962話 相容れぬ者達
「――っ!! な……なるっ……程……ッ!!」
ぷつり。と。
その音が響いたのは頭の中か、はたまたそれとも胸の中だろうか。
兎も角、男は途切れ途切れに言葉を紡ぎながら、あまりの怒りでぶるぶると震える腕で固く戦斧を握り締めていた。
個々の認識に差こそあれど、この今日という日まで続く長い歴史の中で、獣人族の者達が人間達に蔑まれていたという事実は変わらない。
故にこそ、これ程にまで腕の立つにもかかわらず、このような辺境の地へと赴いた者ならば……と。
万に一つ。否、億に一つ。
奇跡に等しい可能性に賭け、対話ができる者であるかもしれない、という希望を抱いたのだ。
「やはりッ……所詮人間は人間かッ……!!」
心の底からの侮蔑と共に、男は吐き捨てるように呟いた。
結果はこの通り。それどころか、事もあろうに身に覚えが無いと来た。このような地獄へ赴く者であったとしても、眼前にそそり立つ明白たる人間達の犯した許されざる大罪を、罪として認識すらしていないのだ。
泣き叫ぶ悲鳴も、呪いたくなる程の絶望も、奴等にとってはあって然るべき当たり前のもの。
「言の葉を解しながら、対話すら満足に出来ん害獣がッ!!」
「…………。ハァ……理解できんな。そんな言葉を吐く前に、自らを省みてはどうだ?」
「笑止ッ!! しかと、我が名をその腐り切った魂に刻むがいいッ!! 我が名は王鷲獅朗ッ! 不遜にも現世へ歩み出た貴様を地獄へと叩き返す者だッ!!」
「言いがかりだ。……と、言っても聞く耳など持ってはいなさそうだな」
名乗りを上げた男が、怒りと憎しみを込めた雄叫びをあげる前で、テミスは地面に突き立てていた大剣をおもむろに引き抜きながら、呆れたように冷ややかな呟きを漏らす。
そもそも、テミスからしてみれば初対面であるこのシロウとかいう男に怨まれる筋合いなど無いのだ。
だが、この町の獣人族が他の種族に対して並々ならぬ怒りを抱いている事は知っている。
つまるところ、このシロウという男は、こと人間という種族に対して怨讐にも等しい怒りを抱いているらしいが……。
「ククッ……敵が大きければ大きい程、怨む側としては殴り易くて楽だ」
「グォォォォォオオオッッッッ!!!」
最早、獣そのものと思えるような咆哮と共に、シロウは殺意を纏った戦斧を振り上げ、真正面からテミスへと突撃する。
しかし、テミスは薄い笑みを浮かべながらボソリと呟きを漏らすと、鈍い風の音を響かせながら大剣で宙を薙ぎ払った。
この男が何故、これ程までに怒り狂い、人間を目の敵にしているかなど知らないし、さほどの興味もない。
だが、一つだけわかる。
本来、彼の迸る怒りを受け止めるべき者は、彼の手の届かぬ場所に居るのだろう。
家族か、恋人か、友人か、財産か……大切な何かを奪われた彼の前には、その怒りを叩きつけるべき者が居なかった。
だからこそ、その怒りは朽ちて爛れ、憎悪という名の腐臭をまき散らすだけのモノへと成り下がってしまったのだ。
「ならばその怒り……私がここで終わらせよう」
テミスは不敵な微笑みと共にそう呟くと、身体ごと捻るようにして剣を振るい、自らを真っ二つに引き裂くべく、鋭く空気を割りながら振り下ろされた戦斧へと叩きつけた。
「ムゥッ……!!」
「チィッ……!!」
ゴッ……ギィィィンッ!! と。
剛力と剛力。
凄まじい威力を発する両者の武器が打ち合わされた結果、鈍く低い音が響き渡ると同時に、生み出された衝撃が空気の波となって周囲へと拡散される。
だが、シロウもテミスもたったの一撃打ち合っただけで止まるような質ではなく、互いに打ち合わせた武器を強引に振り切ると、大剣と戦斧は激しい火花を散らしながら交叉した。
そして続く第二撃。
機先を制したのはテミスだった。
唐竹を割るが如く振り下ろされたシロウの戦斧に対し、それに打ち合う形で応じたテミスは、第一撃で振り切った大剣と共に軽く回転すると、シロウを胴薙ぎにすべく大剣を振るう。
その鋭い一撃に、渾身の一撃を振り下ろしたシロウの戦斧が間に合う道理は無い。
しかし……。
「ごッ……ぷァッ……!?」
直後。
剣を薙いだはずのテミスの顔面には、鋼のように固く握り締められたシロウの拳が突き刺さっていた。
ただの拳とはいえ、小柄な人間であるテミスと、小柄とはいえ獣人であるシロウの体格差は相当なもので。テミスの顔面を打ち据えた拳は、優にその面積の半分以上を覆い尽くしている。
「ガッ……? カッ……」
突然揺らいだ視界。ぐちゃりと顔面が潰れる感覚と共に吹き出た血が宙を舞い、鈍い痛みがテミスを襲った。
だが、顔面を打ち据えられた衝撃でテミスはその上体を弓なりに反らしながら吹き飛ばされたものの、大きく弧を描くように飛び上がった後、派手な着地音を響かせながら血飛沫と共に石畳の上へと着地したのだった。




