幕間四 ゆえに英雄は
英雄と呼ばれる者がいる。
犬が棒に当たるように事件に会い。その先々で並外れて美しく並外れて危ない異性と出会う。
ただ生きているだけで運命が降ってくる。引き寄せられているかのように。
歴史上に英雄と呼ばれた人物は数あれどその誰もが宿命のような出会いと別れがある。
あるいはそんな奴が本気で事件解決に向かった場合。運命とやらに導かれた旅の果て
正義と罪と悪と希望と絶望と光と闇と夢と意。そしてその他諸々を飲み込みその上に。
午後七時。クルクス高校から近い病院
空は青そして赤をこえて黒と月の光を携える。
その病院は静まり返っていた。それも当然のことだ。朝から四時間ほど前まで街中で起きた昏睡事件の影響で騒がれていたがその原因が発覚、治療魔法も開発され、精密検査を終え自分たちの家に帰っていった。夜勤の人間もいるが皆昼間に緊急ゆえに駆り出され疲労困憊といった様子だ。
六時に食事を配膳、そしてつい先ほど食器を回収し終え医者も看護師も座り込んで動かなくなっている。
「先ほど玄関が壊れているのを発見しました」
看護師がどうにか声を絞り出す。報告を受けた医者は頭をおさえながら答えた。
「あー。風が石かなんかだろう。後で院長に報告しとく。どうせ店もやってないだろうから・・・あとちょっと休むから声かけないで」
そういって医者も看護師も動かなくなった。
そしてこれは今日に限って言えばほとんどの病院が同じような状況だ。
だがその病院には他とは違うことがあった。扉が破壊され外の風が中に入ってくる。春とはいえ七時とはいえ夜風は涼しいを通り越して寒い。普段なら何か対処をするところだがもはやその元気は誰にもない。
そんな暗い病院の中を歩き回る少年が一人。
少年は一階の階段に向かい重い扉を開いた後、わき目も降らず上へ上へと上がっていった。
病院の階段には患者が車いすで階段に向かわないように重い扉がある。つまり階段はほかの人からは見えない。
親族に医者がいるから、そして曾祖母が車いすに乗っているから、そして本人が時々医者の厄介になるためよく知っている少年はついに最上階にまで登り屋上に続く扉を破壊した。
ガタリ。大きな音だ。だが誰も反応しない。
屋上に入った少年は目の前の一人の男性を見つめている。そして口を開いた。
「やっぱりここか」
一人の少年の声が夜空に響き渡った。
その目線の先にいる男性は声をかけられる直前まで夜を見ていた。屋上に続く扉を壊されたというのにだ。だがしかし声をかけられたためか振り返り静かに問いかける。
「何だい少年。もう診察の時間も見舞いの時間も終わったよ。それに事件の被害者ならみんな家に帰っていった」
その表情は恐ろしいぐらいに笑顔だ。勝利を確信しているのかあるいは元からこうなのかただただ不気味だった。
対する少年も相手の言葉など表情など事情など無視して続ける。関心がないのかそれとも我が強いのか。凄みを感じされる男の立ち振る舞いと瞳を見ても引こうともしない。
「戦術理論。とりあえず作戦名として適当につけたんだろうが失敗だったな。経験者に言うまでもないが軍医っていうのは戦場そして人を殺すなんて言う異常な状態で狂っていく兵士も相手にする。すなわち精神についても精通していなければならない。なら心理学を習っただろう。これはその中でもよく知られた話だ。『人の言う適当とは完全なランダムを意味しない』どうしてもどこからか連想してしまう。あんたの知り合いならすぐにこの事件と結びつくだろうよ。まあ俺もそれを知っていてもここまでたどり着くのに五・六時間ほど必要だったわけだが」
少年の話を聞いて男も笑顔ではあったがその中に困惑の表情が浮かんだ。
「・・・何者だい少年。今日、そして今日までの私の記憶をどれほど探しても君のような少年に出会ったことがない。だが君は私のことをよく知っている口ぶりだ。これでも一度診察した患者の顔は忘れない自信があるんだ。それが先生の教えだからね」
「間違ってはいない。俺も会うのは初めてだ。ちょっとあんたの話を聞いたことがあるだけだ。それで目的はなんだ。あのノートか?それとも二千年も前に消え去った兵器か?確か軍にいたころにも散々調べていたとか」
「両方ともに興味がある。生神が残したノートにも話に残るのみの兵器にも。ただどちらかと言えばノートかな。息子の望みでもあるからね」
男はフェンスに置いていた手を放し臨戦態勢をとる。
「人の心を操る。それで元嫁に戻ってきてもらう。悲しい望みだな」
