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第9.5話

 サーシャは幼いころ、寝る前にいつも同じ本を読んでいた。

 それはある冒険者の物語。

 主人公は弱い身体を持つも努力を重ねていき、やがて世界を救う。

 彼は強大な敵にも心を折れずに立ち向かう。

 彼は倒れても倒れても立ち上がり、最後には必ず勝つ。

 そんな夢物語だったが、彼女はそんな主人公が大好きだった。そして将来はそんな冒険者達と一緒にパーティを組んでみたいと思うようになったのだった。


 それから大きくなった彼女は魔法の才能に目覚める。中でも治癒魔法は得意になった。

 当然、冒険者を目指そうと思っていた彼女だったが、努力しても何故か一向に強くなれなかった。魔力は幾らか増えていったのだが体力が続かない。更には身体にあまり筋肉が付かず、力仕事も難しかった。

 こんな自分では冒険者になれないと悩んでいた彼女に、ある日ギルドからの推薦状が届く。そこには治癒魔法の有能な使い手を募集しているとの内容が書かれていた。それを見た彼女は、例え自分が冒険者になれなくても、ギルド職員になればあの物語のような冒険者の助けになれるかもしれないと考え、推薦を受けようと決意する。


 しかし、ギルドに入って数年の時が過ぎても、彼女が夢見た物語の主人公はどこにも存在しなかった。

 期待した冒険者からは下心丸出しのお誘いを受けるし、酒に酔った冒険者には絡まれるし、更には職員を下に見ているような人がほとんどだった。本当の意味で一生懸命になって冒険者をやっているような人などどこにもいなかったのである。 

 それでも受付で頑張って働いていた彼女だったが、来る日も来る日も単純な事務作業に追われる日々を過ごすだけで、期待されていた治癒魔法を使うことすらほとんどなかった。あるとしても酒場で酒に酔った冒険者に対してくらいのものであったし、しかも誰でも出来るレベルの魔法しか使っていなかった。正直、自分がギルド職員になった意味は何だったのだろうと思い始めていた。


 とはいっても、ギルド職員になってしまった今では自分の生活もあるし簡単に辞める訳にはいかない。

 あの夢物語はその名の通りただの夢だったんだと、気持ちを切り替えていかなければならないのだ。

 きっとこれが、大人になっていくということなんだろう。


 こうして彼女はあの本のことを少しずつ忘れていく。

 もはや思い出すことも無くなっていた。



 しかし、そんな彼女の人生が変わる出来事が起きようとしていた。





(ふう・・・。やっと帰ってくれたわ。)


 仕事の内容が2、個人的な内容が8くらいの話をしてきた冒険者の後ろ姿を見て、サーシャは安堵の息を吐く。

 これ以上話を続けていたらイライラして危うく笑顔を崩してしまう所だった。ギルド職員としてそんな姿を見せる訳にはいかないとなんとか話を切り上げた彼女は、頭を軽く振り、気を取り直してから次に順番を待っている人物へと声を掛ける。



「次の方どうぞー!!」

「ギルド登録をしたいのですが。」

「あ、初めての方ですね?それでは準備しますので、先にこれを読んでいてください。」



(また新人冒険者か。見たところ歳はそこまで若くなさそうだけど、大丈夫かな?)


 サーシャは目の前の人物を見て失礼な事を思いながらも登録の準備に移る。

 新人冒険者は決まって未成年だ。その多くが夢を抱いて上級冒険者を目指すものの、10数年後には自分の限界を悟り、結局その経験を活かして別の職業に就くのだ。今残っているベテランの冒険者はそれらの限界を超えたエリートである。

 しかし、今回登録を希望している人物は、どう見ても中年くらいに見える。

 まあ少なく見積もっても30歳くらいだろう。

 しかし、そんな歳から冒険者を始めても厳しいですよとは言えない。職員として言える立場でもないと思う。



「まあ、私には関係ないか。」



 彼女は受付の奥で準備している間、そんな独り言を言うのだった。


 サーシャは準備をして受付に戻ってくる途中、あの男の人が真剣に冒険者マニュアルを読んでいる姿が見えた。何だかワクワクしているようにも見える。


(いい歳してはしゃいじゃって。変な人ね。)


