955話 死神の救援
「報告ッ……!! します……第四・第三中隊共に壊滅ッ……!! 持ち堪え……られませんッ!!」
「ミチヒト……様ッ……!! 申し訳……あり……ま……」
苦痛に呻く声すら途絶えた地獄の真ん中で、ミチヒトは薬師と共に立ち竦んでいた。
最早ここに、戦える者は居ない。
誰もが限界を越えてその身体を酷使し、命を捧げて戦い続けてきた。
だが、そんな決死の抵抗もすぐに終わるだろう。
作戦は失敗した。救援は来ない。間に合わなかったのだ。
「ッ……総員……着剣」
「ミチヒト様ッ!!」
ミチヒトが静かにそう告げると、周囲の薬師が悲痛な声をあげる。
しかし、ミチヒトはその声を黙殺すると、ボロボロに傷付き、文字通り這いずってまで自らの元に戻ってきた女将兵の傍らに膝を付いた。
「ッ……!!!」
ぎしり。と。
噛み締めた奥歯が軋みをあげ、握り締めた掌に爪が突き刺さる。
俺達は……俺達は二度とこんな惨劇を生み出さないために、ここまで歩んで来たのではなかったのか?
過激派の連中は嬉々として虐殺をもてはやし、この世界に地獄を生み出さんとしている。
だから止めるのだ……と。
「なのにッッッ……この惨状は何だッッッッ!!!!」
魂の底から響く嘆きが、怒りが、悲しみが、慟哭となって溢れ出る。
救う為の戦い……小奇麗な理想に惑わされた結果がこのザマだ!!
結局誰も救えない。救えないどころか、傷付かなくていい者達まで酷く傷付いて死ぬ羽目になった。
「クソッ!! クソォッ!! 畜生ッッ!!!」
ミチヒトは乱れ切った心を悪態と共に吐き出すと、涙を流しながら女将兵の持つ刀を掴み取る。
薬師は戦う者ではない。
故に、戦場に赴く時だろうと武器を持たず、ありったけの医療物資を担いで乗り込んでいくのだ。
「かくなるうえはただで終わってなるものかッ!! 仲間を傷付けた怨み……友を喪った憎しみッ!! せめて一太刀ッ――!!」
胸を満たす憎しみに身体を任せ、獣のような咆哮と共に立ち上がったミチヒトが、傍らに置いた薬箱を蹴り砕こうとした刹那。
「――止せ」
コツリ……。と。
突如響いた静かな声がミチヒトを制すと共に、白銀の髪が戦場に翻る。
「お……前……ッ……!!!」
だが、背後から響いたその声にミチヒトが振り返った先に居たのは、一人の死神だった。
美しく整った顔には血の飛沫が飛び、夥しい程の返り血がその身を濡らしている。
そして、一体幾つの命を屠ったのだろう。その肩に担いだテラテラと血に濡れた漆黒の大剣からは、今も尚ポタポタと染み出るように血が滴っていた。
「良く持ち堪えた。後方の部隊は片付けてある。お前達は息のある者を連れて撤退しろ」
「なッ……!!!」
しかし、テミスの口から放たれたのは、目の前の惨状に対する謝罪でも、自らの選択を悔いる言葉でも無く、ただ淡々とした指示だけだった。
その目はただ真っ直ぐに敵を見据えており、既にミチヒトの事など見てはいない。
それどころか、自らの足元で横たわる犠牲者達の事すら一瞥たりともせず、まるで歯牙にもかけていない。
そんな、融和派の者達を戦場へと導いた張本人を前に、ミチヒトは一瞬前まで自らの身体を縛っていた恐怖など忘れ、言葉にならない怒号を上げながらテミスへと掴みかかった。
「今更お前ッ! ふざけるなどの口がッ!! お前がお前がお前さえあああ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁッッッ!!」
「…………」
狂ったように喚き散らしながら、ミチヒトは掴みかかったテミスの身体を溢れる激情のまま無茶苦茶に揺り動かした。
だが、非力な薬師の腕力が意識を戦闘状態に置いたテミスの体幹に通じる訳もなく。癇癪を起した子供のように振るわれるミチヒトの腕は、テミスの身体を僅かに揺らすだけにとどまっていた。
しかし、テミスはそんなミチヒトを振り払うでもなく、ただ黙ったまま彼の狂行を受け止め続けるだけで。
次第にミチヒトは自らの沸き立った頭が冷静を取り戻すと共に、テミスの身体に縋るようにして、その足元に力無く膝を付いた。
「何故……どうして……こんな事……に……」
「…………」
テミスの血濡れた外套を掴んだまま、ミチヒトが掠れた声で呻くようにそう呟くと、テミスは微かに鼻を鳴らした後、前へと向けていた視線をミチヒトに向ける。
だが、その瞳は氷のように冷たく、おおよそ感情と呼べるようなものは含まれていなかった。
そして、僅かな沈黙の後。
「私は何も言わん。その疑問はお前の目で確かめ、お前の頭で判断しろ。……解ったらそろそろ離せ、今の私では……間違ってお前まで斬ってしまいそうだ」
「ッ……!!!」
腹の底から絞り出すような声でテミスが応ずると、そこに混じった抑えきれぬ怒りの炎に、ミチヒトはビクリと身を竦ませて力無く手をテミスを掴んでいた手を離す。
同時に、再び歩き出したテミスの背を放心したように眺めながら、ミチヒトは全てを理解したのだった。
テミスの内で荒れ狂う膨大な怒りを……彼女は今にも発露せんと暴れ回るそれを、今も尚必死に御しているのだと。




