掟
ほとんど人の手が入っていない場所なだけに木も土もあるいは動物。そして怪物にいたるまで都会の緑とは一線を画していた。
高さや大きさ、太さそして色までもがこちらの方が強い気がしてくる。
先頭は責任者であるダムス。次にこの自然に詳しいヴィーヌ。そして生徒二人にモーリスという風に並んでいる。先頭はともかくそれ以外は自然に並んでいた。
自然そのものをむき出してみカインはぽつりとつぶやいた。
「美しいな」
「俺もここまでとなると」
少年二人の口からすらりと驚きが出てくる。
カインにせよサイラスにせよ、都会生まれ都会育ちではあるがそれでも家にいるよりも外に出ることを好んでいた。
とはいってもそれはあくまで人の手が入っている。観光あるいは自然の維持のために金が入っている。
だから所有者と呼ばれる人がいて、監視あるいは安全のためにカメラがあり、必要とあればプロの手によって剪定が行われ、動物にせよ怪物にせよここは人のテリトリーと認識し、めったなことでは出てこない。あるいは飼育されているのがほとんどだ。もし敷地内に猫の死骸でもあればその日の内には人の手によって整理されている。
だがここは違う。弱肉強食としか言いようのないすべて。あるいは強者すらもいずれは死に餌となる。ただ生きるために他者を殺す。
そうでなければ生きるどころか生まれることさえない。
実際に今二人の目をつかんで離さない光景は、死んだ大型の鷲を無数の虫が群がっている。
グロテスク。ゆえに美しささえある。あるいはかつては人もまたこの一部。
骨しか残さない人間の文化を冒涜するように。
誰も弱者を救わない。
争っている獣同士がいるのならば、どこで手を出すかを見極め、失敗すればさらにそれを眺めていた第四者がすべてを食らう。そして知恵と辛抱を携えた勝者もまた、不運によってあるいはさらに大きい力によって誰かの糧となる。
生き残りたければ生き残るだけの術を見つけなければならない。
爪、牙、足、目、耳、鼻、毒そして群れ。
悪寒がする。学生二人がそちらを見ると木々の隙間からこちらを見つける何か動物の目。
動物園では決して見ることのない。飢えた肉食獣の瞳。
それはギラリと見物客たちをにらみつけている。
目が慣れていくにつれその動物の姿が見える。
その動物は少年二人を見た後、先ほどの鷲を見て、最後に先頭に立つ男を見た。
あれは
「鷹?」
「みたいだね。さっき運ばれていたやつより明らかに小型」
鷲と鷹の区別など大きさでしかない。だが当然体がでかい方が強い。
だが今生きているのは鷹の方だ。
それはなぜか。明確な理由などだれにもわからない。
実際に今現在鷲に群がっている虫たちも本来なら近づくことさえしない。だが勇気を出した誰かが近づいた。だからこそ食へとなった。
金という制度は正解だった。そう思わせるだけの現実。
微動だにしなかった鷹が羽ばたく。
カインにはわかる。あれは逃げるため。どうやら襲ってくる気はないらしい。
その時二人が見ていた鷹と別の方向で何かが動いた。
一瞬しか見えなかったがあれは
「虎?」
「え」
どれほど気を付けていても真実を知るのはおそらく死ぬ時なのだろう。
そしてそれを見て誰かが笑う。
間抜けと。そしてそれほど隙をさらした間抜けはまた誰かの糧となる。
そんなことがありながらも進んでいく。
この森のあるいは自然の掟。それだけでも生徒二人には驚きだったがそれ以上に
ヒューーーー
「今のは、ハーピストの声。これは求愛行動かな。雄特有の。ただこれでは短すぎる。捕まえられないよ、これじゃあ」
誰に聞かせるでもなく自然とヴィーヌの口から出てくる。怪物の知識の数々。
語りたがり、あるいは知識をひけらかすというよりは癖と呼べるほどの。
ハーーーーー
「今のはハーピストの雌。どうやら成功したみたい・・・ん、成功。ってことは。ダムスさんダムスさん」
初めにこの辺の怪物は調査しつくされてあるといっており、実際に説明はあっても冷静であったヴィーヌだったが自分のセリフに自分で興奮し始めた。