 サーシャはそんな事を思いながら話し掛ける。



「登録の準備が出来ましたので、こちらに必要事項をご記入下さい。申し遅れましたが、私はサーシャと言います。よろしくお願いします。」

「私はクロノと言います。こちらこそよろしくお願いします。」



(へえ。ちょっと意外ね。、私のような一介のギルド職員にも丁寧な対応をするなんて。)


 冒険者になるような者は自信満々に話をしてくる自意識過剰な者が多い。

 低姿勢な目の前の男に感心するサーシャだったが、必要事項を記入された資料を確認して驚く。


(えっ。歳は25歳!?私と3つしか変わらないじゃない。・・・中年とか思ってしまってごめんなさい。)


 自分と歳が近いことを知ったサーシャは、心の中でクロノという男に謝罪する。

 それどころか自分ももう年増なのではと心配にもなっていた。

 そんな仕事とは関係ないところで焦ってしまった彼女だったが、仕事モードにすぐに切り替える。



「それでは、最後に魔力を量りますね。魔力が少なすぎると冒険者としての資質無しと見做(みな)されて登録できない場合があります。ただ、今までそれで登録出来なかった方はほとんどいないのでご安心下さい。」



 すると、クロノという男の顔色が見る見るうちに優れなくなっていくのが分かった。


(どうしたのかしら。これくらい常識の範囲内だし、驚くような事かしら。)



「大丈夫ですか?」

「あ、はい。だ、大丈夫です。」



 疑問に思った彼女だったが、相手は問題無いようだったのでとりあえずマニュアル通りに登録を進めていく。

 手元に用意していた水晶玉を取り出し、受付のテーブルに置いた。



「それでは手をかざしてください。」



 男は手を恐る恐るかざしていた。


(これも初めて見たような反応ね。アルカナに住んでいたら一度くらいは使っているはずなのだけれど。)


 魔力探知機と呼ばれる水晶玉は、アルカナの学校では身体検査の時に使用されている。

 魔力に異常があるときは必ず身体のどこかに異常があるため、重宝されているのだ。

 男の手が離れたことを確認し、水晶玉の反応を見る。反応には色々あるが、魔力量の確認だけなら光の大きさを見れば良いため、簡単に分かるのだ。


(え・・・?これって?反応無しってこと?)


 しかし、水晶玉からは全くと言っていいほど反応が無い。つまり肉眼で確認できないくらいに魔力が無いということなのだろう。そんなことあるのだろうかという疑問が湧いたが、それは今は置いておくにしても魔力が無かったら冒険者になるには無理があるのではないか。



「え・・・?クロノさん、魔力が全く無いようですが、それって・・・」

「そ、そうなんです。でもどうしても登録したくて・・・。」



 恐る恐る確認すると、クロノという男からは肯定の意が返ってきた。

 魔力が全く無いなんて今まで生きてきて聞いたことが無い。

 もちろんのこと、魔力が無い方の登録はギルドの規則に違反してしまう。



「魔力が無いというのは初めてのケースですが、結局は魔力が少ないということになるので、ギルドの規則ではダメなんです。残念ですが・・・」

「そこを何とか頼むよ!」



 マニュアル通りに対応したサーシャだったが、クロノから真剣な眼差しで懇願される。

 それは、遊びでは無い本気さが見て取れた。



「おいお前!魔力が無いのに冒険者とは見苦しいぞ!弱虫は帰ってママのおっぱいでもしゃぶってるのがお似合いだぜ。」



 並んでいた冒険者が今の話を聞いていたのだろう。

 とても下品な言葉で目の前のクロノを挑発している。

 サーシャはどうしようかと悩んでいると、挑発を無視したクロノから声を掛けられる。



「魔力は無いが、俺は冒険者にどうしてもなりたいんだ。頼むよ。本当に。」

「規則である以上は・・・」



 再び真剣な眼差しでクロノは自分を見つめてきた。

 しかし、彼女にはどうしたら良いのか分からず、マニュアル通りの受け答えをすることしか出来なかった。


(ごめんなさい。クロノさん。私のような下っ端にはどうすることも出来ないの。)



