香を売った者
それはザフラの町の端だった。
瓦礫の捨て場のように、建築の廃材や砂利、動かなくなった車やバスが無秩序に置かれている。
「こんな所に人が住んでいるのかしら」
『住所的にはここで良いのよね』
シュルークは車のスピードを落とし、身を乗り出すようにして周囲を探しながら走っていた。
『あれかな』
一軒だけ、扉がしっかりしまっているコンクリート製の建物があった。
その建物の両隣も同じような形だったが、すでに天井や壁が崩れて、扉もない。
「いきなり会ってくれるのかしら」
『分からない。私も、ちょっと怖いけど……』
シュルークの意見で、見晴らしのいい場所に車を停めて、歩いていくことにした。
もし質の悪い連中に、車を抑えられたらザフラから帰れなくなってしまうからだ。
車を降りると、五人は目的の建物に歩いていく。
通りを歩くものは一人もいない。
「人が住んでいるのかしら」
『そう言わないでよ。私も不安になるから』
扉に着くと、扉の横にある呼び出し用のボタンを押した。
無機質な、事務的な連続音が外にも聞こえてくる。
シュルークはボタンを離すと、呼びかけた。
『いらっしゃいますか? 香木のことについて聞きたいんですが』
声に反応したように、建物の中から物音が聞こえた。
強い日差しの中、五人は次の反応を待っていた。
シュルークが耐えきれずにもう一度ブザーを鳴らす。
『いらっしゃいますか? いなければ入りますよ?』
シュルークは大胆にも扉を開けた。
「鍵かかってないの?」
『鍵してなかったわね』
シュルークが足を踏み入れると、橋口が言った。
「ダメ、なんかいるんだケド」
「ちょっと待って、シュルーク」
麗子は手を掴んでシュルークを止めた。
橋口が皆んなにアバヤの下の腕を見せた。
「何か悪いことがある予感がする。ほら、鳥肌が立ったんだケド」
麗子には何も感じられなかった。しかし、橋口が反応しているのだから、何もないことはないだろう。
有栖が銃を抜いた。
シュルークは驚いて大きな声を出す。
『あなた、銃を持ってるの!?』
「私は護衛の為に許可を貰っているのよ」
「じゃあ、シュルーク、有栖、私、アイーシャ、かんな。この順番で進みましょう」
『なんかありそうなのに、私先頭なんですか?』
さっきまでずかずかと入って行く勢いだったのに、橋口の肌を見て急に怖気付いたようだった。
「アイーシャいける?」
『承知しました』
「呼びかけて欲しいの」
アイーシャが先頭になって、建物に入っていく。
『シャイタンという香木のこと聞きたいんですが、誰かいますか?』
進んでは声かけし、進んでは声かけして、ゆっくりと進んでいく。
外の明るさのせいで、初めは真っ暗に見えていた室内にも大分、目が慣れてきた。
中は簡単な事務所のように事務机と椅子が三つあり、奥にも大きな机があった。
だが人気はなかった。
「そっちに扉があるね。アイーシャ、行ってみよう」
『承知しました』
扉を開けると、階段が伸びていた。
階段を伝って、強い冷気が降りてくる。
有栖が階段の上を睨み、言う。
「冷房を掛けてるってことは、人がいるんじゃない?」
その時大きな音がして入ってきた扉が閉まった。
橋口は大きな声を出し、扉に向かった。
「えっ! 閉まっちゃったんだケド」
橋口は扉を押したり引いたりするが、びくともしない。
麗子は橋口をどかすと、自らも確かめるようにドアの取っ手を握って押し引きする。
「鍵がかかったようにびくともしない」
「内も外も鍵穴しかないんだケド」
「オートロックなのかも。出口は後で探すことにして、上を調べよう」
「……」
橋口は何も言わず麗子の腕をぎゅっと掴んだ。
アイーシャは階段を上がる時も、進んでは呼びかけ、進んでは呼びかけることを続けた。
そして二階に着くと、フロアに入る扉を開けた。
一階よりもさらに暗かった。
風の音だけが、エコーが掛かったように反響して聞こえている。
「なんでこんなに光が届かないの」
アリスは、アバヤを捲ってハンディタイプのライトを取り出した。左の拳を握るようにそのライトを握り込み、小指の側を前方に向けるように持った。
ざっと周囲に光を当てるが、ここには棚が沢山あって先が見通せなかった。
全員がフロアに入るまで進んでいく。
麗子、橋口、シュルークの三人はスマフォのライトを使って棚を確かめる。
「これ何が入ってるのかな」
棚には箱や、密閉容器が並んでいる。
「開けてみるんだケド」
「やめなよ、毒物だったらどうするの」
「毒物ならもっと管理が厳重なんだケド」
橋口は棚にあった箱を手に取ると、開けた。
