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 ――――今でも鮮明に覚えてる。


 夕焼け色にそまった湖のほとりで交わした、初めてのキス。

 大好きな彼との一歩すすんだ大人の関係。


 緊張で息さえうまくできなくて、ドキドキ早鳴る心臓の鼓動がたいへんだった。



 夢みたいな心地の中、触れるだけのキス。

 何度か繰り返し、最後に一呼吸分だけもっと深く奪われて。

 熱のこもった金の瞳を見つめていたら、想像していたよりもずっとたくましい腕に強く抱きしめられた。


 しばしして名残惜しく感じつつも身体を離そうとした、そのとたん。


 ポンッ! と二人の間にとつぜん真っ赤な薔薇が飛び出した。


(あの時はものすごく……ものすごく、驚いたわ)



 あれがきっかけで、彼の体質は変わってしまった。


 数日して判明したのが、キスと同時に合わさった粘膜を通して自分達の魔力が混じり合い、この不思議な花咲く魔法が顕現するようになったということ。


 キスしたからって普通はこんなこと、起こらない。


 奇跡なほどの確率で、二人の魔力の波長がかみ合った。


 ネモフィラは水と木の二属性、ニコラウスは王族特有の光の魔力の持ち主だ。

 二属性の魔力持ちというのも珍しいし、光の魔力持ちも珍しい。


 しかしたとえ珍しい魔力性質同士であったとしても、まさかこんな現象が現実におこるなんて信じられないと、城の研究者が興奮気味に話していた。

 どうしてネモフィラは変わらなくて、ニコラウスだけが影響を受けてしまったのかも、また興味深い研究課題になっているらしい。



「………」


 そんなことを思い出しつつ、ネモフィラは正面のニコラウスに再び視線をむけた。

 返ってくるのはふんわりとした優しい笑顔。


「どうした?」


 穏やかな性格で、よく笑う温かいひとだ。


「ニコラウス様が婚約者で、わたくしとても幸せ者です」


 自然とでた台詞の返事の代わりに、ポンッ! とまたガーベラの花が咲いた。


 こうして目で見てわかりやすく大好きだと表現されていることに、ネモフィラは嬉しくなる。





 ……ネモフィラは、ニコラウスを好いている。

 王太子と侯爵家の令嬢という、絵に描いたような政略結婚相手でも、だ。

 

 幼い頃に婚約者として顔合わせされてすぐに意気投合して、気付けばお互いを大切に想い合っていた。

 


 言葉にしなくても丸わかりだったけれど、それでも初めに「好きだ」と伝えてもらったのは、ネモフィラの十歳の誕生日だった。

 あの時に誕生日プレゼントでもらった指輪は、成長してはめられなくなったものの、今も大切にしている。



 子供の頃から努力家で、決められた勉学の時間以外も自主的に学び続けてる姿勢。

 人の悲しい顔をみることが苦手で、王族として非情な裁きをしなければならばならなかった後はひどく落ち込んでしまうところ。


 格好いいところも、強さも、弱さも、可愛らしさも、とても好ましくて愛おしい。



(素敵なひとだからこそ、わたしも相応しくありたいと思うの)


 家柄だけでは弱いと、ネモフィラはなにもかもを人一倍に頑張ってきた。

 婚約当初はいた反対派も、その努力の甲斐あっての優秀な成績と社交能力をみせていくことで同年代の令嬢の中で次期王妃に一番ふさわしいのはネモフィラだと、ようやく納得してくれつつあるところだ。


「もっと頑張らないと」

「何の話し?」


 突然の呟きにきょとんとした顔をする彼に、つい笑いが漏れる。


「色々と、全部のお話しです」

「……? そうなんだ?」


 ……誰の目から見ても次期王妃にふさわしいように、誰にもこの立場を取られる心配のないくらいになれるように。

 これからも一生懸命に頑張るのだ。

 改めて心に決めたネモフィラの燃えるやる気に、楽しそうでなによりだと呟きつつ、ニコラウスはスプーンですくった林檎のゼリーをネモフィラの口に押し込んだ。


「むぐっ」

「頑張る云々はともかく、そろそろ食べきってしまわないと。午後の授業までに一緒に散歩はどうかと思っていたのに、時間がなくなってしまうな」

「お散歩! したいです!」

「私もだ。それに早く二人きりになりたい」

「ふ、二人きり……急ぎますわ」

「真っ赤だな。はは、取り繕いが外れかかってるぞ」

「気を付けます……」

「私的には可愛らしくて好ましいが、確かに人前ではあまり見せたくない顔だな」

「なっ……!」


(こんなの、余計に赤くなってしまうわ!)


