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パリアー  作者: 中川白道
1/1

山崎 亘――【出会い】

 何か見つけないと。何か。


 見つけないと。死んじゃう。このままじゃ。


 ダメだ。余計なことを考えたら、ダメなんだ。怖くなる。ダメだ。怖くなるから、ダメ。



 お腹は空いていない。昨日くらいからもう、お腹が空いたという感覚もなくなってきている。だから、食べなきゃ。


 ぼくは歩いた。霞みゆく景色を頼りになんとか、歩いた。経験上、これくらいの広さの公園には、アレがある。



 栄養が足りない。健全に使えるエネルギーはとっくに無くなっていて、一歩足を踏み出すごとに、全身の細胞が悲鳴を上げて死んでいくのを感じる。

 歩くことはもちろん、息をするのだって、瞬きをするのだって、生きることだって。無理だ、無理だって身体が叫んでる。

 手足の指先から頭まで、重たくってたまらない。カサカサの肌の内側はどろどろで、スカスカ。そのまま溶けて、眠りたい。


 眠りたい。眠りたい。眠りたい。

 他に何も考えなくなった脳みそとは裏腹に、ぼくの身体は食べ物を求め、探してる。

 この公園で何も得られなければ、ぼくは死ぬ。本能がそれを痛感してる。

 でも、それに気づいたら、ダメ。怖いから。怖くなるから、ダメ。

 恐怖に塗りつぶされそうになる頭を、希望で押しつぶす。ただ黙々と、アレを探す。




 あった。ゴミ箱。

 だだっ広く人気のない公園の隅にぽつんと置いてあるゴミ箱を見つけた。

 ぼくは走った。横断歩道を歩いて渡る人にすら到底及ばないような速度で、這いずるように走った。


 網でできた丸いくず入れに、ビニールの袋を被せた簡単なゴミ箱。ぼくはそれを、目いっぱいの力で横に倒した。

 ガラガラと音を立てて、ゴミが雪崩れる。ぼくはそれを一心不乱にまさぐった。

 コンビニ弁当、缶コーヒー、ペットボトル。目に映るどれも、当然のように空っぽだった。

 ゴミ同然のゴミを、一つづつ横にのける。下に埋もれていたゴミを確認して、またのける。少しずつ終わりが近づいて、希望が遠ざかる。

 ゴミが一つ、また一つと減ってくごとに、呼吸はどんどん浅くなる。恐怖に身体を支配され、何度も手が止まる。すぐ目の前に迫る最悪の未来をかき消すように、余計な感情を抱かないように、奥に眠ってるはずの宝物を探す。


 見つけた……!


 奥底の方に埋もれていたコンビニ弁当は、まばゆいほどに光り輝いて見えた。

 容器の角辺りのご飯が一口減っていて、何かわからない天ぷらには齧りあとが付いている。それ以外は一つも手を付けられてない、ごく普通ののり弁当。

 ぼくはそれを、目に入ったと同時に、半ば反射的に手に取った。

 食べられる――生きられる。

 口角が上がる。胸が高鳴る。視界が滲んで、ぼやける。


 ダメだ。ダメだ。


 喜んだら、ダメだ。



――だから、泣いちゃダメなの。もちろん、喜ぶのも。


 

 そう言いながら涙を流すお母さんの顔を思い出す。浅い深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。機械のように、無機質に、淡々と。ぼくは弁当の蓋を開けて、未だ手つかずのちくわの天ぷらを手に取って、それをそうっと口に運んだ。


 「っ…………!?」


 なんの変哲もないちくわ天が、今のぼくには少し、刺激が強かった。

 口に入れたそばから伝わる、衣に染みきった油。驚くほど簡単に噛み切れる柔らかさの中に感じる僅かな弾力。もう原型を留めていない魚のかすかな風味ですら、敏感になりきったぼくの舌には過剰なほどに伝わった。