「おい!いいかげんしろよお前。帰れって言ってんだろ?ぶっ殺すぞ!」



 先程クロノを挑発した冒険者がまた暴言を吐いている。

 今度は少し怖い声だった。

 ギルドにいるみんなが私達を見ている気がする。



「なんだ、この騒ぎは。」

「あ、レントさん。」



 サーシャは助かったと心の中で思った。ギルドの中でも古参のレントならば、どうにかこの場を収めてくれるはずだからだ。

 レントは水晶玉を見ると何かを考え込んでいるようだった。



「クロノ・・・さんだったね?規則では確かに魔力が無い者はギルドに登録ができない事になっている。しかし、その規則があるのは依頼者を守るためにある。弱い冒険者に頼んだばかりに依頼が失敗したということがあってはならないからだ。」



 そして、レントは続ける。



「逆に言えば、魔力が無くとも強ければ問題無いということさ。つまり、クロノさんどうだろう?あの男と決闘して、勝つことができたらギルドに登録させてあげようじゃないか。」

「え、いいんですか!?」

「ああ。二言は無い。」



(え!!?どういうことなの!?決闘で勝てば登録できるなんて、規則には無いし、聞いたことがない。)


 サーシャは混乱していた。レントが予想外の事を言ったからだ。

 習ったマニュアルにはそんなことは書いていないし、そもそも可能なのだろうか。

 ギルドに登録するには、最終的にギルドマスターの承認が必要となる。規則外の事の場合、ギルドマスターに話を通さないと勝手に決められない案件のはずだった。


(もしかして、ギルドマスターもこのことを知っているのかしら・・・。)



「おいおい、勝手なことを言わないで下さいよ、レントの旦那。俺はやるなんて一言も言ってませんぜ。」

「フン。勝手なことをしているのはどちらかな。ギメルさん。あんたは力に物を言わせて他の冒険者に色々と強請(ゆす)っているようじゃないか?」

「は、はは。ご冗談を。何の事だか分かりませんね。」



 このギメルという男はしつこく迫ってくる冒険者の中でも、特に一番嫌な奴だった。

 前にお誘いを断った時には、ギルドからの帰り際に待ち伏せされていたこともあった。

 思い出しただけでも怖い。



「旦那。言いたいことはこれか?そこのひよっこの魔力無し野郎を倒せば、水に流すと。そういうことかい?」

「ああ。そういうことだ。理解が早くて助かるよ。」

「はっ!そんなことでいいならもう俺の無罪は決まったな。おい、お前早く表に出ろ!」

「あ、ああ。の、望むところだ!」



(う、嘘でしょ!? クロノさん!!あなたは魔力が無い上に今からギルドに登録するくらいの駆け出し中の駆け出し冒険者なのよ!その上相手はDランク冒険者。勝ち目は無いわ。自殺行為よ。・・・ほら見なさい。足が震えているじゃない。)



「あークロノさん、ちなみに相手はDランク冒険者だ。頑張ってくれたまえ!」

「レントさん。約束だぞ。勝ったら登録してくれるって。」



(ええ!!あり得ないわ。今レントさんはギメルがDランクだって言ったのよ!?あなたでは絶対に勝てない相手だわ。それに、あの人は素行が悪くなければCランクにも届くと言われている実力の持ち主なのよ!)