 次期王妃にふさわしくと頑張っているのに、彼の前だとらしく出来なくなる。

 どきどきそわそわして、落ち着きがなくなってしまう。

 ニコラウスが相手の時だけ特に感情の制御が難しくなる。

 これが恋というものなのだろうと分かるけれど、立場上、恋に翻弄されてばかりいられない。

 ネモフィラは姿勢をただし、どうにか淑女らしさを取り繕うのだった。



 そうやって頑張るネモフィラの姿にニコラウスは嬉しそうに瞳を細め、また花を跳び出させた。



* * * *




 楽しく友人たちと語らいあい、優秀な教師に指導をうける。

 そしてニコラウスとのたわいない触れ合いの時間を得られている。

 ネモフィラの学生生活は、毎日とても充実している。


 

(今日もとても楽しかったわ)


「ただいま戻りました」

「ねえしゃまぁ!」


 夕方、家へ戻ったネモフィラは玄関ホールの扉脇で待ち構えていた人影によちよちと駆け寄られ、ガシッと足にしがみつかれた。


「ディーノ。いい子にしてた?」

「あい!」


 たいへん元気ないい返事だ。

 彼は二歳になる弟のディーノ。

 ネモフィラの髪よりもずいぶん濃い藍色の髪をしている。

 抱き上げるとふくふくのほっぺを摺り寄せてこられ、ネモフィラはつい目尻が垂れてしまう。


「あぁ、今日も可愛いわ。私のディーノ、大好きよ」

「だいしゅきー!」


 魅力的な弾力ある頬にキスをすると、嬉しそうに声を上げて笑う。


 ……ネモフィラとディーノの母親は、ディーノが生まれた時に出血が止まらずに亡くなってしまった。

 ディーノは母が命と引き換えに贈ってくれた家族であり、ネモフィラの大切な大切な宝物だ。


「ネモフィラ」


 ディーノとのひと時を楽しんでいたとき、声が掛けられた。

 それに振り返ったネモフィラは、驚きに目を瞬く。


「まぁお父様、お帰りになっていたのですね」

「あぁ」


 王の片腕であり、この国の宰相として働くネモフィラの父ジェイム。

 彼は仕事がらとてもいそがしく、いつもは王城で寝泊まりしている。

 だからこの家で暮らしている家族はほとんどネモフィラとディーノの姉弟だけなのだ。あとは住み込みの使用人たち。


 父とあまり一緒にいられないのはやはり寂しい。

 それでも真摯に王を支える姿はとっても格好よくて、尊敬している自慢の父親である。


(あら……? お父様、ずいぶん顔色が悪いわね)


 心配になったネモフィラは、ディーノを抱いたままジェイムのそばに駆け寄った。


「お父様、もしかしてお加減が悪くてお帰りになったのですか? 風邪でしょうか。大丈夫ですか?」

「ちちうえ? だーじょおぶ?」

「いや……体調は問題ない」

「でも明らかに顔色がよくありませんわ。おやすみになった方がよいのではないでしょうか」

「……問題ない」


 硬くて張りつめた声に、ネモフィラは首をかしげた。

 つられて一緒にディーノもこてんと首をかたむけている。


(そういえば、お父様がこんなふうに玄関に迎えに出てくるのもおかしいわね)


 一体どうしたのだろう。

 不思議に思っている間にも、父はなにか悩んでいるふうに唸っている。

 そのあと、とても言いにくそうに顔を歪めた。


「ネモフィラ」

「はい」

「国王陛下よりネモフィラへの伝言を賜っている。私の執務室にくるように。」

「まぁ、陛下からですか……?」

「真面目な話だから、ディーノは乳母に預けてくるように」


 ジェイドが手を伸ばし、ネモフィラの腕の中にいるディーノの頭を撫でながら言った。


「かしこまりましたお父様。ではディーノをあずけて、制服も着替え、身支度を調えてから参りますね」

「あぁ」

 

 どうやら父の顔色の悪い原因は、王からの伝言が理由らしい。


(何かしら。……あきらかに良い報せでは無さそうだけれど)


 この様子からして、なにやら大きな問題がおこったらしい。

 しかもネモフィラに関係あるということは、婚約者であるニコラウスにも関わるのではないだろうか。


(嫌な予感がするわ)


 ざわざわと胸がさざめいていく。


 今日は特に学園で充実した一日を送れて、とてもいい気分で帰ってきたのに。

 とたんに心がしぼんでしまったような感じだ。


「お嬢様、お帰りなさいませ」


 立ち尽くすネモフィラに侍女のひとりがそっと近付いてきて、ディーノを抱きあげてくれた。


「ナタリー。ただいま」


 肩口で切られたふわふわの桃色の髪をした侍女のナタリーは、片腕でディーノを抱きながら、もう片方の手で立ち尽くしていたネモフィラの背をそっと押してくれる。


「旦那様のあの様子では、あまりお待たせするべきではないでしょうし、さあお部屋へ」

「そうね」

「気分があがるように、お気に入りのグリーンの花柄のドレスにいたしましょうか。可愛らしく髪も結い直しましょうね」

「ふふ、えぇそうするわ。有り難う、ナタリー」

 

 淑女は化粧とドレス、そして立ち居振る舞いの美しさで勝負する。

 女の武器というやつだ。

 だからこそ大事な時こそ気合いの入る服装をするのだというのは、いつか何かの本で読んでから心に刻んでいることでもある。

 ナタリーはそれを知っているから、ドレスや髪型を提案してくれた。



 ……少し不安だから、格好だけでも気合いが入るようなものを。


 自分を分かってくれる彼女に感謝をしつつ、ネモフィラは二階の自室へ向かうために階段へむかうのだった。



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