――いい?泣いちゃ、ダメ。



 まだ小さいぼくにそう言い聞かせるお母さんは、笑ってた。ぼくにバレないように、慎重に、笑いながら、涙を流してた。



――亘は強い子だから。ね? 無表情で。無表情で、居なきゃ。いけないの。



 泣いちゃダメ。泣いちゃダメ。頭の中で繰り返すほどに、涙は溢れる。知っていたはずのお母さんが教えてくれなかった事実が、どうしようもなくぼくを襲った。

 咀嚼する余裕も無いくらいに歯を食いしばって、目を見開いて、涙を堪えた。溢れないように溜まった涙で、視界はぼやけて、滲んだ。



 弁当を抱えて動けなくなっていると、突然、耳を裂くような爆発音と共に、むせ返るような熱風がぼくを襲った。

 わけもわからず、ぼくは慌ててゴミ箱から顔を出して様子を伺う。()()()……?



 ぼやけた視界の奥には、二つの人影が。

 砂埃と陽炎に包まれた男が口を開いた。


「……誰だ?」


 そう呟く金髪の男は、腕を目いっぱいに突き出して手のひらを重ねていた。その先には、白髪の女が事も無げに立っている。


「威嚇のつもり?はぁ、煩い、煩いわ」


 気だるそうな声で話すその(ひと)は、もう夏に差し掛かろうとする季節の中、黒くて分厚いコートを羽織ってた。向かい合う男に比べて、かなり身長が低いこともあって、少しちんちくりんな姿に写る。しかし、氷のように凍てつくその眼差しが、ちんちくりんだなんてとてもじゃないけど言えないような雰囲気を纏っていた。


「粉塵爆発なんて、やろうと思えば小学生だって出来るけど。で。他には何かあるの?」

「警察か……?んなわけねぇよな。おい、()()()()がここに何しに来たんだよ」


 砂埃はすでに収まりつつある。鮮明になっていく男の姿とは裏腹に、二人の会話は不明瞭で、噛み合っていなかった。


「まさかとは思うけど、そうやってバカみたいに炎を出して終わり、ってんじゃないわよねぇ」

「止まれ。あと一歩だ。それ以上踏み込んだら、殺す」


 何も聞こえてないみたいに、女は歩みを進める。


「ほら、やってみなさいよ、何か。あるんでしょう? ねぇ――」

「殺されたいのか!!!」


 砂埃が晴れて、ぼくの目に男の姿がはっきりと写る。血走った目、至るところに痛々しいほどに浮き出た血管。大柄な男から発せられる陽炎のオーラは、温度によるものなのか、それとも『怒り』によるものなのか、ぼくにはわからなくって、まるで、『蛇に睨まれた蛙』の蛇のような、そんな雰囲気だった。


「あぁ、寒い。ねぇ、寒いわ。ね?」


 『蛇に睨まれた蛙』には程遠い。そう思ってしまうほど、女は動じていなかった。一切の表情を変えないまま、一歩、また一歩と男に近づく。まるで女の周りだけ、冷凍庫の中よりずっと冷たく凍ってるみたいだった。


「……俺が。聞いてるんだよおおぉ!!!!」


 男は突き出していた両手を解いて、それを後ろに置いてけぼりにするみたいに、大きく一歩、前に踏み込んだ。手の中には真っ赤な火の玉が握られていて、身体を突き出した反動を利用して、両腕を大きく振りかぶった。全身の筋肉を総動員するみたいに、めいっぱいに二つの火の玉を投げると、それは大きく燃え上がりながら一直線に地面を這った。数十メートル離れたゴミ箱の裏にいるはずなのに、ぼくの目はその熱気にあてられてすっかり乾ききっていた。