「ああ。もちろん。ついでに、このサーシャとのデートもプレゼントしよう。」


 一瞬何を言われたのか分からなかったサーシャだったが、段々と思考が追い付いてきて、直ぐに抗議する。



「は??勝手に何を言ってるんですか!?」

「いいじゃないか。君はクロノさんが勝てると思ってないんだろう?」

「それは・・・。そうですが。」



(・・・だって震えているし。それにまだ駆け出しなのよ。当然でしょう。)



「じゃあ、そういうことで。クロノさん、デートも合わせて約束だ。」

「よろしく頼む。」



(えええ!約束するの!?というか、『よろしく頼む』って何なの?もう訳が分からないわ!)


 クロノは入口へと向かい始める。サーシャはその後ろ姿を呆然と見つめていた。

 彼女は色々なことがいっぺんに起こったため、思考が完全に追いついていなかったのだ。

 頭の中がグルグルと回り、最終的に登録の話の時に真っ直ぐ彼女の目を見つめてきたクロノの顔が思い浮かんできて、更にデートと言う単語が彼女の思考に追い打ちを掛ける。その結果、クロノは自分のことが好きなのではという誤った結論に至ってしまう。



「そ、そんなに私とデートしたいのかな?」



 サーシャは心の中で言ったつもりだったが、周りの職員には丸聞こえだった。

 レントはそんな彼女を心配になりつつもギルドを出ていこうとする。どうやらクロノの戦いを見に行くつもりのようだ。

 彼女はそれに気づくと、レントを追いかける。



「わ、私も。」



 順番を待っていた冒険者を尻目に、彼女は仕事を放棄する。

 デートはともかくとして、彼女はどうしても確認したかったのだ。絶対に勝てない相手を前に戦おうとするクロノがどうなってしまうのか。

 もしかしたら勝負は一瞬で決まってしまうかもしれないし、見るに堪えない一方的な内容になるかもしれない。

 しかし、信じてみたかったのだ。もう冒険者としては遅れているであろうクロノのあの本気の目を。



 彼女はまだ心の奥に閉まっていた何かを思い出せずにいた。






 決闘が始まってどのくらいの時間が経過したのだろう。まだ数分か。いや、もう数十分は経過しているかもしれない。

 サーシャは目の前の光景に釘付けになっていたため、時間の感覚など()うに忘れていた。


 クロノは戦闘が始まる前の卑怯な奇襲を何とか回避し、その後はクロノがギメルの攻撃を防ぐ一方的な展開になっていた。

 奇襲を回避したのはまぐれだったと思っていた彼女だったが、クロノが息を切らしながらギメルの攻撃を全て防いでいる姿を見て、あの回避もまぐれではなかったのだと思い始めていた。


(今まで自己流で訓練していたというの?多少は剣の扱い方を分かっているように見えるけれど、動きはまだまだ素人そのもの。・・・躱し続けるなんて不可能のはずよ。)


 そう思った彼女は何気なくクロノの目を見ようとした。

 きっともう心が折れかかった、戦意を喪失した目をしているはずと思ったからだ。

 しかし、クロノの目を見た彼女は一瞬胸が熱くなる。

 彼の目は受付で彼女を見つめた時と同じ、あの真っ直ぐな目をしていたからだ。


(どうして・・・。あなたには無理よ。だって、あんなに震えていたじゃない。)


 サーシャはギメルに挑発されたクロノの足が震えていたことを思い出す。

 あれはどう見ても駆け出し冒険者がベテランの冒険者に恐れをなした反応であったし、何より実力の差は歴然という証拠だったはず。


 そうこうしているうちに戦闘が止まる。

 ギメルが何かしようとしているようだった。


(もしかして、スキル加速(アクセル)を使うつもり!? あれは駆け出し冒険者に防げるようなものじゃないわ!)


