塔の上の会話
三棟からなるブルジュ・ジャファルの、二番目に高いビルの最上階だった。
そこに要人だけを招き入れる応接室があった。ベランダがあって外にも出られ、階下を眺めることができる。
ビルの下にはプールがあるが、今は誰もいない。
その要人用の応接室に、ハリーファの第一夫人であるアイーシャが立っていた。
そして、それと同じ容姿のロボットも同じように立っていた。
二人ともアバヤは脱いでいた。
奥の自動ドアが静かに開くと、ジャファルとその夫人、ナーディアが入ってきた。
自動ドアが閉まるのを待って、ジャフルは言った。
『突然の訪問ですが、一体どうなさったのですか』
『真相が知りたいのです』
ジャファルは顔色も変えず、答えた。
『真相とは?』
そう言いながら、ジャファルはゆっくりと応接室のソファに座った。
『なぜファルハーナがハリーファに呪いを掛けたか、いや、掛けることが出来たのか?』
聞こえていないかのように反応がない。
『なんのことを仰っているのかわかりませんな。ファルハーナ様の呪いであれば、彼女が死んでしまった今、呪いが解けていなければなりませんが、まだ兄は呪われ続けています』
『それは私が呪いをかけたからです』
ジャファルは身を乗り出し、大きく手を開くリアクションをして、驚いてみせた。
『そんな! 兄を呪っているのはアイーシャ様だったとは』
アイーシャは声を張り上げた。
『とぼけないで!』
『私が何をとぼけているというのです』
『ファルハーナに呪うよう導いたのがあなただからです』
再び無反応になったジャファル。
体が背中からソファーに沈んでいく。
『根拠がない話ですな』
『呪いをかける為の香木を買ったのは貴方ですね』
『同じことを言わせないでください。何を証拠におっしゃっていますか?』
ジャファルは落ち着いていた。
『伝票も、監視カメラの映像も、上手く消せたと思ったでしょうけど』
アイーシャはジャファルの反応を見るため、一拍置いた。
『……裏帳簿に記録があった』
『ほう? そう言った取引が、あるのなら見せてほしいものですな』
アイーシャは言った。
『裏帳簿は、警察がしっかり押収しています。私は皇太子が呪われた日付より前の記録を、このロボットに調べさせました』
アイーシャが自身と同じ格好をしたロボットを指差した。
『それはファルハーナが購入する際に、偽名を使ったのでしょう。もし私が買ったなら、ファルハーナに渡すようなことはしませんよ。買ったのは確か相当高価なものだった。香が分からない人にあげるには惜しいですから』
『ファルハーナがいないからって、なんとでも言えると思っているのかしら』
『それは違うな。百歩譲って私が買ったとします。しかし、ファルハーナに与えるようなことはしていない。そういう曖昧な人の発言のみに支えられた事は、そもそも証拠として価値がないんです』
ジャファルはソファーからゆっくり立ち上がった。
そして応接室にあったバーカウンターに行くと、グラスを取ってブランデーを注いだ。
『話はそれだけでしょうかアイーシャ様。私も忙しいので、そろそろお引き取りいただけませんか』
『そもそも』
アイーシャは言った。
『私がスワイリフを見初めて、結婚を願っていたのに、私の存在をハリーファに知らせ、結婚を焚き付けたのはジャファル、貴方でしたね』
『そうでしたかな』
『ファルハーナも同じ運命だった。ファルハーナもスワイリフと結婚しようとしていたのに』
ジャファルはブランデーを飲み干すと言った。
『私は、貴方や、ファルハーナ様の気持ちは分かりませんでしたから。もしアイーシャ様の言う通りだとすると、ファルハーナと兄の結婚は、貴方に責任があるのでは? 貴方はファルハーナがスワイリフのことをどう思っているか、知っていて第四夫人とすることに賛成した。貴方が断れば、ファルハーナは兄とは結婚せず、スワイリフと結婚してしまう。貴方は他人の幸せが妬ましかったんだ。醜い感情からファルハーナを不幸にしてしまったということになる』