 二本の炎線が弧を描きながら女の目前で交わって、お互いを燃え上がらせることで勢いを強める。あっという間にそれは炎の壁となり、ドーム状に女を包んだ。


「先に聞いたのはアタシなんだけどね。ねぇ?」


 燃え盛る炎塊の中から透き通るような声が響く。


「なっ……!?」


 豪々と燃え盛っていた炎は、見る間もなく勢いを弱めて、吸い込まれるように溶けていった。


「メラメラと元気に燃えてる炎。それが、これ以上無い――ってくらいの冷気の中に存在する(いる)と、どうなっちゃうと思う?」

「……」

「答えて」


 冷たい。熱風の余韻に包まれながら、ぼくは確かにそう感じていた。


「……溶けてなくなるって? ……今みたいに」

「んーー、うん、まぁ正解。"生きていられない"の。熱を放出することだけが生き甲斐の炎なんて、存在することすら叶わない。温度にして−273.15°C、全ての存在が許されない空間。これがアタシ、氷柱(つらら)の能力【絶対零度】」


 氷柱は羽織っていたコートを脱いで、サンタクロースの袋みたいに肩に掛けた。


 厚くて暑いコートの下には、薄くて寒い軽装が。スレンダーな身体のラインをピタリとなぞるようなショート丈のタンクトップに、くびれが強調された肌色の下には短いジーンズ。ぼくはその格好に見惚れるより先に、季節感が合わないちぐはぐな服装の違和感にあてられていた。


「氷柱?はっ、いい名前してんじゃないの。お似合いだよ」

「似合ってる、っていうより安直。名付け親(アイツ)の趣味ね」

「……あー、そう」

「ま、アンタの能力ほどじゃないけど」

「……」


 男は腕をだらりと落としていて、その手にはさっきと同じくらいの火種が、ちょうど氷柱から見て死角になるように握られている。


「大丈夫? 汗、かいてるよ」

「……心配には、及ばねぇ、よ……」


 はじめはピンポン玉くらいの大きさだった火種が少しずつ膨らんでいく。もう、どの角度から見ても隠しきれないほどに。


「ねぇ、どうしてそんなにお手々が熱いのかしら? お婆さん」


 氷柱は頭巾のようにコートを被ってみせる。目元は隠れ、ちらりと見える口元は悪戯げに笑っていた。


 男の両手はゆらめいている。脱力した姿勢の中、男は目を見開いて笑った。


「うるせぇよ」


 火種というにはあまりに大きくなったそれを、男は氷柱めがけて投げつけた。

 濃縮された、それでも巨大な炎塊が、【絶対零度】を纏った氷柱に向かって弾丸みたいな勢いで飛んでいく。


「低温が炎を溶かすのはわかった。だがよぉ……炎は全ての物質を溶かせんだぜ……?」

「っ――!?」


 退屈そうに火球を見つめる氷柱の表情を変えたのは、『槍』だった。


 【絶対零度】の範囲に触れた炎はたちまち霧散していき、中から銀色の液体が飛び出した。みるみる炎が溶けていく中、液体は即座に固まり、氷柱のような形に凍った。


「【鉄槍】ってトコか。喰らいな」


 槍は炎という重りをとっぱらって、さらに勢いを増す。氷柱の首元をめがけて、コートに直撃し、


「言ったのに。全ての存在が許されないって」

「なっ――!」


 その瞬間、粉々に砕け散った。鉄の欠片が宙に舞う。


「超高温から超低温、そんなのに耐えられる金属があるなんて、本気で思ってるの? 詰んでるのよ、始めから」


 氷柱は前に跳躍して、着地と共に地面を凍らせた。落下のスピードを一切損なわないまま、砂の上を滑り落ちる。


「クソがあああああ!!!」


 男は叫び、全身を炎で覆った。

 二人が衝突して、耳が破裂しそうなほどの爆発音が鳴り響く。


 直後。


 燃え盛る男がぼくの潜むゴミ箱めがけて()()()()()





 ――死ぬ。

 ぼくはそう確信した。世界がスローになって、意識を失った男の顔がよく見える。

 

 ぶつかる。速い。熱い。怖い。


「うわああああああああ!!!!」


 両腕で顔を覆って、叫ぶことしか出来ない。


「あっ――!?」


 ぼくに気づいた氷柱が声を上げて駆け寄ってくるのが、視界の端に写る。


 男と衝突する直前。



 ぼくは意識を失った。

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