至れり尽くせり
三郎が目を覚ますと、そこは真っ白な空間だった。
真っ白な空間……、そうとしか表現しようがない、異様な光景。
白塗りにされた部屋というわけではなく、辺り一面、銀世界の雪景色でもない。
地面がないのに、確かにここに立っていると、本能的に理解できる不思議な感覚……、ちゃんと歩ける。
下を覗いてみると、やはり白……、空中を平行に歩いているとしたら、こんな感覚だろうか? 地面という、比べるものがないので、平行もくそもないが。
光源がないのに、何故か確保できる視界。
影がないので、光がどの方向から差し込んでいるかも分からない。
矛盾しているし、何を言っているか分からないかもしれないが、今起こっている、ありのままの現実がそうである、としか説明しようがない。
気を失う前の記憶はハッキリしていた。
パチンコを打っていたら、筐体からトラックが飛び出してきたのだ。
頬を抓ってみたら、ちゃんと痛い。
これはもしかしなくても、アレだろうと、三郎は当たりをつけた。
パチンコで大当たり確定した時とは比べものにならない期待が、いやが上にも膨らむ。
ファンタジー作品において、異世界に転生する要因は様々ではあるが、トラックに轢かれて一度死に、異世界に生まれ変わる展開が有名である。
そしてもう一つ有名なのが、異世界に転生する前に不思議な空間で、女神に超能力じみた、強力な異能――チート能力を授けられる、というものだ。
従って、トラックというキーワードと、現在進行系で起こっている有り得ない現実から予想して、彼の脳内は、狂ったように玉を吐き出す、パチンコ筐体のごとき状態となっていた。
此処に来る直前に「異世界に転生して、エルフの姉ちゃんにイタズラしてぇ……」と、ごちっていた三郎だったが、今は、いかにして女神にイタズラするか? という方向に、完全に考えがシフトされていた。
「おーい女神さまぁ、見てるんすよねぇ?」
欲望に歪んだ品のない三郎の大声が、静寂を破りこだまするが、暫くして返ってきたのは、なんら変わりのない静寂。
もう一度、今度はありったけの声量で、口に両手を添え叫ぶ。
「お~い、女神ちゃ~ん! 隠れてないで、出ておいでえぇぇぇ」
やはり返事はない……
「おいクソ女神ぃ! 舐めてんじゃねぇぞコラぁ!!」
再び頬を抓り、トボトボと歩き始めた三郎だったが、背後から彼を呼び止める声がする。
「ガッカリさせて悪かったねぇ、三郎くぅん」
どう考えても男性と分かる野太い声に振り替えると、そこにはゆったりとした服装――厚手の一枚布を体に巻き付けたような衣服を纏った、彫りの深い顔立ちの男がいた。おまけに髭も濃い。
両手を広げた、おどけたような立ち姿も相まって、その露出度の高い服装から覗く肉体は、ギリシャ彫刻のように筋肉質であることが窺える。
「俺、そういう趣味ないんすけど」
勝手にした期待を裏切られた反動か、眉を顰めた三郎は冷たく言い放った。
「趣味云々ではなくて、君なら僕が何者か予想できているんじゃないかな? 三郎くぅん」
そのような態度にも、何のその、髭の濃い男は努めてにこやかに対応する。
「出歯亀趣味で性格の悪い、ホモっ気のあるオッサンすかぁ?」
「ハッハッハ、痛いとこ突くね三郎くぅん。でもホモっ気は無いから安心してくれていいよぉ。君の女神ちゃんへの期待が凄かったから、出るに出られなかったのさぁ」
「……うるせぇっす」
「辛辣だねぇ三郎くぅん、じゃあこういうのはどうかな? 異能力をあげるのは前提として、他にも色々サービスしちゃうと言ったら?」
途端に三郎の顔つきが変わる。
目が爛々と輝き、先程までへの字口だった口角は限界まで吊り上がる。
《話が早くて助かるぜぇ!》
女神ではなくて残念だったというのは本心だが、三郎にはそれとは別に思惑があった。
これはある種の賭けであったのだが……。
この髭の濃い男が、転生の神だろうと予想してはいたのだが、それはあくまで予想。
そもそも今のこの状況が、三郎が思い描いたような、異世界転生の前段階ではない可能性だって十分に考えられる。
しかしそうなったら、その時はその時、彼は狙いを一つの可能性に絞っていたのだ。
その可能性とは、やはり異世界転生であり、この髭の濃い男――転生の神は、自分が素直に応じなかった場合、何かしらの困る理由があるのではないか? と、三郎は推測した。
何故なら、善行を行ったわけでもない自分を、態態パチンコを利用して、呼び出すくらいだ。
他の誰かでは駄目な理由があって然るべきではないのか?