アイーシャはジャファルを睨みつけた。
ジャファルはニヤリと笑って言葉を続けた。
『そして、さっきおっしゃったように、今も兄を呪っているのなら、一番酷いのは貴方ではないですか』
ジャファルはチラリと天井を見るふりをして、照明の形をしたカメラが録画動作していることを確認した。
『兄を呪っているだけでなく、スワイリフと浮気までして…… 狂っているのは貴方の方だ』
『なっ!』
『軍の施設のカメラを調べれば、ファルハーナや貴方がスワイリフの執務室に入っていくのは簡単に分かるんです。どうして誰にもバレていないと思っていたのですか』
アイーシャはジャファルに掴みかかろうとした。
ソファーを乗り越えたナーディアが、アイーシャの手を掴んで捻る。
『ナーディア、貴方も全て知っているんでしょう?』
腕を捻ったまま足を掛けて倒し、ナーディアはアイーシャの上に跨った。
『……』
ジャファルは部屋の時計を見てから、自らのスマフォを操作して軍の司令官に連絡する。
黒王は年齢から軍の指揮が出来ない。皇太子は風呂場に閉じ込められている。継承順から、ジャファルが統括的な指揮をとっているのだった。
スマフォをスピーカーにして、バーカウンターの上に置いた。
部屋に司令官の声が響いた。
『ジャファル様。ご用件は』
『戦果と被害状況を報告しろ』
『スワイリフ様の作戦が功を奏し、敵国の大隊を一つ潰しましたが、しかし……』
ジャファルは抑え込まれた床から見上げるアイーシャの目を、チラリと見てから言った。
『しかし、なんだ』
『スワイリフ様の司令部だけ狙われたように報復攻撃を受けてしまい』
ナーディアはゆっくりと抑えていた力を抜くと、アイーシャが立ち上がる。
『受けてしまい、なんだ』
『スワイリフ様の戦死を確認しました』
ジャファルはそのままスマフォを切った。
アイーシャは俯いて、毛足の長い絨毯に涙を落とした。
そして不意に走り出して、ジャファルの首を絞めようと手を伸ばす。
ジャファルに届く直前、ナーディアが背後から捕まえて、羽交締めにした。
『敵国にスワイリフの位置を売ったのね』
『私は王族だぞ、国が不利になるようなことをすると思うか』
手足を出鱈目に動かすが、ジャファルには届かない。
『なぜスワイリフまで殺したのです。あの人は関係ない。浮気をしたのは、ただ私が悪いだけ……』
アイーシャの頭の中にスワイリフの顔が思い浮かぶ。
結局、スワイリフが好きだったのはファルハーナだった。
私は、しつこく迫ってくるから相手をしただけのこと。
スワイリフが死んだからと言って、私が悲しむ必要はない。
アイーシャはそう考えようと、必死に自分を騙そうとした。
けれど、ダメだった。
心の奥から溢れていく感情で、涙が止まらなかった。
『何を言っているんだ。全く根拠も、証拠も、何もない』
アイーシャの心の中で、何かが折れた。
『ナーディア。放しなさい』
『ジャファルを傷つける者は許さない』
『放せ!』
身体ごと後ろに預けるように倒れると、アイーシャの頭で顔を打ったナーディアは気を失ってしまう。
ジャファルは、ナーディアを心配する訳でもなく、後ずさって言った。
『無駄だ。叫べば、すぐSPが入ってくるぞ』
アイーシャはジャファルを追いかけようとせず、踵を返した。
そのままベランダに出ると、そこに足を掛けて上がってしまった。
『何をする、やめろ、アイーシャ』
ジャファルは、監視カメラの角度を気にしながら、邪魔にならない位置でそう言った。
その声は『止めろ』と言いながらも、心の中ではアイーシャの背中を押しているようだった。
どの道、アイーシャにはその声は届かない。
『ハリーファ様。私はもう貴方に会う資格はありません。ここで命を絶ちます』
そう言うとアイーシャの体は、ベランダの向こうに消えていった。




