麗子と橋口はそれぞれ目を合わせないよう、画面をチラッと横目で確認する。
モナはエンジンを掛けたまま、車を降りて施設に向かっていく。
無言のままの車内空間に耐えられなくなり、麗子が口を開いた。
「確かに長いわね。何かあったのかしら」
「皇太子とエッチしているに決まってんだケド」
「またその話、蒸し返すの?」
麗子は後ろを向いて橋口を睨みつけた。
「服が濡れて、着替えなければいけない。どうせ服を脱いだのなら、夫に見せたい。二人は愛し合う夫と妻なんだから、そう言う流れは自然なことなんだケド」
「……」
あの湯の外に出れば急速に老化してしまうのだ。そんなに長くは愛し合えない。あるいは、湯をかけながら、続けるのだろうか。いやいや、そんな想像をしている場合じゃない。
「で、かんなは、誰が怪しいと思う?」
「話を逸らしてきたんだケド」
「エッチのことばっかり、ずっと考えてても仕方ないでしょ」
橋口は窓の外を見ながら答えた。
「疑うとすれば…… 皇太子本人が言ってことでもあるし、定石から考えても王位継承を早くしたいと思われる『弟』になるんだケド」
「そうよね」
この国では男女の区別が厳しい。弟を調べるのはかなり困難が伴う話だった。しかし、一番疑わしいものを調べないわけにはいかない。
「話を聞けるか、アイーシャに話してみよう」
「アイーシャに言って、命令で隠し事ができない、というのは内緒にしてもらわないといけないんだケド」
「……」
確かにその通りだ。警戒されたら『命令』が掛からない可能性もある。
「それにしても時間がかかりすぎ」
車の中で麗子と橋口はスマフォを眺めて時間を過ごした。
ようやく、軍の施設からモナとアイーシャが出てきた。
モナが後部ドアを開けると、アイーシャが乗り込んできた。
「お待たせしました」
「何かトラブルでも?」
運転席に乗り込んできたモナがその声に被せるようにこう言った。
『さあ、出発しますよ。シートベルトをしてください』
モナが言うと、アイーシャが返す。
『シートベルトなんてする意味ありますか? ただまっすぐな道を帰るだけですよ』
『規則ですから』
「すみません、お二人ともシートベルトをしてください」
シートベルトをすると、車が走り始めた。
「アイーシャ、申し訳ないんですが、私達、弟のジャファルの話を聞きたいので、連絡をしていただけませんか。後のその際ですが、さっき使った隠し事を話させる力については、黙っていて欲しいんです」
「いいですが、いつ頃」
麗子は橋口の顔を見て、頷いた。
「早ければ早いほどいいです」
「ジャファルの妻であるナーディアとは良く話をするので連絡してみます」
アイーシャはスマフォを取り出して通話を始めた。
笑い声も交えながら、さまざまな話をして通話を切った。
「これからでも良いそうです。ただ、ナーディアもいる状況で会うことになりますが、よろしいでしょうか?」
麗子は再び橋口の表情を見てから、言った。
「構いません」
「わかりました。このまま向かいます」
アイーシャはそう言うと次女のモナに言う。
『これからジャファルに会うことになりました。ナビの目的地をジャファルの家にセットして』
『アイーシャ様、承知いたしました』
モナはおもむろにナビの操作をすると、ナビがアラビア語で何か返答した。
ただ、ナビの地図に見える道筋は対して変わっていなかった。
ずっと真っ直ぐ走っていた車が、ようやく角で一度曲がった。
突然、破裂音がして車が激しく蛇行する。
「何!」
『パンクしたかも!』
激しい上下動で、状況が把握できない。
減速しながらだったが、路肩に駐停車していた車に追突して車が止まった。
車内のエアバッグが開き、そして縮んでいく。
『大丈夫ですか!?』
『大丈夫よ』
「かんな、大丈夫?」
「麗子の方こそ大丈夫なんだケド!?」
全員無事だった。
すぐに全員外に出て、連絡をした。
車はタイヤを変えれば動く状況だったが、事故の処理や原因を調べるということで動かせなくなった。
「車の整備はきっちりしていたので、なぜこうなったかが分かりません」
アイーシャは続ける。
「車自体も何年も乗り続けたようなものではありませんし、それこそタイヤのチェックはしているので、本当に思い当たることがない状況です」
侍女のモナは、家からやって来る従者に事故の引き渡し処理をするため、この場に残ることになった。アイーシャと麗子達は、従者を乗せてきた車でジャファルの家にいくことになった。
従者を乗せた車が着くと、アイーシャは言った。
『モナ、頼みますね』
車は、さっきのものより少し大きめの車だった。
運転はやはり女性で、侍女のタグリードだった。
麗子は心配になって尋ねる。
「やっぱり最近免許をとったってことですよね」
アイーシャは侍女と少し会話をした後言った。
「タグリードは軍にいたから、免許取る前から、軍用車を運転してたから大丈夫」
「女性も軍に入るのですね…… けど、まさかパンクするなんて」
麗子がそういうと、アイーシャはすまなそうに返す。
「大変、失礼しました」
「いえ、そういう意味ではないんです。何者かが、私たちをジャファルの家に行かせたくないとか、そういうことが考えられるのかな、って」
「……」
アイーシャは黙ってしまった。
麗子は思う。この『パンク』が仕掛けられたもので、私達をジャファルの家に行かせたくないのだとすれば、ジャファルは犯人ではなく、逆に呪いをかけた『本当の犯人』を知っている人物ということになる。
それは誰なのか。それともパンクは偶発的なもので、私の考えすぎなのか。
麗子は走る車の中で、そんなことを考えていた。