90話 身勝手な英雄たち
「ふぅ……」
テミスは軽く息を吐くと、持参した酒瓶を傍らに置いて塀の上へと腰を落ち着けた。眼下には夕暮れに揺蕩うファントの町が横たわり、遠くからは陽気な声や歌声が聞こえてくる。
「何故守る……か……」
テミスはぽつりとつぶやいて酒瓶を煽り、物憂げな視線で町を見下ろした。私がわかっていない? ……フリーディアは確かにそう言った。確かに悪を討つという行為を求めるのならば、この町を護る必要は無いだろう。
「フゥ……」
テミスは軽く背筋を伸ばすと、背負った大剣を降ろしてため息を吐く。確かに、正義を求めるのであればこの町を守る事は足かせだ。だが……。
「やれやれ。やはりこんな事だろうと思ったよ」
「っ!?」
思考に浸るテミスの耳に、突如優しげな声が飛び込んで来た。
「……ルギウス殿。何故、このような場所に……?」
身を翻したその先には、柔らかく微笑むルギウスが山盛りのソーセージと酒瓶の詰まった麻袋を手に佇んでいた。
「簡単な推理さ。君が消えたと思ったら、それと入れ違いに人が増えた。不審に思って聞いてみれば、この町の警備兵だそうだ。しかもその全員が宴に来ていると言う」
「…………」
ルギウスがテミスの隣に腰を下ろしながらゆったりと問いに答える。その腰には、白く輝く西洋剣が艶やかに夕陽を跳ね返していた。
「用心深い君の事だ。間違ってもこの町の警備を空けるなんて真似はしないだろう。ならば、答えは一つしか無いだろう?」
ルギウスは語り終えると、麻袋の中から酒瓶を一つ取り出して口に含む。それに気が付いたからと言って、彼がここを訪れる理由にはならないはずだが……。
「はははっ。本当に面白いな、君は」
「っ――?」
そう言うとルギウスは酒臭い息を一つついて、その美しい顔を間近までテミスへと近付ける。私がただの女であったなら、こんな美形の男にここまで寄られれば赤面の一つでもするだろうが生憎中身は男なのだ。不快でこそ無いが、気色悪いことに変わりは無い。
「水臭いと言ってるんだよ。何をそこまで独りで背負い込んでいるんだい?」
「……別に、なにも背負い込んでなどいないさ。私はただ、必要な事を必要な時にしているまで。今回だって町の防衛よりも、部下たちの交流や経済の活性化の方が重要だと判断しただけに過ぎんよ」
テミスはルギウスから顔を逸らすと、自分が持ってきた酒瓶に口をつける。何故だろうか……先ほどまでと同じ物の筈なのに何かが違う気がする。
「やれやれ……そうだとは思っていたけれどこれは重傷だね……。それなら僕たちの交流は必要ないと言うのかい?」
「それはっ……」
ルギウスがそう問いかけると、テミスは口を噤んだ。確かに重視していた訳では無いが、宴に呼んだだけでは足りないというのだろうか。
「同じ軍団長だ……部下を労いたい気持ちは僕も解っているつもりさ。ならば一声かけてくれても罰は当たらないと思うがね?」
「待て、それを言うならば君は客人だろう?」
「借りを返して貰おうという言葉は嘘だったのかい?」
「うっ……だがっ――んぐっ!?」
悪戯っぽく笑みを浮かべたルギウスにテミスが反論しようと口を開くと、そこにすかさずソーセージが突っ込まれた。
「んっ……ゴホッ! 何をするんだ!」
「別に……」
ソーセージを飲み込んでから抗議の声を上げたテミスに、微笑みを浮かべたルギウスが口を開くと、冷たい風が二人の間を吹き抜けていった。
「別に、ただ物分かりの悪い戦友の口を塞いでやっただけさ」
「戦……友……」
目を丸くしたテミスの視線の先で、ルギウスは目線を逸らしてそう呟くと酒瓶に口をつけて残りを一気に飲み干した。そんな風に考えた事は無かったが、確かにあの戦場を共に戦い、こうして酒を酌み交わしているルギウスは、戦友と呼べる存在なのかもしれない。
「フッ……ならば、一杯付き合いがてら暇な警備にも付き合ってくれるかな? 戦友殿?」
そんなルギウスを見てテミスは頬を緩めると、明後日の方向へ視線を泳がせるルギウスに問いかけた。
「勿論だとも。僕は僕の勝手でここに来ているのだしね」
「君の……勝手だと……?」
赤い顔で息を吐いたルギウスの言葉に、テミスが再び目を丸くする。今ルギウスの言葉を聞いた途端、何かが閃いた気がしたのだが……。
「ああ、僕の勝手だ。僕が君とこうして酌み交わしたいと思ったからここに来ているし、それを実現するためならば、共に町の警備に就こうじゃないか」
「っ……!! そう……か……そうだったのか……」
ルギウスが答えた瞬間。テミスは自らの抱えた悩みが氷解していくのを理解した。
そうだ。何も全てが誰かのためである必要は無い。自分の勝手で良いのだ。ならば、私がこの町を守るのも私の都合だ。
「フッ……感謝するよ、ルギウス」
「なに、気にしないで良いよ」
テミスが礼を言うと、答えたルギウスが新たな酒瓶を煽る。悪を滅ぼし、正義を成すにしても基盤が必要だ。ならばこの町を守るのは、この世界で正義を果たすための基盤という事になるだろう。
「もしも、今夜ファントに攻め込んで来る敵が居たら可哀そうだね」
「全くだ。なにせ、軍団長二人を相手にすることになるのだからな」
酒を傾けつつ、暮れゆく町を眺めながら語らう二人を、顔を出し始めた星たちが冷淡に見下ろしていた。
本日の更新で第三章完結となります。
この後、数話の幕間を挟んだ後に第四章がスタートします。
作者都合により、幕間が少し多くなるかもしれませんが、お楽しみいただけると幸いです。
また、つい先日累計2万PV(内・ユニークPV四千)を達成しました。
テミス達の冒険(?)に足を止めていただき、本当にありがとうございます。
毎日投稿も3ヶ月となり、相変わらずいつまで続けられるかはわかりませんが、力の限り毎日投稿を続けていく所存ですので、これからも応援よろしくお願いいたします。
末筆になりましたが、ブックマークして下さっております59名の方、評価いただきました5名の方、そしてこの作品に足を止めて下さった皆様、大変励みになっております。改めましてこの場でお礼申し上げます。
さて、自らの正義を再定義したテミスとテミスに触れて一歩成長したフリーディア。周囲を取り巻く環境も変化する中で、彼女たちの正義はどのような未来を生み出すのでしょうか。続く第四章。お楽しみに!
2019/10/20 棗雪