「それだけ本気ということだ。妻に先立たれ男手一つで息子を育てた私にはよくわかる。それより目的を語ったんだ。少年も目的を語るのが礼儀というものじゃないか。取り巻きってわけじゃないよね。軍にいたから多少わかる。明らかに雰囲気が違う。君のほうが格上だよ」
「あんたが拉致したのはこの国の王子だ。あれより上というと王しかない」
「・・・権力のことじゃないよ。人間としての戦士としての格。・・・それにもしかしたら少年と私は同類かもしれない。知っているみたいだけととりあえず、私の名前はポトス=ニューロ。君は?」
「・・・天音雄我」
「・・・七色英雄がらみでもあるのか。絡まりあう糸と糸。どうやら私も本気でいかなければならないらしい」
「青色薔薇 」
闇の中で衝突があった。
夜のとばりが落ちたころ。その衝撃はあった。
病院からほど近いところに大きな公園がある。
休日なら家族がお弁当をもって平日でも病院と幼稚園の散歩コースとなっていたみんなの憩いの場は、今日の事件を総決算するように戦場となっていた。
黒と緑はお互い有効打を与えられないままどれほどすぎていただろう。
声も出さずその少年は手に持った剣を風に振るう。
だが剣は魔力の塊をとらえきれずに空を切る。
(これで三回目。何かあるのか)
今の風が今この世に吹く(グリーントルネード)の設定は物理攻撃無効。ただの剣で何度切っても攻撃は当たらない。
「そろそろかな」
真後ろに吹く風に合わせ切る。
「危ない危ない」
狙いは良い。だがこのままでは意味がない。
だというのに少年の表情は変わらない。少なくともポトスにはそう見えた。
そして軍にいたポトスにはわかる。諦めているわけではない。狂っているわけではない。不可能なことを心の中ではできないと思っているのにできるはずだと自分に言い聞かせているわけではない。どうあれできる今までそうしてきたがゆえにわいてくる自信。
だがその中身まではわからない。
不気味。得体のしれない感覚がポトスの心を覆う。
関わりたくはない。だが・・・
距離を取ろうとしたときに雄我の手に魔力が集まる。
「黒砲」
ただの魔力の塊がまっすぐ向かう。
シンプルな魔法だ。ゆえに消費魔力、詠唱速度、発射速度。そのすべてが高水準。そして周りは黒一色。単純に視力に頼るならば認識するころには避けられないほどの距離になる。
だがポトスは風はその攻撃を容易くかわす。
「・・・これで二十分ほどは風になったままか。やっぱりグレードを落としている。風になった状態で周囲を認識するのは『風撫化』のグレード四。だがそれでは魔力の消耗が激しすぎる。物理攻撃無効の二。魔法攻撃無効の三。さっきの攻撃をかわしたということは二か。つまりあんたの適正は『五感鋭化』と似て非なるもの『六感深化』」
雄我の推察に風は何も答えなかった。それどころか動揺さえ見せない。
「まあ、あんたが何と言おうとも続けるだけだ。六感。それすなわち五感の奥にあるもの。見えない音や映像を認識できるようにしてから体を動かす五感の強化とは違い見えない音や映像を認識できないまま体を動かす。脳を使わない反射」
雄我が推察を述べても風は答えない。吹くように吹いている。
「・・・やっぱりプロだね。詠唱しないことと言い、あんたの息子はでかい声で詠唱していたが、あんたは戦いにとって重要なことを知っている。自己強化系ならなおのこと。付け焼刃ではこうはならない。将としてそして兵として訓練を受けている」
「・・・息子の戦いを見ていたのか」
「ああ、路地裏でね。ニューロの名前を聞いたときにあんたのことが頭に浮かんだんだがどこをどう漁ってもあんたの適正はわからなくてね。昨日消耗していなかったら加勢していたんだろうけど」
「・・・拉致現場を見ていて何もしなかったのか」
今度こそポトスの動揺を表すように風が動く。
「拉致ってことは殺しはしないだろう。金目的であれ、脅迫であれ。一応車の後はつけていた。護衛から魔法と才能を使って逃げ出そうとするような奴がどうなったって自己責任だ。俺は警察や騎士たちとは違う。リーレ=ニューロの奥にポトス=ニューロがいることを知っているからな。問題ごとは火種から消す主義でね」
「・・・」
それでも信じられない。
だがその時六感が告げた。
来る。
「やっぱりそろそろだったが」
人の気配。あるいは足音を二人とも認識した。
土曜日の夜だ。つまり今日も明日も休日。夜ではあるが人気はそれなりにある。
