サードマンの最後
《なんでだ? なんでこんなことになっちまっている? 俺は最強のはずだろ?》
ひとしきり悶え、右腕と同じ要領で、なんとか両足の止血を終えたサードマンの胸に去来したものは、疑問だった。
なにやら辺りが騒々しいが、こちらに注意を向ける者がいないのが幸いして、考える時間だけはある。
「……俺はどちらもいける……」
よく分からない呟きが聞こえてきたが、どうでも良い。
かなりの高さが窺える、遠くに見える天井は、採光窓にしては不自然に輝く、ステンドグラスに彩られている。
それをボーッと眺めながら思考する。
漫画を読みながら、なんとなく、しかし、それなりに真剣に考えた能力。
『何者をも圧倒できる身体能力』
自分の意図を読みとり、神が与えた力であれば、言葉通り、何者をも圧倒できなくてはおかしいのだ。
相手が、幽霊のように透過する存在だろうと殴り飛ばし、どんな恐ろしい攻撃を仕掛けてきても、耐えうる身体でなくてはいけないのだ。
しかしこのザマはなんだ?
そこでふと、思い出す。
『この世にも、理というものがあり、その理から逸脱した其方の理は、適用されなかったのではないのか?』
王が言っていた言葉だ。
そうか……、この世界がおかしいんだ。そうじゃなきゃ、こんなことになるわけがねえ。
期待に胸を膨らませて購入した商品が、欠陥品だった時にも似た憤りが、首をもたげる。
そんな時、どうするか?
決まっている……、クレームだ。
「おい神様ぁ! 見てるんだろぉ?
この世界バグってやがんぞ。なんとかしやがれえぇぇ」
端から見れば、狂人の行為にしか見えない叫びに、返事はない。
代わりに、大声を出してしまったおかげで、注目を集めてしまう。
どこか哀れみの混ざった眼差しの王に、褪めきった表情の姫。敵意の視線をぶつけてくる騎士に、その他大勢の衆目。
王が口を開く。
「見てられん……。そろそろ楽にしてやってはどうかのう? 姫よ」
「何故わたくしですわ? 能力越しとは言え、再び度あの男に触れるのは、嫌……ですわ」
最低な男ではあったが、それでも神に遣わされた勇者である。
最低限の敬意に基づいて、声に出さないと効果を現さない自分の能力では、恐怖を与えてしまう故の、せめてもの配慮だった。
しかし、その思惑とは裏腹に、会話が聞こえたことによって、サードマンの恐怖を煽ってしまったのは、王の落ち度であろう。彼はわりと抜けていた。
《ひっ、嫌だ。殺される!?》
ビクッと身震いしたのち、必死に体勢をうつ伏せに戻したサードマンは、芋虫のように這いずりながら、ヤケ糞に叫ぶ。
「この出歯亀野郎うぅ! 黙ってないで、なんとか言いやがれえぇぇ」
それは、涙と鼻水に塗れた、死に物狂いの形相だった。
《あ~あ、みっともないねぇ三郎くぅん》
脳内に響く、間延びした口調。ここまで追い詰められて、ようやく返ってきた返事は紛れもない、転生の神のものだった。
「は、早く! 殺されるっ! なんとかしてくれぇぇ」
細かく文句を言う余裕などあるわけがない。
そこにあるのは、ただ助けて欲しいという、焦りの感情だけだった。
《駄目だよ三郎くぅん、異世界でもルールは守らないとさぁ……。ぷ……ぶふぅ》
脳内に、吹き出す声まで響いてくるのは謎だが、転生の神は続けた。
《でもねぇ……、助けてあげることはできるさぁ。日本に戻すという形でね。三郎くぅん》
「わ、分かった。分かったから早く!」
サードマンは必死に這いずり、肩越しに振り向きながら叫ぶ。
彼に止めを刺す役目を買って出た者がいたのだ。
「……サードマン、あんた美味しそう……」
意味不明なことを呟きながら、浮遊する多数の刀剣を、規則的に身の回りに纏わせた男が、ゆっくりと、しかし確実に歩み寄ってくる。その顔に不敵な笑みを貼り付けながら……。
男の歩みに追従する刀剣の切っ先は、全てサードマンに向けられていた。
《焦らない焦らない。大事なことを話さないとだからねぇ、三郎くぅん。
『何者をも圧倒できる身体能力』はなくなっちゃうけど良いのかなぁ? 三郎くぅん》
一刻の猶予もないが、脳をフル回転させて考える。
日本にいるときは、なんだかんだで上手くやってこれていたんだ。
『何者をも圧倒できる身体能力』を失うのは惜しいが、そんなことより今は助かることが優先だ。
僅かな逡巡の後、答えを出したサードマンが口を開こうとした時、待ったをかけるかのように、転生の神の声が響く。
《三郎くぅん、言うのを忘れてたよぉ……。『何者をも圧倒できる身体能力』は、君が元から持っていた能力、『強運』と引き換えなのさぁ。
つまり、日本に戻っても、今までのように生活はできないってことさぁ。
それでも良いのかなぁ? 三郎くぅん……。ぷ……、ぶふっ》
サードマンの中で、何かが崩れ去る音が聞こえた。
今まで知り得なかったのは当たり前のことだが、己の人生の軌跡が、そのような能力に支えられたものだったとは……。
今の絶体絶命の状況も相まって、その情報は彼の心を打ち砕くには充分過ぎるものであった。
「嫌だあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
規則的に並んだ、複数の刀剣が展開し、サードマンめがけて襲いかかったのは、耳をつんざくような彼の絶叫と同時であった。
――サードマンが、この世界を去った後、プリンアラモードは、誰もが思ったであろう、当然の疑問を口にした。
「お父様、神は世界を救う気があるのでしょうか……? ですわ」
対するムテキングは、こう返す。
「姫よ、罰当たりなことを言うものではない……。いや、余も思ったけど……」
微妙な空気が辺りを支配する。
「……俺が救う……」
そんな中、誰かが何か言った気がした……。
――後に、めきめきと頭角を現し、いずれ、
『宵闇の雷霆、トゥナイト』
『多刀使いのヴァイ』
の異名で呼ばれる二人の男がいる。
半ば逃避という形で城を後にしたトゥナイトと、サードマン襲来を経て、謎の使命感に目覚めたヴァイが、『邪神の軍勢』と激闘を繰り広げるのは、また別のお話なのだが……、
もしかしたら、この世界には日本産の勇者など不要だったのかもしれない……。
転生の神の目的は、サードマンを当て馬にすることにより、現地産の勇者覚醒を促すことだった。
と、考えるのは、いささか飛躍しすぎだろうか?