少年と少女
少女は走る。
もとは高級品であったであろう上質な服を砂と埃と汗で汚しながら。
なりふりは構っていない。現に今も透き通った白い肌をビルの壁に押し付け強引に方向転換をしている。
「痛っ」
少女の端正な顔立ちがゆがむ。白い肌に汚れと血がこべりつく。
「はぁはぁ」
自分の足をにらみ、胸をつかむ。自業自得ではある。運動などしてこなかった。それは蝶か花のように。手足の長さはトップモデルのように長いがトップモデルのように細い。無論筋力などあるはずもない。
そもそも体育の授業と呼べるものが少女にはなかった。本人も必要だとは思っていなかった。
だがそれでも少女は勇気を出した。自由をつかむために。
「はぁはぁはぁ」
いったいどれほど走っただろう。呼吸を戻すために息を吐く時間と回数がだんだんと長くなっていっている。
良くない兆候だ。このままではいずれ走ることができなくなる。
いやそれならまだいい問題はそれより上。歩けなくなること。
逃げられないそれだけはまずい。
人類という種の尊厳として。足という部位と歩行という機能はかなり大きい。
だが少女はずっと離れていた。
井の中の蛙は大海を知らない。ゆえにわからない。
追手は近い。
足音が聞こえる。大きな音だ。家にいるときには決して聞かなかった音。
その音が近づいてくるのに比例して少女の心臓の音も大きくなる。
走り出したい。そう思ったが。
「痛っ」
今日何度言っただろうか。足がもつれて転んでしまった。
だが路地裏とはいえ真ん中で倒れこむわけにはいかない。
どうにか不法投棄されているらしいごみ袋の隙間に入り込み息をひそめる。
二人の男が先ほどまで少女がいた場所にたどり着いた。
二人とも先ほどの少女とは違い息を切らしていなければ服もそこまで汚れてはいない。
太っている方がやせている方に行った。
「ここで途切れているな」
「ですねー」
「やる気あるのか。お嬢様が見つからなかったら俺たちどうなるかわかっているのか」
「わかってますけど・・・」
「じゃあなんでそこまで気を抜いているんだ」
太った男がやせた方をしかりつける。
「大丈夫でしょ。お嬢様は頼れる人がこの周辺にいるわけじゃない。体力もない。お金だって今もってないわけですから時間の問題ですって」
「それはそうだが・・・」
少女は息をひそめてごみ袋の隙間から二人の男の会話を盗み聞きする。
当然ながら初めての経験だ。少しワクワクしている。だが同時に申し訳ない気持ちもわいてくる、自分がおとなしくしていればこの二人は少女の父親から叱られることもないのだから。
「俺達がやらかしたことはもう家に知れ渡っている。それに旦那様の友人の何とかっていう剣士も応援に来るんでしょ。ならちょっと息抜きしましょうよ」
「・・・だめだ仕事が終わり次第旦那様も来るんだぞ。そんな時にさぼっていることを見られたらどうなることか」
太った男は青い顔をしている。
「はいはい分かってますよ」
やせた男は懐から機械を取り出した。
「スイッチオン」
ピーピー。機械が何か感応している。
「常時使えればいいんですけどねー」
「充電し忘れたのはお前だろうが」
何あれ。と少女は心の中で思った。
その時驚いても体を動かさないために手を入れたポケットの中に何か粒のようなものが入ってあった。
反射的にポケットの中に入っていた何かの粒のようなものを潰す。
「あれー。さっきまでは普通に反応していたのに。発信機」
間の抜けた声だ。だがその内容は恐ろしい。
「っ」
声が出そうになったがどうにか飲み込んだ。だがその時今まで忘れていた呼吸を取り戻す。その時耳と口に入る。不快極まるごみのにおい。
今すぐに外に出たい。埃まみれ砂まみれの路地裏でもここよりは幾分マシであろう。
だが耐える。
「おいおいおい。どうするんだよ。これから」
太った男の声がその苛立ちを表すかのように大きくなる。
「どうするっていわれても・・・どうするんですか?」
「聞き返すなー!先輩が持つとすぐどっかに落とすから俺が持ってます。って言ったのはお前じゃねぇか」
「いやぁ。それはいつも先輩が落とすから」
「今そんなことはどうだっていいんだよ。今どうするかの話だろ!」
「そういわれても・・・あ、そうだいま通りかかったガキに聞くのはどうですか」
痩せた男が親指でさっき通りがかった少年を指さす。
「・・・まあいいか聞いてこい」
「えー先輩も来てくださいよー。俺あれぐらいの年の人と話したことないんですからー」
「俺だってねぇよ。女ならともかく男には話しかけねぇ!まあいい。行くぞ」
男二人は路地裏から表通りに向かった。だがまだ早い。
まだもう少し粘る。
「あのーすみません」
腰の低い男が少年に話しかけてきた。当然知らない顔だ。
話しかけられた少年。雄我はさりげなく距離を取り相手を見る。
近づかれた段階で警戒はしていたがそれでも周囲に大勢の人がいる。すべて警戒などできない。
見るべきは相手のすべて。表情。息。歩き方。武器。服装。肉体。見るべきところなど無数にある。すべての確認などできない。結局のところ無意識の直感としか言えない。
(武器は携帯していない。だが素人ではないな。でも達人って程でもない。傭兵って感じもない。まあ警戒するほどでもないか)
警戒を緩める。男は二人。これぐらいなら青色薔薇で何とでもなる。
あまり時間をかけて相手を刺激するべきでもないのだから。
「何でしょう」
「実は」
そういって腰の低い男は隣の横柄そうな男に視線をやる。
横柄そうな男はやれやれとばかりに息を吐いて質問してきた。
「この辺に女の子をみなかったか。知っていたら教えろ」
初対面だというのに横柄かつ命令口調だ。ある意味見た目通りだが
それに今日は日曜日、女の子などそこら中にいる。
おそらくそれにすら気付かないほど苛立っているのだろう。
「それはどんな」
当然の疑問だが気に入らないらしい。
舌打ちをして
「え、ああ。色白で髪が長くて高級そうな白い服を着ている。とはいっても泥まみれだろうが」
雄我は頭の中で嘲笑する。話を聞いていく限りどう見ても普通じゃない。その場で警察を呼ばれても文句を言えない。それぐらいの不審さだ。
「申し訳ないですが」
男はもう一度舌打ちをして
「使えない・・・行くぞ」
例もなしに去っていった。
「ちょっと待ってくださいよー」
二人が去った後。
「あれじゃあ大成しないね」
雄我は路地裏に入る。
その時少女がごみの山から出てきた。
見るからに衰弱していた。だが少女は涙を流しながらはっきりといった。
「助けて」
砂と埃で汚れてはいたがかすかに見える肌は白く細い。
髪は今までの暮らしを示すかのようにごみの山の中でも美しく輝く。
服は一目見ただけで分かる。高級品だ。雄我はあまり服飾に詳しくはないがそれでもわかるぐらいに。
「この少女がらみか」
朝だというのに暗い路地裏で少年は少女と出会った。