先ほどから喧嘩を遠目に視ている人はいたがその視線は明らかに違う。
「・・・これはまずいな」
ポトスは知っている。今日の一連の事件を妨害し続けた連中がいることを。
事件の前線に立ち昏睡の原因を探り次男と戦闘になった医者と少年。自宅を早々に見つかったのはこの二人のせいだろう。
自宅に押し入り門番を倒し自分とも戦った社長と少年。自分たちが表向き三人で動いていることが早々に発表されたのはこの二人のせいだろう。
息子が潜んでいる場所を早々に見つけた冒険家と少女。リーレがもう少し時間を稼げていたらこの戦闘はもう少し後にそして楽になっていただろう。
誰よりも早く昏睡の原因を探り当てた芸術家と少年。そして息子を直接捕らえた。風撫化があったというのに。本来はもう少し時間を稼げていただろう。
美術館前で長男と戦闘要員を倒した捜査官と少女。単純な戦闘力なら自分に匹敵するはずだった剣士を早々に無力化された。あまりに早すぎる。
(これは本当にまずいな)
心の底が風が吹いたように冷えたことを六感で知覚する。
(あわてるな。相手は焦りをついてくる)
自らの心と頭にさらなる風を吹かせる。汗を吹き飛ばすように。
だが現実は変わらない。おそらく魔法を使わなければここまで深くわからなかっただろう。知らないほうがよかった。
(今までと同じか・・・)
十人。
一人は帰ったか。それでも・・・
だが目の前の少年の言葉はさらなる混乱を生んだ。
「大丈夫だろ。手出しはない」
「え?」
距離を取り風撫化を解除する。六感深化で得た情報は頭にまで届かない。体が反応する。その反応を頭で理解する。
だから
「五感鋭化」
五感を強化し周囲の情報を頭に入れる。風の流れは先ほどから変わらない。つまり動いていない。
(・・・動かない)
十人とも動かない。なぜ?
「…さあな」
少年の表情が変わる。
(知っているな。いやこれは・・・)
覚えがある。
「ならば話は早い。倒して逃げる。どうやらそっちにも事情があるみたいだ」
「そういうことだ・・・ 」
「ふん。そういうことか。ならお互い負けられないな」
「青色薔薇」
「風が今この世に吹く」
右手に持った刀が何度目か風を切ろうとする。
物理攻撃は効かない。だが
「つ」
悪寒。よくあったことだ。なにせ適性が六感深化なのだから。
その刀を避ける。だが今度は
「痛っ」
よけきれなかった。
風が斬られた。空を斬ったのではなく。風を斬った。
「やっぱりそろそろだったか」
ポトスは勘違いしていた。先ほど雄我が言った『そろそろ』は初めは魔力切れのことだと思っていた。だが違った。援軍のことだ。だが実際にはそれでもなかった。
「何だ、それ。能力持ち?まさか刀鍛清廉」
調べつくした。
「違う。能力持ちではあるんだがね。刀鍛清廉ではないよ」
話しながらも斬りつける。
動揺か。あるいは少年が本気を出したのか今度は絶対に間に合わない。
「くっ」
離れるだが間に合わない。
痛みを覚悟した。だが
今度は空を斬った。当然痛みが体に走ることもない。
「え」
思わず声が出る。そして動きが止まる。
雄我に問ってどちらでもよかった。
今度は左だ。
こっちはまずい。魔法剣だ。風撫化のグレード二では無効化できない。
剣が魔力を帯びている。
「ぐぁ」
魔法剣が風を壊した。
風撫化が解除されその体が地面に衝突する。
その隙は逃がさない。
だが
刀はまた空を斬った。だが今度は風撫化ではない。単純な場所替え。ポトスの体は奥にあった。
「はぁはぁ。軍人時代を思い出すよ。体力勝負だったからね」
「ぐ」
雄我にとってこれはまずい事態だ。おそらく相手は躱すことに関しては今まで少年が戦ってきた敵の中でも五指に入る。
なにせ周囲を認識する速度と量が並の人間の数十倍。そして息子であるリーレが入力した情報を一度頭に入れ、そこから筋に出力しているがポトスはそうではない。頭にまで届かない。信号は脊髄で送り返す。
とはいえ方法はある。魔法を使えばいいだけだ。風も重力の影響を受ける。
だが。
(隙が無い。それに逃げることとなったら相手の方が強い。今逃げられると今度は何処に出没するかわからない)
人質はまだ見つかっていない。雄我は助けることに興味はないが、相手の目的として把握している。詠唱している間に逃げられるわけにはいかない。
(病院の中だとは思うが・・・確証はない、それに病院の中だとしても、場所が場所だけに容易く開けられない部屋が複数・・・)
