956話 二つの本能
つまらない。
女の胸中を満たしていたのは、そんなたった一つの感情だった。
「アガッ……クゾォッ!!」
「ハァ……」
「げぶァ……」
女の振るった太刀が、叫びと共に剣を振り上げた兵士を両断する。
それは恐らく、決死の一撃だったのだろう。
ボロボロに傷付いた身体を気力だけで引き摺り起こし、己が魂をも込めた剣を振り上げる。
だが。足りない。
その程度の覚悟。その程度の命では、燃やし尽くした所で灯にすらならない。
求めるのは、血沸き、肉躍る刹那の戦場。
互いに死力を尽くし、魂までも薪とくべて燃やしても足りぬ程の強敵だ。
「これじゃ……作業も良いところだねェ……」
「また……無駄口か?」
「つまらないって……言ってるんだよ」
「で……あろうな」
その戦場で繰り広げられていたのは、最早戦いなどでは無かった。
圧倒的な強者が、泣き叫ぶ弱者を一方的に蹂躙する地獄。全ての権利を奪い尽くされた敗者に許される事など何一つなく、ただ強者に貪り尽くされる事を待つのみ。
だからこそ、なのだろう。ここまで全てが色褪せて見えるのは。
全てをかなぐり捨て、決死の覚悟を以て立ち向かって来る者。涙を流しながら、誇りも何もかなぐり捨てて尚生き延びようあがく者。そして、現実を受け入れる事ができず、まるで死んでしまったかのように動かなくなる者。
誰もが皆、圧倒的な強者の前では何をしようと同じ結末を辿るのだ。
蛮勇に逸った者はその身を両断されて死に、生に縋った者は差し出した首を切り落とされる。
故にそこには意味など無いし、興味の惹かれるものなど何一つなかった。
「そこまで不満を垂れるのであれば、そもそも来なければ良かったであろうが」
「馬鹿を言うな。今更スラムの連中を叩いた所で何になるってんだ。なら、少しでも見込みのある奴が居そうな所へ行く……。そう思ってたんだよ、あの時はね」
「……また例の少女か? 猫宮の」
「あぁ……。でも、当てが外れたね。この調子じゃ、しっぽり戦いを愉しむって訳にもいかなさそうだ」
「フン……」
まるで、暖かな陽気に下で、のんびりと散歩でも楽しんでいるかのように。
リュウコと男はのんびりと言葉を交わしながら、太刀と戦斧を振り回していた。
一薙ぎをする毎に数多の命が切り裂かれ、血と肉片となって石畳を汚す。
そんな、退屈極まる虐殺がどれ程続いた頃だろうか。
「ン……?」
「ホゥ……?」
二人は何かを感じ取ったかのように同時にピクリと眉を跳ね上げると、太刀と戦斧を構えて前方へと視線を向けた。
だが、その表情はまるで逆。獲物を見付けた肉食獣のように好戦的な笑みを浮かべるリュウコに対して、傍らで戦斧を構える男の顔は厳しい。
それもその筈。
胸を満たした感情こそ異なれど、二人が感じた空気は同じなのだから。
「ホレ……来たぞ。お望みのモノが」
「ヘヘッ……焦らしてくれる。こんな戦場にやってくるんだ、それはかなりの腕を持つやつって事さ」
「……大馬鹿め。巻き込まれるこちらの身にもなれ」
「ンな事言ってる癖に、随分と嬉しそうな顔じゃないか……えぇ? 巻き込みやしないから引っ込んでな」
肩を並べて武器を構えて尚、二人は言葉を交わす事を止めなかった。
それはいわば、たった一つの獲物を奪い合う獣と同じだった。
リュウコは未知なる強敵との出会いに胸を高鳴らせ、訪れるであろう垂涎の時に思いを馳せる。
その隣で男も、自らの本能を理性で必死に押し殺していた。
ここは大義の戦場。獣人族の意に反しようと、融和派の連中は同じ獣人だ。
そして、これ程までの強者が連中の中に居たのならば、この先の戦いにおいて力となるのは間違い無いだろう。
「ッ……念を押さんでも譲ってやるさ。だが、間違っても殺すなよ」
「さぁね。死んだら死んだで、アタシに殺される程度の腕だったってコトじゃないか」
「オイッ!! 我等獣人族の悲願を忘れる事は許さんぞッ!」
言葉と共に、凶暴な笑みを浮かべたリュウコが進み出ると、男は堪らずその背に怒声をぶつけた。
こんな性格をしてはいるが、こと戦闘においてリュウコは無類の強さを誇っている。
最悪、割って入ることも考えねばならんか……。
戦斧を固く握り締め、男はそう密やかな決意を固めた時。
「あ……? なんだ……ありゃぁ……?」
「ン……?」
前を行くリュウコがその足を止め、困惑の声をあげる。
そんなリュウコの声に釣られた男が、半ば反射的に視線を向けた先には、地獄と化した戦場を一人、悠然とした歩調で歩むテミスの姿があったのだった。