「なんだ石ころ? 砂? そんなものが入っているだけなんだケド」
鼻を近づけて匂いを嗅いでみる。
「匂いもないんだケド」
シュルークがそれに光を当てると、言った。
『これ香よ。木の形をしているものや、樹脂が固まって石のようになっているものもあるの。こう言うのは燃やさないと香りはないわよ。焚く分だけ小さくしてから使うの』
アイーシャの通訳で麗子達もやっと理解する。
「いわゆる沈香ってやつね」
「有栖は知ってたみたいに言うんだケド」
「文字としての知識としてはね」
麗子はスマフォを動かして、全員の顔を照らした。
「ここが例の香木を売った売人の居場所で間違いなさそうね」
全員が頷くと、部屋の奥へ進んでいく。
その時だった。
シュルークと、アイーシャ以外が突然足を止める。
シュルークは気が付かずに麗子にぶつかってしまった。
『どうしたの』
麗子は顔をできる限り正面に向けながら、横目でシュルークを確認すると言った。
「見えない…… 見えないのよね。アイーシャ。シュルークと一緒に後ろに下がって」
アイーシャが下がっていき、入れ替わりに麗子と橋口が有栖に並ぶ。
シュルークには見えないものが、三人の前に存在していた。
人間とは思えない真っ青な肌。
耳は上下が尖っていて、蝶々の羽のようだった。
髪は全て後ろに撫で付けられていて、頭蓋骨の形がはっきりわかる。
目は鋭く吊り上がっていて、王国の人間と同じように髭を蓄えていた。
上半身は裸で男の体つきだった。全体としては人の姿だが、頭が天井に付くほどの身長だった。
その男は、腕を組んで麗子達を見下ろしている。
『残念だがもう遅い』
麗子にとって異国の言葉だが、エコーが掛かった別の音が聞こえてきて、意味がわかった。
「あんただれなんだケド」
有栖も言葉の意味がわかったようで、聞き返した。
「遅いってどういう意味よ?」
『俺の邪魔をしようというなら、戦うしかないな』
「だから誰なんだケド」
「だから遅いって何? まず、こっちの質問に答えなさいよ」
二人が食ってかかった。
『残念だがその銃は俺には通用しないぞ』
「じゃあ、これなら?」
麗子は指先に霊光を集め始める。
『食らったら死ぬかもな。だが、食らわなければ問題ない』
「避けれないほど大きな一撃を……」
青い肌の男は、腕を組み替えたかと思うと、ニヤリと笑った。
音もなく、空気が揺れる感覚。
有栖が後ろを向いて、麗子と橋口を押し倒す。
「危な…… ぃ……」
後ろに倒れ、麗子は強く頭を打った。
右手にある、鉄製の棚の柱が六本、全て切れてしまい、棚の上部が滑り落ちていく。
青い肌の男が、見えない何かで切りかかったのだ。
有栖に押し倒されていなかったら、首が飛んでいた。
麗子は後ろを確認する。シュルークとアイーシャは無事だ。
有栖は、うつ伏せになった状態で、目を閉じてしまっている。
上体を起こした橋口が言った。
「青い男、いなくなってるんだケド」
間髪いれずに、シュルークが叫ぶ。
『キャー』
いや、なんと言っているかはわからないが、恐れ、驚いていることが伝わってきた。
麗子はシュルークの視線の先を見ると、その理由がわかった。
有栖の背中を軽く叩いて起こすと、麗子も立ち上がり、シュルークの見つけたものに近づいた。
「死んでる」
クフィーヤをして、髭を蓄えた男が、椅子に座って天井を向いたまま、口から血を流している。
呼吸も、スマフォのライトにも反応しないことで、死んでいることを確かめた。
口から血を流している以外に、外傷はない。
「さっきの幽鬼が殺したんだ」
麗子がそう言うと、有栖が反応した。
「確かに『もう遅い』と言っていたけれど……」
「あいつが、皇太子をお風呂に縛り付けている幽鬼に違いないんだケド」
そうだとしたら、なぜこの『香木』を売った男を殺しに来たのか。
自分を呼び出したものがバレる、と言うことが幽鬼にとって致命的なことには思えない。
幽鬼が殺るには違和感がある。もっとも、別の契約で殺しに来たのなら別だが……
「アイーシャ、シュルークはどこに言ったの?」
『電話をかけると言って外に出ていきました』
「下の扉は、鍵をかけられて外に出れないのよ。アイーシャ、一緒に来て」
麗子はシュルークを追いかけるように階段を降りていく。
一階には誰もない。
出ていけたのか、と思って入ってきた扉のレバーをつかむが、やっぱり動かない。
『あちらからシュルークの声がします』
アイーシャが言うので、一階の奥にいくと別の扉があった。
そこから外に出ると、シュルークが見つかった。
「シュルーク、何をしているの」
『殺人事件だから、警察を呼んでいるのよ』




