香のお店
シュルークの母に紹介され『香』を扱うお店に向かった。
ジープを止めると、店に入る。
外はガラス張りになっていて、香木をまるで宝石のようにディスプレイしていた。
麗子達はこれまで街中に出ていないので、香木に付けれられた数値の価値が分からない。
「これって、普通の人が買えるぐらいの値段なんですか?」
『ここら辺のは、買えるよ。私の月給の十分の一ぐらいだから…… けど、一般の人は香木にこんなに出せないよ。祈りの度に炊いているとか、香木を揃えるのが好きなら買えるけどね』
麗子は想像してみる。まだ若いシュルークの月給が、自国の初任給と同じと考えて、それの十分の一。確かに、燃やして消えてしまうものに払う額としては高額だ。それが趣味なら問題はないのだろうけれど。
外で見ていると、中からクフィーヤをした髭面の男性が出てきた。
というより、この国では外で会う男性は基本、クフィーヤをして、髭を生やしているのだ。
『お久しぶりだね、シュルーク』
『お久しぶりです』
その後の会話も合わせたロボットの通訳で、その男性が店主だと分かった。
『そちらの二人が話のあった異国のお嬢さん?』
店主は、麗子と橋口を見て言った。
通訳された言葉を聞いて、遅れて会釈をする。
『こんなところで女性が立ったままでは何だから、中に入りなさい』
店の中に入ると、早速幽鬼を呼び出す香の話を聞いた。
「シュルークのお母さんから、幽鬼を呼び出す香があると聞いて話を聞きに参りました」
『ああ、聞いているよ。さっきの電話から、私もちょっと調べてみた』
ノート型パソコンを出すと、バッドを器用に操作して背後にあったウィンドウを表に出して並べた。
『私は残念ながら扱ったことはないんだが、幽鬼を呼び出すと言われている香木はシャイタンというものだ。シャイターンが悪魔だから、そのものずばりの名前だろ』
シャイターンつまりサタンということか、と麗子は思った。
『それと、興味深いことなんだけどこの香木、つい最近、王国内で取引があったんだ』
「それは誰から誰に売られたとかまでわかるんですか?」
突然、外で大量の鳥が羽ばたいた。
麗子は窓の外を見る。ツバメ。自国では群れているツバメは見かけないので、その異様さに驚いた。
『避けろ』
麗子の心の中にそう呼びかける声があった。一つ一つの小さな声。
外のツバメの鳴き声とシンクロしている。
つまりツバメが警告しているのだ。
繰り返される『避けろ』という言葉が、麗子の心を強く揺さぶった。
霊的な何かが、ツバメを通して語りかけているに違いない。麗子はその声に従った。
「避けて!」
麗子は何から避けるのかも分からないまま、そう言った。
そして横に座っていたシュルークや、アイーシャに飛び込むようにして無理やり伏せさせた。
橋口も麗子の言葉に瞬時に反応して、身を屈める。
ツバメの鳴き声が、止んだ。
一瞬の静寂。
『ガシャン!』
と、大きな音がして、店のガラスが一瞬でヒビだらけになり、砕けた。
麗子は声をかける。
「皆、大丈夫?」
『伏せる時に、少し擦ったぐらいで、大丈夫です』
「大丈夫なんだケド」
アイーシャは上手く立ち上がることができないが、大丈夫そうだ。
麗子は辺りの様子を見ながら立ち上がる。
「……」
遠くで勢いよく走り去る車の音がした。
おそらく狙撃した犯人だ。
通りに出ようと思ったが、もっと重要な事に気づく。
「!」
麗子は店主が血を流して倒れているのを発見する。
「アイーシャ、救急車! 急いで連絡して、店主さん、撃たれてる!」
王国の救急車がやってきて、店主を連れて行く。
急所は外れているが、今後の状況によっては死んでしまうかも知れない状況だった。
ほぼ同時にきた警察に対して、シュルークが丁寧に状況説明などをしてくれた。
異教徒である麗子と橋口に対しては、当初警察は疑いの目を向けていたが、皇太子に連絡が回ると態度を一変させた。
『もう行っていいぞ。店の防犯カメラの映像を確認して、店主が撃たれた時、お前達が中にいたことが分かった』
シュルークとアイーシャ、麗子と橋口が車に乗り込む。
車は走り出したが、全員、店主が撃たれたショックで何も喋らなかった。
軍の施設が見えてきたあたりで、ようやく落ち着いたのか、麗子が話した。
「あの銃弾、もしかして私を狙ったのかな」
アイーシャが通訳する。
『レイコが王国に来てたった二日で誰かの恨みを買ったってことですか?』
「けど、店主さんがそもそも恨みを買っていたとも思えないでしょう?」
麗子は思う。今調査している案件絡みだ。そうでなければ店主も狙われないだろう。今回の一件で店主さんが狙われたとすれば、さっき話しかけていた謎の香木『シャイタン』のことだろうか。
「シュルークはさっきの香木の話を調べられる?」
『香木の取引情報なんて侍女に調べられるものじゃないよ』
それもそうか。麗子はスマフォを取り出した。
「あれ? WiFiが繋がらない」
『これは古いジープだからモバイルルーターは積んでないよ。電源も取れないし』
麗子達が契約した通信会社は、王国ではサービスしていないので、車や建物で契約しているインターネットに接続して使うしかなかった。
『私がインターネットにルーティングします』
アイーシャが言うと、アクセスポイントが現れた。アイーシャが言う通りに設定すると、インターネットにつながった。
しかし、検索して気づいた。
「だめだ。よく考えたら、私たちの言葉で検索してもダメだね。全くヒットしない」
『私がアラビア語で調べてみます。キーワードを与えてください?』
麗子はアイーシャにキーワードを言った。
「シャイタン、流通状況、かな……」
『検索結果が出ました。結果を翻訳して転送します』
麗子のスマフォに検索結果が表示される。ただ、リンクはさわれない。どの道表示されても内容が理解できないからだろう。
「この七番目の先には何が書いてあるの?」
『これは業界のニュースサイトですね。関連しそうな部分を転送します』
よくできたロボットだ。麗子はアイーシャを撫でてやりたいと思った。
「確かにシャイタンが三十年ぶりに見つかる、と言う記事だわ。ただ、発見者の取材をすると、売り先はもう決まっているとしていると答えているわね。そして、肝心の誰が買ったかまで分からない」
「見つけた人の名前が分かれば、その人に聞けばいいんだケド」
「うーん、この記事では名前の記載もないわね」
店主はこの人物に心当たりがあったのかも知れない。もしくは売り先に心当たりがあった。それを喋りそうなので撃たれた。そう考えるのが自然だった。
「アイーシャは分からない?」
『検索してみます』
アイーシャはしばらく無言のまま一点を見つめていると、急に瞬きした。
『転送します』
アイーシャから送られてきたのは、紙をスキャンした映像だった。
その映像に、アイーシャの翻訳情報が書き添えられている。
「何これ? 伝票?」
『そうです。宛名は消されていますが』
「こんなものどこで検索できるのよ?」
通常の検索でこんなデータが拾える訳がない、と麗子は思った。
『ダークウェブです。私の評価では、このサイトの情報はフェイクではなく、確度が高いものです』
もしかしたら、王国内のハッカーが、いろんな電子機器をハッキングして得た情報かもしれない。麗子は首を捻りながらも納得した。
「分かった。この売買情報が本物なら、これを買った人が皇太子に呪いをかけたに違いないわね」