人
質量による突進。
当然人間の何倍もあるドラゴンが行えばその破壊力は計り知れない。
「はぁ」
体に魔法はかけてある。
グギギギギギギギギギギ
人とドラゴン。一人と一体がぶつかった衝撃で地面と自然が悲鳴を上げる。
『永遠をこの手に』
それはダムスの適正魔法『無現実在』の魔法の一つ。
どれほどのダメージも受けない。
ゆえに今ダムスの体には痛みも傷もない。だが
「が」
ダムスの体が吹き飛ばされる。いかにダメージがなくてもその下、地面が耐えられない。
だがドラゴンの突進。その勢いは相殺された。
空を飛ぶドラゴン。そこに大地の一撃を与える。
長い長い詠唱。その果てに
「大地滅殺」
尖鋭化された岩が大地よりあらわれる。それは勢いよくドラゴンの翼へと向かった。
「・・・これは。やはりそうか同類種の香り。それも上か」
「効いて・・・どうなって」
岩は当たった。ドラゴンの飛行能力を少しでも奪うためにその翼にすべての魔力をこめた一撃を放った。
夜を飛行されればそれだけでこちらが追いかける方法はカインの翼しかなくなる。
そしてこの森で単独行動などできるはずもない。
だからこそ。なんとしてでも翼をもぐ。
「「アイビー」」
緑の魔法の初歩。だからこそ息の合った二人。それも双子が同時に発動すればそれは強力な魔法となる。
岩で動きを止められるのは一瞬。だからこそ初歩の魔法が、父も母も生まれた時期さえ変わらない双子であることが生きてくる。
蔦でできた網がドラゴンを覆う。横にも縦にも編まれた緑が強度を上げほどくことを困難にさせる。
とはいえこの蔦も岩同様そこまで長く持つものではない。
ドラゴンは頑丈なだけではなく回復力も他の生き物と比べてずば抜けている。
ならばこそ短時間で決めなければならない。
「これは・・・やはりそうか」
ドラゴンのつぶやきは誰にも聞こえない。
「スプラッシュ」
水が降る。透明ではなく濁った水。
だからこそ住める生き物がある。だからこそ今はこの魔法。
どんな生き物でも生きたい気持ちはある。そのためならば戦う。
無色に茶に緑に青。
その終着駅は
『科学』あるいは『兵器』
実験がある。
例えば、サルに金槌を渡して、硬さだけではなく振りかぶればそれだけ威力が増すことを認識できるかどうか。
例えば、ワイネルに瓶を渡して、割るよりもふたを開けた方が量が飲めることに気付くかどうか。
だがそれはあくまで道具。兵器ではない。生物最大の脳を持つヒトですら教わらなければ使い方が分からない。それが兵器。
頑丈さを犠牲に
ダムスが引き金を引く。
爆音が鳴った。バロットタイガーに向けてハロルドが放った一撃よりはるかに大きな一撃が。
バーーーーーーーーーーーーン
どこまでも響く銃声。明らかに弾はドラゴンへとぶつかった。
だが相手は未知の生命体。油断はできない。
幸いにもまだ銃は壊れていない。
ならば何度でも
バーーーーーーーーーーーーン
バーーーーーーーーーーーーン
バーーーーーーーーーーーーン
上空にいるカインにまで届くその爆音。夜だというのにその音に驚きその場から逃げる動物たちがカインにも認識できた。
ガチャン。ガチャン。
「はぁはぁ。弾切れか。あるいは壊れたか」
見ればマズルはひしゃげ、マガジンには何もなかった。
どうやら最後の一発で壊れたらしい。ダムスが銃をふると先ほどまではしなかった音がした。見えないところではさらに壊れているようだ。
「…幸運かな」
人は気づいていなかった。そもそも相手は情報など何もない最強種。簡単に勝負が決まるはずなどないことを。
【時間をかければこちらが不利。なにせ相手は体力にせよ頑丈さにせよ人間の何倍もある】
それは事実。だが真実ではない。
なぜなら
【短期決戦でも持久戦でもこちらが不利。情報を入手して体力面で不利を被るか体力をつぎ込んで情報面で不利を被るか】
それが真実。
すなわちどちらにせよドラゴンは強い。それは過去にドラゴンを倒した例が御伽噺か作り物の神話か逸話にしかない時点で分かるはずだ。
それが分からないのならば自分は誰よりも優れているという人の傲慢。エゴでしかない。
昔と比べ今の方が鍛えている人の身体能力は上だろう。
昔と比べ今の方が学んでいる人の知力は上だろう。
昔と比べ今の方が武器は進んでいるだろう。
歴史の教科書の英雄と今の時代の英雄が戦えば今の時代の英雄が勝つ。だがそれはあくまで人と人。違うのは時代。身分。社会。常識。知識。血統。環境。
果たしてその生物はそれよりさらに別の者。
敗因は何処にあっただろうか。
ドラゴンは怪物に属する。だがその本質は神座に近い。
誰からも言われていたそんな話を人間たちが忘れたことだろう。
それも忘れようと思って忘れたわけではない。誰かの悪意によって忘れされたわけではない。だれかが忘れてほしくないと立ち上がらなかったからではない。
誰かを馬鹿にしてあざ笑うことは簡単だ。なぜその時にそんな判断をしたのかと笑うことは単純だ。
だが笑った人がその場にいたとして、後から知った知識や策ではなく、そのときその場にいて何かを変えられたのか。
そんな議論は無価値。どうしようもない。
だからこそ人は人を笑えない。学力ではなく対応力など人が人を馬鹿にできるはずもないのだ。
神ではないのだから。
神ですらないのだから。
神にすらできないのだから。
そのときその場にいた人たちは誰も予想できなかった。
ただ見えたのは何かをこわそうと何かが動いたということ。
ただ聞こえたのは何かが壊れる音がしたこと。
そんなものは誰にでもわかる。ただ間抜けなだけだ。
どこにでもいる人と同じように。
「ギヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤヤ」
山がすべて震えるような声だった。怒りでなく焦りでなく。
喜び。
「馬鹿な・・・いや・・・これがドラゴン」
ドラゴンがいた。そしてその身には傷すらなかった。
ただの一つも。