現場急行
救急車が来て、二階から遺体を引き上げていく。
警察が来て、現場の写真を撮ったり、証拠になりそうなものから遺留物のようなものを探したりしている。
上下がすっぱり切れている棚を見て、何を使って切ったのかを聞かれる。
どうやら、この建物には監視カメラがなかったらしく、警察も状況が分からないようだった。
監視カメラがあったとしてもあの肌の青い男は映ってはいまい、と麗子は思った。それより早くこの話が皇太子のところまで行って、王族の案件だから、適当なところで取り調べを中断することを期待していた。
麗子はアイーシャに言う。
「私たちが皇太子の呪いを調査しているってことは伝わっているの?」
『伝わっています』
それなのに忖度なしなのか。麗子はため息をついた。
「麗子、この王国には霊能課ってやつがない見たいなんだケド」
確かに、この棚を切った部分には、まだ燻ったようにオーラが上がっている。霊能課の人間なら、現場検証時に気づくだろう。
「困ったな。つまり、この棚の件が、霊体の仕業だと言うことが信じてもらえないってわけよね」
突然、有栖が思い出したように手をポンと叩くと、言った。
「そうだ。忘れてた」
そしてアバヤの中に手を引っ込めると、小さなカードを出した。
それをアイーシャに突きつける。
「アイーシャ、訳して」
『この人は、王国での刑事事件を捜査できる権限をもらっています』
奥にいた一番偉そうで、小太りの警察官がゆっくりと有栖に近づいてきて、有栖のそのカードを奪い取る。
訝しげに有栖のことを見つめながら、ボソボソと言う。
『何を馬鹿げたことを言ってるんだ異国の、しかも女性に捜査権を……』
スマフォで撮影して、警察本部に問い合わせをしている。
電話を切ると、カードを投げ返す。
空気抵抗でデタラメな軌道で飛んでくるカードを、有栖は正確にキャッチした。
すると大きなベルのような音がした。
偉そうな警察官のスマフォの着信だった。面倒臭そうな表情で、電話に出たが、しばらくして表情が変わった。
スマフォを切ると、再び有栖に近づいてきて言った。
『これは失礼した。王族から呼び寄せられた霊能犯罪調査の方でしたか』
「わかってくれればいいです。被害者の状況は?」
アイーシャが必死に通訳する。
『先ほど運ばれていった男の死因は、まだ確定していませんが、毒殺と思われます。簡易検査ですが、そこの机にあったカップから毒物が検出されています』
「ちょっとそのカップを見せていただいていいですか。触れたりはしませんので」
偉そうな小太りの警官は、鑑識らしい人に言ってカップを持ってこさせる。
有栖は両手で包むように手を寄せていくと、目を見開いた。
「ありがとうございます。もう結構です。カップからは、私たちが目撃した青い肌の男の霊気は感じられません」
『では誰が?』
「通常の犯罪はお任せします。香木売りの方に恨みを持った人とか、知られてはいけない秘密を握られ、脅迫されていたとか、そういう人が殺しに来たのでしょう」
有栖は腰を屈め、床に手を近づけると、切られた棚と死体のあった机の間を何度か往復した。
「青い肌の男は幽鬼と思われます。勇気は、男の座っていた机には近づいてない。近づく前に、私たちに気づいたようです」
『この棚の破損と、犯人殺害をおこなった者は別だということですか』
「そうです」
小太りの警察官は、若い警察官にメモを取らせた。
再び大きなベルの音がなると、小太りの警察官がスマフォに出る。
『はい…… 第四夫人が? ここにいる者を向かわせろ、そうおっしゃるのですか? ……はい。承知しました』
アイーシャが、電話から漏れ出た言葉を訳そうとしているのを察し、小太りの警官が制止した。
『お前は、今から俺が言うことを訳せ。皇太子の第四夫人が亡くなった。異国の者達は、そっちの捜査に向かってくれ』
アイーシャが訳すと、麗子、橋口、有栖は顔を見合わせた。