病院にしか置くことが法的に許されない強力な薬。数百万ルーガする医療器具。そしてそんなものを置いておく部屋の鍵を置いておく金庫とその鍵が置かれた場所を開くための鍵。
令状か時間か準備がどうしても必要になる。
(詠唱よりも刀を振るう方が早い。だが左はもとより右も警戒された)
「・・・何か考えているね。これはまずい。先手で攻撃するとしますか」
ポーカーフェイスの雄我に対し、ポトスはふざけて見せる。その真意はわからない。
「直感。そんなものが適正なら武器の選択はおのずとこれになる」
ポトスがとった体勢は両方の拳を握り肘の高さまで上げる。足は少し開き左足を右足の半歩ほど前にだす。
すなわちファイティングポーズ。
「ただもう少し。自分にとって有利な環境にね。緑風吹くに意味はなし(グリーンウィンド)」
風が無秩序に吹き荒れる。時に強く。時に弱く。そこに意味はない。
「音か・・・」
「ああ黒が適正だとしても昼より目は見えない。ならば必然音に頼ることになる。だがこれならね・・・じゃ行きますか」
ポトスが距離を詰める。二刀流と拳だ。リーチに差がある。近づかなければどうにもならない。
それは戦闘の常識。ゆえに軍隊は剣より槍を、槍より銃を重用してきた。
だがそれはあくまで魔法がない世界の話だ。
「くらえ」
ポトスが殴る。だが距離は剣の射程外。当然拳も届かない。
だが拳から放たれた暴風が雄我の体を押す。
「っ」
足を踏ん張り耐える。
重力を制御すれば自在に飛べるとしても、緑相手に空中戦はまずい。
本来は柔らかな風が家族を包む公園にその暴風は吹き荒れる。雄我は動かないように耐える。
ポトスもまたその場から動かない。ポトス自身の意志ではない。それは本人の芯。
第六感が体に告げる。踏み込んではならないと。
その託宣にポトスの脳は逆らう意思はない。
第一印象。あるいはフィーリングと呼ばれるものをポトスはこの世の誰よりも信じていた。なにせそれで戦場と病院を戦い抜いているのだから。
「やっぱり踏み込んでは来ないか。厄介だね、その適正・・・このままじゃ埒が明かない。重力制御」
詠唱後、雄我の体がその場から離れるそれを合図であるかのようにその場に剣が落ちてきた。
「魔法剣か・・・踏み込んでいれば・・・」
「風に影はない。だが重さはある」
魔法剣は重力を増加させる魔法で垂直に地面に刺さった。
つまり。
「ぬ」
風が押し戻されている。当然自然由来のものではない。
いや押し戻されているだけではない。
「乱雑に」
風は無秩序に吹き荒れる。ポトスが起こした魔法だけではない。
「重力を操作して風を吹かせている・・・だが」
頭を動かす前にポトスの体は動いた。
その場には黒い魔力の塊があった。
「影に関する魔法は使えなくなる代わりに視認性が下がるというわけか・・・だが私には」
「わかっている。だからこそ・・・下がったのは命とりだったな」
雄我が言い終えるより前にポトスの口が動いた。
「風が今この世に吹く」
「全体攻撃だ。すべて吸い込め。すべて飲み込む闇の根源」
ポトスが風となったその瞬間、地上では黒い渦が形成された。
強力な魔法には長い詠唱か多くの魔力。あるいはその両方が必要だ。今回は多くの魔力で長い詠唱時間を極限まで短くした。
「ぐおおおおおお」
風が臓腑の奥から出しているような声を出し空へを舞いあがる。ふざける余裕など欠片もない。
「消耗戦は好みではないがまあ仕方がない。それぐらい厄介だったよ」
徐々に風は大地の上の黒い渦へと吸い込まれていく。
「があああああああああああ」
風の渦と重力の渦。先に切れたのは意外にも重力の渦の方だった。
「え」
「・・・最悪の結末を回避する。おそらくその一点ならばおそらくトップクラスに強力な適正だが」
魔力は共に切れかかっている。だからこれは素の身体能力。
風の姿を保てず、落ちていくポトスの体。そこには雄我の姿もあった。
「くっ」
シュツ。
刀が物体を叩いた。
「ぐぁ」
老人の体が地面に衝突する。
「さすがに鍛えられている。ああ刀の方は大丈夫。峰内だから」
決着はついた。
少年の体と汗を柔らかく涼しい夜風が包んだ。
あの少年は?
何人かの声がそこにあった。当の少年には聞こえなかったが。
その問いに少年少女たちは答えた。
聞いたままをあるいは一週間あるいはもっと長い時間自分が感じたことを。
不思議な人だ。まるで何かに選ばれているかのよう。
大人たちはみな納得して去っていった。目的を達成したような顔をして。