「行きませんよ」
だからこそダムスは先に忠告しておく。
時刻はもうすぐ六時。七時になればその怪物は動くと言われていた。それ以前に夜の森、そして山はできる限り避けたい。
「なんで、そんな冷静なんです?ハーピスト同士の交尾ですよ!それも自然の!うへへへへへへ」
「だから時間がないんですよ。第一奥にいるといわれているのは二百年前に滅んでいると言われていた哺乳類バイルネスなんですよね。そっちですよ。たしか人間の祖先、そしてその成り立ちがわかるとか」
「ふん、人類は神によって生み出されたもの。そんなものに価値はないがな」
大人たちが醜い争いをし始めた。
「どうします」
「まあ大丈夫。ダムスさんなら」
面倒そうな匂いをキャッチしたカイン。どうしようかと一歩ほど前にいた先輩に助言を求めるがその答えは簡単だった。
「?」
わからない
「はぁー。この辺でやめないと入り口まで飛ばしますよ」
「・・・いや、それは困る」
「ならば黙ってついてきてください」
「いやでも・・・」
まだ食い下がってくる。
「今日実績を残せば次も呼んでもらえるかもしれないんですから」
「・・・うっう」
まだ不満そうだ。だがそこで一歩踏み出すことはしなかった。
「モーリスさんも今回の目的は神も動物も怪物も関係のないただの調査です。神生派の面目のために同行を許可しましたがそれも僕の目の届くところだけですからね」
「・・・わかっている。わかっているとも・・・ふん。神に仕える我々が人の社会のルール。冒涜だが・・・」
「わかってもらえたようで何より」
二人とも明らかに納得はしていないが、それでも押し切ることにしたらしい。
「あの二人を抑えた・・・」
「まあもっと複雑な状況を経験しているんでしょう。貴族相手の家庭教師なんてなりたくてなれるもんでもないけどやめたくて辞められるものでもないらしいから」
「それは・・・まあ確かに」
「・・・怪物の鳴き声が聞こえただけでこれとは先が思いやられますよ」
そういってダムスは先ほどまでと同じ道を歩き出した。
道と行っても当然整備されているはずもない。いわゆる獣道と呼ばれるもの。だがそもそもこの森は人の手が入ることを極度に避けているため、動物だけでなく植物もまた、都会のそれはとは違う。例え人が歩くために少し踏んづけてもまたすぐに戻ってしまう。
まっすぐ歩くだけも迷いそう。だというのにそろそろ都会で考えても夜の時間帯だ。当然、時間あるいは一定の暗さになれば自動で光る街灯も二十四時間営業している自販機も店もない。だからこそ先ほどの頓着だけで真っ暗になってしまった。
「光玉・幸福を灯せ」
ダムスが詠唱した。開いた掌から十個ほどの光が五人のあたりを照らす。
それも四人の目が慣れるように徐々に光が強くなる。
「動物にも怪物にも悪影響があるからあまり使いたくはなかったんだけどね」
「・・・ああ、そういえばもう少しすれば夜行性が多いエリアだったね」
「父親が書いた本でしょう忘れていたんですか」
「・・・覚えているよ。ただそれより大事なことがあるんだ」
父親の書いた本。その単語を聞いてサイラスには思い当ることがあった。
「・・・ってことはやっぱりヴィーヌさんって」
「・・・ああ、動物研究の第一人者、ハワード=ヴィーヌ氏の息子だ」
その名前ならカインにも聞き覚えがある。確か家に来たこともある。
昔父親が買ってきた本の半分ほどがその人の著者だった。動物、あるいは植物。その二つにおいて右に出る人はいない。それほどの人だ。
その人が書いた本に影響されて近くの森に出向いていた。カインにとっては子供の頃の思い出、その象徴とさえいえる。
「まあでも、俺は父さんを超えることを目的としているんだ。だからそういうのは好まない」
その時のヴィーヌの目はとても澄んでいた。ひとかけらも嘘はないと誰もが信じられるほどに。
少年二人の目が一斉にヴィーヌを見た。
そうなれば面白くないのは賢者だ。
「私だって神話学の研究者そしてファーラー教では」