 加速(アクセル)はギメルの十八番ともいえる技であることは周知の事実だった。

 肉体的な負荷が掛かりすぎるあのスキルは、普通の冒険者が一度でも使用すれば身体の自由が利かなくなる危険なものだ。

 しかし、ギメルは圧倒的に鍛え上げられた肉体を持っており、並みの冒険者とはレベルが違う。

 複数回使用しても立っていられる程の実力があるのだ。

 相手が疲弊してからの連続スキル行使で一気に畳みかけるその圧倒的な攻撃力は、上級冒険者であっても気を抜けばやられてしまう。


 ギイイイン!!!


 再び攻撃が始まる。

 先程と同様にクロノは攻撃を何とか防いでいるように見えたが、一瞬目にも留まらぬ速さで動いたギメルの攻撃がクロノにクリーンヒットしてしまう。

 スキル加速(アクセル)を使用したのだろう。



「クロノさん!!!」



 いつの間にかサーシャは声を上げていた。

 何故かは分からないが、身体が勝手に反応していたのだ。


 ギメルは勝ち誇ったような顔つきで、痛みで動けないであろうクロノのところへ向かっている。

 どうやら止めを刺すつもりだ。


(このままじゃ・・・。)


 サーシャはクロノの負けをひしひしと感じていた。

 だが、本当のところそこまで悲観してはいない。これが普通の結果だと心のどこかで分かっていたからだ。

 そんな全てを悟ったその時だった。



「クロノ!!お前はもう諦めるのか!?お前には約束があるんだろう!?」」



 サーシャの隣から耳を(つんざ)くような大声が聞こえた。

 それは、決闘をずっと静かに見守っていたレントの声だった。


(約束って何かしら・・・。)


 約束という初めて聞く言葉に考え込んでいると、戦闘に動きがあったようだ。

 恐らくギメルが剣を振り下ろし、クロノに止めを刺したのだろう。砂埃が舞っていていて、姿を確認することが出来ないが、まず間違いない。



「・・・終わったのね。」



 サーシャは決闘の終了を口にしていた。


 しかし、彼女は驚きの光景を目にする。

 何とクロノが立ち上がっていたばかりか、背後からギメルに攻撃を仕掛けようとしていたのだ。

 見るからに限界の身体で飛び込むクロノを見て、彼女は再び胸が熱くなるのを感じる。


(そんな弱い身体で・・・どうして戦えるの?)


 彼女はその姿から目を離せずにいた。


 だが、そんなクロノの攻撃は防がれる。

 またもやスキル加速(アクセル)を使われたのだろう。

 クロノはその場で崩れ落ちていった。


 それを見たサーシャは心の中で思う。


(嫌・・・。立って!!クロノさん!!!)


 最早それは、1人の男を応援する思いだった。

 すると、その想いが通じたのかクロノは再び立ち上がろうとする。



「まだだ・・・。まだ俺は負けていない!!」



 血を吐き、よろよろと立ち上がるその姿は、まさに彼女が大好きだった物語の主人公そのものだった。

 絶体絶命の事態にも果敢に立ち向かう。そんなカッコいい冒険者が目の前にいた。



「勝って!!!クロノさん!!!!」



 いつしか彼女は声を張り上げる。

 その心からの声援が再びクロノに届いたのか、クロノはギメルに飛び込んでいく。



「うおおおおおあああ!!!」



 ギイイイイン!


 剣と剣がぶつかる音が鳴り響く。

 それを見守る人々の中に声を上げる者は誰もいない。


 しかし、クロノは再び吹き飛ばされる。スキル加速(アクセル)を使われたのだ。

 誰もが固唾を飲んで行く末を見守る中、なんとクロノは再び立ち上がろうとしていた。

 その鬼気迫る表情とクロノの血だらけの身体を見た周りの冒険者達からは悲鳴の声が上がっている。



「クロノさん!!!頑張って!!!負けないで!!!!」



 その中で唯一クロノの勝ちを信じようとするサーシャは必死に叫ぶが、その声は悲鳴の中に掻き消されていく。

 本来ならばギルド職員として助けるべき人が目の前にいるのに彼女には見守ることしか出来ない。

 そしてクロノは叫んだ。



「俺は・・・絶対に倒れない!!!」



 それを聞いたサーシャは自分では気づかぬうちに涙を流す。


(ダメなのに・・・。クロノさんが死んでしまうかもしれないというのに・・・。私は、こんなにもクロノさんに戦って欲しい、いや勝って欲しいと思ってしまっている。)