例えば、自分は異世界で活躍できる凄い才能を秘めているのではないのか?
ならば先制攻撃、敢えてつれない態度をとり、転生の神を困らせれば、融通を利かせてくれるのではないか?
あまりにもおめでたい思考、かなり無理があるガバガバな作戦ではあったが、その賭けに三郎は勝ったのである。大変遺憾ではあるが……。
ついでに言うと、女神だった場合、その作戦でイタズラしようと彼は考えていた。
髭の濃い男は、三郎の反応を確認すると、嬉しそうに目を細め、再度問いかけた。
「では、もう一度聞くけど、僕が何者だか分かるかなぁ? 三郎くぅん」
「転生の神! マジで神!! ベストオブ神!!!マジ尊敬っす!!!!」
この変わりようである……。
「分かってくれたようで嬉しいよぉ、三郎くぅん……。じゃあ早速いっとくぅ?」
「ちょっと待って欲しいっす。神様が転生の神様だってことは分かったっすけど、貰える能力とか、色々サービスして貰える内容とか知りたいっす。むしろ自分で選択したいっすぅぅぅ」
「分かってるさぁ、三郎くぅん……。なんたって僕は出歯亀野郎だから、君の考えていることは全てお見通しさぁ」
髭の濃い男改め転生の神は、不敵に笑うとこう続ける。
「君の欲しい異能は『何者をも圧倒できる身体能力』だろぅ? 相手が人間だろうと、魔王だろうと、巨大な怪物だろうと、大軍勢だろうと、圧倒できる身体能力……、良いと思うよぉ……。あと、ちゃんと毒や病が効かない体にしてあげるから安心していいよぉ、三郎くぅん」
三郎は、強力ではあっても、少なからず工夫して運用する必要がある異能力より、シンプルに強く、派手に活躍できる能力を欲しいと考えていた。
何故なら頭を使うのが、面倒臭いからである。
確かにシンプル・イズ・ベスト、という言葉がある通り、強力な能力なのは間違いないのだろうが、よくそれで、何でも直せる能力――『クレイジーオブシディアン』を馬鹿にできたものである。
「流石神様っす! 神の中の神!! 超絶神!!! マジ尊敬っす!!!!」
「あと、大人の姿で転生するのと、美形にするのと、格好良い装備ね。良いと思うよぉ……。正英くんよりイケメンにしてあげるさぁ、三郎くぅん」
三郎は、転生して赤子から人生をやり直すのが面倒だったのだ。
正英の名前が出てきたことで、思考はおろか、日本で過ごしていたことまで出歯亀されていた、と悟った三郎は、若干の恐怖を覚えたが、同時に大事なことに思い至った。
「神様、マジ尊敬っすけど、日本に残してきた、妻と娘が気がかりなんす……、あいつらはどうなっちゃうんすかねぇ?」
「どうにもならないさぁ……、でも、君が望むのなら、彼女達が良い人生を謳歌できるように、サービスを追加するのも、やぶさかではないのさぁ……三郎くぅん」
「そっすか……、じゃあお願いします。神様」
「了解したよぉ 三郎くぅん」
ちょっぴりセンチになってしまった三郎の感情を余所に、転生の神は、淡々と準備を進めていくのであった。
その後、転生の神は、三郎の望み通り、彼が手に入れた身体能力の確認のため、様々な対戦相手――魔族の剣士、巨人、ドラゴン等を呼び出して戦わせたり。
三郎が転生する先の異世界には、彼が勇者として召喚されること。
異世界の者達に、神の能力で勇者が現れると予言し、正確な日時、場所を伝えてあること。
異世界の者達が勇者に望むこと。
言語は自動翻訳されること。
等の説明を終え、彼を送り出した。
「やれやれ……」
三郎を見送った後、そう呟いた転生の神は、いつの間にか、美しい女性の姿に変わっていた。
その顔には、意地悪な笑みが浮かんでいた。