「どういうこと?」
「第四夫人、さっき会ったばかりなんだケド」
「とにかく向かいましょう」
小太りの警官は、シュルークに聞き取りをしている警官に言った。
『おい、そっちももういい、解放するんだ』
シュルークがジープを殺害現場の建物まで乗ってくると、麗子達四人も乗り込んだ。
『急ぎますので、しっかり捕まっててください』
そんなに運転が上手くないシュルークが飛ばすというので、麗子は怖くなった。
走り出しから、車は激しく縦揺れし、これからのことを話せるような状況ではなかった。
そもそもザフラの道路は整備が悪く、舗装もズタズタだし、舗装していない道も多い。
それに加えて、運転下手なシュルークがスピードを出すので、車の天井に手を押し付けるようにして突っ張っていないと、あちこちに体をぶつけてしまう。
自動車酔いしたことがなかった麗子が、車に酔うとはこういうことなのだと感じた。
ザフラを抜けると、急に道が良くなって全員がホッと胸を撫で下ろした。
走行が安定すると、エンジン音も含め、車内が静かに感じる。
有栖が口を開いた。
「どうして第四夫人が死んだのかしら」
アイーシャが通訳しようとするので、麗子はそれをやめさせた。
「麗子は心当たりありそうなんだケド」
「第四夫人は、ちょっと問題があった」
有栖が言う。
「何もったいぶってるのよ」
「勿体ぶってるわけじゃないんですけど、まだ言える段階じゃないから」
「だいたい、事故死か、他殺か、自殺か、それすら分かってないんだケド」
出発前に聞いたシュルークの言い方だと、皇太子の建物側では現場を保存したままで、麗子達の到着を待っているのだという。
「言えるレベルまで言って欲しいんだケド」
麗子は目を閉じて考えた。
そして決心して目を開く。
「おそらく…… あくまで推測。だから『おそらく』なんだけど、第四夫人は不倫してた」
「はぁ?」
「麗子は王国に来てからエッチなこと考えすぎなんだケド」
麗子は橋口の言い方に腹が立った。
「かんなも、こっち来てからそればっかり」
「あの軍の建物にいた、色白の男ね」
「あいつ、スワイリフだったけ。けど、それってシュルークが言っていた噂話なんだケド」
そうか、侍女達が噂していたという話はこれだったのか。麗子は思った。火のない所に煙は立たずというやつだ。第四夫人の不倫は、ますます信憑性が増してきた。
「まだ推測の段階なんで、シュルークとかに言ったらダメです。宗教上も法律上も、王国の人達にとって不倫は、重大問題なんですから」
橋口と有栖は頷く。
「じゃあ、不倫相手に殺された?」
「皇太子にバレて皇太子が夫人を暗殺したとも考えられるんだケド」
「待って、まだ他殺だとか、自殺だとか、事故死の可能性もあるのよ」
スワイリフが殺したとすれば、自ら皇太子夫人と不倫をしていたことをバラしにいくようなものだ。皇太子からすれば、事実を突きつけ、公表すれば社会が制裁してくれるだろう。そもそも呪われて風呂場に閉じ込められている身で、夫人の暗殺を指示するのは王族として誇りを疑われる。
そう考えていくと、夫人が自殺したか、全く違う誰かに殺された可能性が高い。それには皇太子の呪いが関係しているに違いない。
「かんな、ちょっと嫌かもしれないけど、第三夫人、第二夫人とやってきた身体検査を第四夫人にもして欲しいんだけど」
「死んでしまったら、同じやり方をしなくとも分かると思うケド」
「もしこれで第四夫人が呪い主だったら、事件は解決? 私たち、自分の国に戻れるのかな?」
有栖は車の窓から、空を見てそう言った。
それでいいのだろうか。麗子は考えるが答えは出ない。要するに、後は皇太子側の問題なのだ。知りたくないと思うかもしれないし、理由を知りたいと考えるかもしれない。私たちは、呪いを解くことに専念すべきだ。
ジープは土煙を上げながら、一直線に皇太子の家を目指し走っていく。