「こ・・・の、死に損ないがあああああ!!!」



 それを見て勝ちを急いだギメルは、クロノに飛び掛かって大剣を振り下ろしていた。

 クロノが倒れ込むようにそれを回避しているのが見えた。再び砂埃が周囲の視界を奪う。


 クロノは既にギメルの背後に回る。 


 それに気づいていたギメルは再びあり得ない速度で大剣を強引に背後へ回し、盾としようとしている。

 しかし、幾ら肉体を鍛えていてもスキル過剰使用は誰の目にも明らかだった。

 動きがかなり鈍っている。



「はああああああ!!!」



 サーシャの目には、クロノが今までで一番素早い動きをしているのが分かった。

 それは正に英雄の一撃に思えるほどに。



「行けえええええ!!!クロノさん!!!!」



 クロノは攻撃にフェイントを入れ、ギメルの盾を()(くぐ)る。



「くそおおおおおお!!この餓鬼が!!!!」

「うおおおおお!!!!」



 ギメルの腕は吹き飛んでいった。

 そして、クロノは勝利する。


(嘘・・・。本当に勝った。・・・駆け出しのクロノさんが、Dランク冒険者に・・・勝った。)


 サーシャは胸が熱くなるどころか、高鳴りがどんどん大きくなっていることに気が付く。

 今まで生きてきて初めての感覚だった。

 そして、彼女は忘れていた気持ちを思い出す。



「クロノさんは、私の夢物語の主人公・・・やっと出会えた。」



 その時だった。



「クロノ!!!ここまでだ。・・・この決闘、お前の勝ちだ。」



 ギメルの近くまで歩いていたクロノをレントが止めているのが見える。

 どうやら、ギメルに止めを刺そうとしていたらしい。

 顔も血だらけのクロノにはもうほとんど視界も見えていないと思われた。


 そして、静まり返っていた冒険者や野次馬達から大歓声が巻き起こる。

 興奮したのかその場で飛び跳ねる人や、クロノの名前を呼ぶ声。そして泣いている人もいた。


(私も気づいたら泣いていた・・・。本当に・・・カッコよかったです。クロノさん。)


 そんなクロノの元へサーシャも近づいていく。

 そこでふと、自分の状況に気が付く。


(あれ私、何て声を掛けたら・・・。もうダメ。顔を見れる自信がない・・・。)


 彼女は自分の気持ちを知ってしまったことで、クロノに会わせる顔が無いことに気が付いたのだった。

 しどろもどろにしながら歩いていく。



「おい!クロノ、しっかりしろ! サーシャ、治癒魔法を。他の者は彼を運ぶのを手伝ってくれ!急げ!!」



 どうやらクロノが倒れたようだ。


 それを見たサーシャは全力で走る。

 絶対にこの人を死なせたくないという想いを胸に。


 彼女はギルド職員として、そして1人の乙女として治癒魔法を行使するのだった。




 クロノは宿屋≪銀の輝き亭≫に運ばれていた。

 ギルドカードを登録する際の書類に住所として記されていたため、レントとサーシャ含む数人のギルド職員でクロノを担ぎこんだのだ。


「それでは後は頼むぞ。サーシャ。」

「はい。任せて下さい。残りは完璧に直して見せます!」


 それを聞いたサーシャ以外の職員は全員ギルドへと戻っていく。レントに関しては決闘の後処理が残っており、特に急いでいるようだった。

 クロノの治療は何とか急場は凌いだため、実際のところ、サーシャが残る意味はほとんどないことを皆気づいている。

 実はサーシャを残したのはレントの粋な計らいだったが、彼女自身はそれに気づいていない。


 宿屋の一室でサーシャはクロノと2人きりになる。当然クロノは眠ったままだ。


(クロノさん・・・。よかった。)


