基礎能力
あまりの激痛に視界が歪み、吐き気を催すが、それよりも優先すべきことがある。
そう、止血だ。
人間がどれだけ血を失えば、死ぬのかは分からないが、いずれにしろ、これは急を要する事態だ。
痛みに喘ぎながら、サードマンは残った右の上腕部に力を込める。
筋肉が収縮し、血管を圧迫することによって、先程まで噴水のように噴き出していた血液がピタリと止まる。心なしか痛みも和らいできた。
『何者をも圧倒できる身体能力』を持ってすれば、不可能ではないと、直感的に思ったのだが、上手くいったことに安堵する。
ひとまず危機を脱し、多少の余裕が出てきたサードマンの目に映った光景は、人がこんな酷い目に合っているのにも拘わらず、呑気に演劇を繰り広げている薄情者共と、大勢の観客達だった。
薄情者とは笑わせるが、サードマンの辞書には、自業自得という言葉は存在しないのだ。
お前など、路傍の石も同然といったような、彼等の態度に、苛立ちを覚える。
日本では、いつも会話の中心にいた自分が、蔑ろにされるこの状況に、サードマンは我慢できなかった。
そして演劇が丁度、騎士の胸に姫が飛び込む、感動の場面に差し掛かったことによって、彼の怒りが頂点に達する。
因みに王様役は、ハンカチを噛んで悔しがっていた。
本来であれば、触ろうとした人物に触れることさえできず、ワケも分からず腕を失ったことに、慄き、警戒し、疑問を覚えるべきなのだが、
今のサードマンには、先程の激痛に悶える中で聞こえてきた――
『わたくしの能力』『空間』『肉を削ぎ落とす』等の、断片的な情報から、状況を判断する冷静さなど、望むべくもなかった。
彼が今まで読んできた、ファンタジー漫画のように、異世界人に多様な異能力があっても、何ら不思議ではないというのに。
「何だよ……、何なんだよてめえ等、何で俺の腕が無いんだよ。クソがあぁぁぁぁぁ!」
彼の怒号に、キャスト達は演劇を中断し、一斉に振り向く。
そして、片腕を失った、無様な勇者を、汚物を見るかのような目で睥睨した。
「やれやれ、まだおったのか。其方が赤子にも劣る存在と分かった今、用はないのだがのう」
ムテキングが口を開くが、安い挑発にしても、言っていることの意味合いが、あまりにも事実とかけ離れているように思えた。
「舐めやがって……」
奥歯をぎりぎりと噛み締め、血が出る程、左拳を握りしめたサードマンは、膝を曲げ、桁外れな瞬発力を秘めた脚に、力を込める。
「ぶっ殺す」
床を破壊する勢いで、文字通り飛び掛かるが、殴りつけた拳は、不遜な王をすり抜け、空を切る。
体ごと、ムテキングを通り過ぎたサードマンは、空振りではあったが、殴った勢いを利用し、空中で体を反転させると、前傾姿勢で着地し、床を削りながら制動をかけた。
《なんで、攻撃がすり抜けやがる?》
ここにきて、ようやく彼は、攻撃が透過していることに、気が付いた。
トゥナイトに攻撃が当たらなかったのは、
姫に触れられなかったのは、
王をすり抜けたのは、そういうことなのだと。
だが、おかしい。
自分が手に入れた異能力は、『何者をも圧倒できる身体能力』だ。
仮に奴等に、攻撃を透過させる能力があったとしても、圧倒できるはずではないのか?
それなのに攻撃が通じず、腕を切断された事実。
何者をも圧倒できるはずが、それが機能していないことと、そんな状況の中、彼等を攻撃し、敵愾心を煽ってしまったことに、焦りを覚える。
今更の今更だが……。
サードマンは、訳の分からないこの状況に、わなわなと震えだした。
「お父様、説明してさしあげては如何です?……ですわ」
そんな様子を見て、プリンアラモードが、呆れたような面持ちで、提案する。
「まぁ、それも一興かもしれぬな。特に問題もなかろうて」
対するムテキングは、腕を組み、鷹揚に頷く。
かなり動揺していた、サードマンだったが、これはチャンスだと、はっと気が付く。
奴等が自分を侮り、余裕綽々な態度なのは気に入らないが、そこに付け入る隙がある。
態々手の内を明かして、状況の説明をしてくれるのであれば、その絡繰を解き明かし、
今度こそ『何者をも圧倒できる身体能力』を、遺憾なく発揮できるはずだ。
そして、その力で奴等を蹂躙し、嘲ってやれば良い。
その後は、ファンタジー作品定番の、回復魔法やらスキルやらで、切断された腕を治療させ、お楽しみタイムへと洒落込もうじゃないか。
この状況で、なんとも逞しい、ポジティブ思考ではあるが、ガバガバな攻略チャートなのは、如何ともし難い。
そして予定通りに、ムテキングが説明し始めたことにより、サードマンは内心ガッツポーズをとる。
「サードマンよ、其方は不可解なことに、基礎能力を持ち合わせていないのだ」
「……なんだと?」
「まあ聞け……。
この世に産まれ出でた者は、必ず得る能力がある。
移動すら困難な赤子が、いずれは這いずるようになり、やがて歩くことができるように、過ごすうちに、自然と覚える能力。
それは『干渉』だ。
生物にふれることのできる能力……。ごく当たり前の能力故、大人が意識することはないが、産まれたばかりの赤子は、母親に触れることすらできぬ。
『干渉』を持つ母親から一方的に触れることはできるのだがな……」
そこまで聞き、サードマンのこめかみから、一筋の汗が滴る。
そう……、転生して赤子から人生をやり直すことを嫌った彼は、プロセスを省いて、大人の状態で、転生することを願ってしまったのだ。もはや転生というより、転移に近いかもしれないが。
悔やんでも悔みきれない痛恨のミスに、血の気が引くのが分かる。
更にムテキングは続ける。
「トゥナイトとの戦いで、其方が『干渉』を持たぬことに、確信は持てずとも、ほぼ間違いないとは踏んでいたのだが、まさか神に遣わされた勇者が『干渉』を持たぬとは、夢にも思わなんだぞ。
それでも万が一の被害を出さぬため、其方の関心が高い姫に協力して貰い、確かめさせたというわけだ。つまり『干渉』を持たず、我等に触れることすら叶わぬ其方は、赤子以下の存在、ということになるのだよ」
早くもサードマン謹製の攻略チャートは、砂上の楼閣の如く、脆く崩れ去ったのだが、それもそのはずだ。
ムテキングが懇切丁寧に説明を行ったのは、知られても何ら問題がないからであり、
むしろ、現実を突き付けることにより、国に仇なす賊の牙をへし折り、身の程を知らしめる為だったから、である。
下目蓋を人指し指で引っ張り、舌を覗かせるプリン姫、が見える。
《これ、詰んでんじゃね?》