呪いの結末
シュルークは再び車を運転し、麗子達を軍の施設に連れて行くことになった。
麗子は通訳の為、ロボットのアイーシャを乗せていた。
「麗子ちゃん。さっきの会話、この娘に通訳してもらいたいんだけど」
有栖はスマフォを振ってみせる。
「えっ? さっきの会話って?」
麗子はなんのことか分からなかった。
「ほら、皇太子の弟とか、第二夫人、第三夫人、弟の妻とかいたでしょ」
有栖に頷かれたことを思い出す。
「あの時だ」
「そうそう」
アイーシャがスマフォを受け取ると、自分のWiFiに接続設定をして、有栖が録音した会話をロボットのアイーシャにアップロードした。
「文字に起こせる? 文字にしたら、麗子ちゃんとかんなちゃんにも配って」
『承知しました』
麗子と橋口のメッセージアプリにも、自動翻訳した会話が送られてくる。
内容を要約するとこうだった。
第三夫人はファルハーナの自殺を信じたくなかった。ジャファルとナーディアは警察が調べた通り自殺だと繰り返した。走り書きにはこうあった。『愛する人が、信じられない』と。弟のジャファルは、今日はファルハーナが兄と会う日だからそこで何かあったに違いないと言う。
「第三夫人は結構強く自殺説を否定するわよね」
「こっちが捕まえた情報だと、バスルームで毒を飲んだって」
「えー」
有栖が否定的な反応を示した。
麗子は車を運転しているシュルークに聞いてみる。
「王国の人は、服毒自殺するときバスルームでやる?」
『手首を切って死ぬ時は、バスルームですからね。それとあまり変わらないんじゃないですか?』
服毒自殺の場合だとバスルームである必然性がないんだけど、そう言う感覚なら薬を飲む場所イコールバスルームという考えなのかもしれない。
「なんでジャファルが来てたのかな?」
シュルークが答える。
『兄の夫人達ですからね。一応、家族ですし』
「ハイファーの情報はある?」
『まだ何も。取り調べからは帰ってきてないです』
弟のジャファルが言う通り、ファルハーナが自殺なのだとしたら、ハイファーの取り調べが長くなる理由はなんなのだろうか。
他殺の線があるからなのではないのか。つまりハイファーが疑われている。
車が軍の施設に着いた。
全員が降りて、施設の建物に向かう。
建物側から出てきたのは、見知らぬ男だった。
小柄で、茶色い肌はかなり濃い色だった。
シュルークが言う。
『スワイリフじゃないの?』
『スワイリフ様は、出征しました』
『出征って、紛争地域にってこと?』
麗子達はアイーシャに通訳してもらう。
「スワイリフが戦場に出た……」
「第四夫人との不倫の件が確認出来なくなっちゃったんだケド」
「かんなちゃん、もうそこはいいんじゃない?」
有栖は頭を横に振りながら、そう言った。
「とにかく、呪いが解けているか、確認しないと」
「それさえ確認できれば、私たちも帰国できるんだケド」
どちらかというと、皇太子が納得するかの方が問題だけど。と麗子は思った。第四夫人がなぜ死んだのか。死の真相を知りたいと言うのが本音ではないだろうか。だが、それは私たちに出来る事ではない。ただでさえ他人の考えを理解するのは難しいのに、言語も、宗教も、習慣も違う人たちの思いを、異文化圏で生まれ育った人間が理解するのは不可能だ。
スワイリフ代行の案内で皇太子の閉じ込められている風呂場に着いた。
アバヤだけ脱いで中に入る。今日は、シュルークも一緒に中に入ることにした。
『なんだ、お前達は!』
皇太子は怒っていた。
『呪い主を探すのが問題じゃない。呪いを解けと言ったんだ。なぜファルハーナが死ななければならなかったんだ! お前達のせいだぞ!』
麗子は声を張った。
「第四夫人が亡くなってしまったのは本当に悲しいことです」
アイーシャが通訳するタイミングを待ってから言う。
「が、第四夫人が何らかの呪いをかけていたのは事実で、間違いがありません」
『私を? 夫である私を恨んでいたと言うのか』
皇太子は自らと夫人との関係に、すごい自信があるのだろう。
有栖が風呂に浸かっている皇太子に言った。
「ちなみにですが、夫人との関係は良好だったと?」
『今日だって……』
皇太子は何か思い返しているようだった。
有栖が責め立てる。
「じゃあ、今日はどんなことをしたんですか」
『楽しく話をした』
心なしか、さっきまでの強気な感じが弱くなった。
有栖のツッコミは続く。
「それだけ? ちなみに、どんな話をしたんですか?」
『日常の、他愛のない話だ。話をする以外に、他に何をすればよかったと言うのだ。ここで出来ることは限りがあるだろう』
確かに皇太子の言う通りだ。二人きりとはいえ、この空間で何かするには勇気がいる。
麗子が割り込んだ。
「呪いが解けているか、確認しませんか」
皇太子に掛けられている呪いは、この湯から上がり、乾いてくると急速に老化してしまうというものだった。
お湯ならなんでもいい訳ではない。だが、湯自体には呪いはない。この場から離れることが問題なのだ。
「もし、解けていなかったらすぐに湯に戻れるように、あまり離れないでください」
『ああ。わかった』
ラッシュガードと水着を履いた皇太子が、湯から上がる。
会話のために顔を出していたから、一番早く乾くのは顔だろう。
立ち上がり、一歩、二歩、と湯の外に歩いてから立ち止まる。
滴り落ちる湯が集まり、排水溝へ消えていく。
麗子達と睨み合うように対峙したまま、時間が経っていく。
「だめなんだケド」
皇太子の、艶やかな黒い髪が、白くなってきた。
額や目尻から皺が増え始め、あっというまに老化していく。
麗子は言った。
「残念ですが、呪いは解けていません」
『なんだと、では何故、ファルハーナは死んだのだ。呪いの代償ではなかったのか?』
言い終えると、皇太子は、水棲生物のように滑らかに頭からお湯に戻った。
泳げるほど深くは見えないが、頭から入っても怪我をしないほどには深さがあった。
「……」
何故だろう。確かに第四夫人の背中から『契約完了』の文字を確認したのだ。夫人が別の人に呪いを掛けていたと言うのだろうか。
「スワイリフ…… まさか?」
麗子は考えた。第四夫人はスワイリフに呪いをかけた? 第四夫人が掛けた呪いで、スワイリフが戦場に行ってしまったのではないか。だとすると、皇太子に呪いを掛けた者は他にいることになる。
湯の中から上がって元の姿に戻ったハリーファが言う。
『早く探せ。俺が夫人に恨まれる覚えはないんだ!』
「わかりました」
麗子は深く頭を下げた。
シュルークも必死に謝っている。
脱衣所まで戻ると、麗子はシュルークに謝った。
「ごめんなさい。私のせいで怒られちゃって」
『いいんです。侍女って怒られることが多いので』
呪いが解けたと、ぬか喜びしていた施設の人は、シュルークの説明を聞いてがっかりしていた。
施設を出て、車に向かうところで、橋口が言った。
「麗子、どうしよう。振り出しに戻っちゃったんだケド」
「……」
麗子はジープを見つめながら言った。
「まだ身体検査をしていない人が残ってるよ。最後、第一夫人の身体検査が……」
「それはそうなんだケド」
「部屋に行こう。絶対に調べよう」
麗子の意見に、橋口も有栖も頷いた。