 サーシャは治癒魔法を行使しつつ、クロノの身体を優しく撫でる。


(あ、私、勝手になんてことを・・・。ごめんなさい。クロノさん。止められないの・・・。)


 自分のやっていることに後ろめたさを感じつつも、サーシャの手は止まらなかった。

 治療以外の目的で初めて男の人に触っている。ゴツゴツとした感触が、何だか愛おしく感じられてしまう。

 ずっと触っていたいと思った彼女は、それから暫くの間、クロノに触れ続けるのであった。



 それからどのくらいの時間が経過したのか分からないが、サーシャは治癒魔法の使用を既にやめていた。

 どうやら治療は無事終わったようだ。しかしその手はしっかりとクロノの手を握っている。



「クロノさん!!大丈夫!?また倒れたって聞いたけど!!!」

「きゃあ!」



 ノックも無しに突然部屋の扉が開いた。

 入ってきたのは宿屋の従業員と思われる娘だった。自分よりも大分若い少女だ。

 驚いたサーシャは握っていた手を素早く離した。どうやら目の前の少女には見られていないようだ。



「あ、ごめんなさい! まさかクロノさん以外に人がいるとは思わなくて・・・。」

「それでも普通ノックくらいしませんか?」



(ちょっと、この娘、いつも勝手にクロノさんの部屋に入っているような口ぶりね。)


 軽く嫉妬するサーシャであったが、それは杞憂に終わる。



「私、いつもやっちゃうんですよね~。他の宿泊客の部屋にも勝手に入ってよく叱られるんです。すいません。」

「そ、そうなの。それならい、いや良くないわ。」



 安堵した彼女は一瞬肯定しそうになるが、ここで肯定するのはこの娘にいらぬ気持ちを抱かせてしまう原因になり兼ねないと判断し、ギリギリ否定する。



「ええ!どっちですか。えと・・・私はミランと言いますが、お姉さんは?」

「私はギルド職員のサーシャよ。他にも数名でここに来ていたのだけれど、聞いていなかったの?」

「いや、お母さんがみんな帰っていったって言ってたから、てっきり誰もいないと思ってました。」

「それは仕方ないわね。・・・それじゃ、クロノさんの治療は既に終わっているから、後のことはあなたに任せるわね。」



 サーシャはそそくさとこの場を後にしようとする。

 そこでふと思う。


(ここで2人きりだったことをクロノさんに知られたらとても恥ずかしい気がする。いや、知られたい気持ちはあるのだけれど・・・。もしそれで、はしたない女性と思われたらどうしよう。)



「ミランちゃん。私がここにいたことはクロノさんには内緒にしてね。治療のためとは言え、あらぬ誤解を生んでしまうかもしれないし。」

「え?あ、はい。分かりました。」



(よし。これで完璧ね。大人の女性として及第点の答えのはずよ。)


 安心したサーシャは部屋の扉を開けようとする。



「じゃあ、サーシャさんが手を繋いでいたことも内緒ですか?」



 爆弾が急に落とされる。

 頭の上にそれを落とされたサーシャは開きかけていた扉を一瞬で閉めると、その勢いのままミランに詰め寄った。

 顔はこれでもかというくらいに真っ赤になっている。



「・・・絶対に内緒です。お願いします。」

「ふふふ。分かりました!それだけは絶対に言いませんから、安心してください。同じ女性同士、約束です。」



 それを聞いたサーシャは心から安心すると、クロノを横目に出ていった。


 大人の女性としての立場が逆転した瞬間だった。





「ふふっ。サーシャさんって可愛い方だね。やっぱりここにいたことくらいは教えちゃおうっと。」



 ミランの悪い顔だけがその場に残ったのだった。


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