954話 覇者の道征き
「っ……!!!」
その斬撃は、言葉すら失うほどに壮絶極まる一撃だった。
かつて、かの町に融和都市の銘が付く前の事。町を陥落寸前まで追い込んだ敵の大軍を、たったの一薙ぎで鏖殺したと名高い伝説の一撃。
魔王軍第十三軍団長テミスが繰る絶技・月光斬。
こうして、初めて目にしたからこそ理解できた。脈々と語り継がれるそのいさおしは真実だったのだと。
「何……だ……? 何なのだ……? これ……はぁ……ッ!?」
驚愕と感動に打ち震える兵士の横で、兵士が命懸けで救った指揮官が絶望の叫びを上げる。
だが、それも無理のない話だろう。
つい先ほどまで、彼が指揮を執っていた部隊は既に跡形もなく、ただその身体を無残に両断された肉片へと姿を変えていたのだから。
「ぅ……ぁぁぁ……っ!! 何……が……」
「痛てぇ……何だよ……コレ……」
「助けて……お願い……誰かぁッ!!」
苦痛にもがく声に兵士が思わず視線を向けると、巨大な血だまりの中に地獄が広がっていた。
あの月光斬を受けたのだ。無事で済んでいる者など一人も居ない。
既に息絶えている者、失った自らの身体を探して肉片と血の海の中を這いずる者、はたまた半ば自失してただ泣き叫ぶ者など。
その見るも無残な程の凄惨さで。ただ一人助かった兵士は耐え切れず、その場に胃の中の者を盛大にぶちまけた。
「ぐぉっ……!? き……貴様ァッ!!」
「ぉゥッ……ハ、ハハ……も……申し訳……ありません」
「何をへらへら笑って居るかァッ!!」
「ごゥッッ!?」
瞬間。
傍らの司令官からの怒号が響き渡り、叱責と共に鞭の如く叩きつけられた脚が、脱力した兵士の身体を僅かに吹き飛ばした。
無抵抗に蹴り飛ばされた兵士は、自らのぶちまけたモノを飛び越え、冷たい石畳の上を数度転がった後、何かにぶつかってその動きを止める。
否。ぶつかったのでは無い。踏み付けられたのだ。
兵士は遅れて体を襲った痛みから自らの現状を察すると、全てを諦めた穏やかな表情で視線を上げる。
そこには、長い銀髪を雪風になびかせた少女が、兵士の胴を片足で踏み付けながら皮肉気な微笑を浮かべていて。
「ヒッ……!? ヒィィッ……!!? あぐっ!! きさ……貴様ァッ!!」
「ハハ……」
「時間を稼げ!! その足に纏わりついて決して離すなッ!! 命令だァッ!!」
その神々しさすら湛える姿に、兵士は込み上げてきた乾いた笑いを堪える事無く溢れさせた。
どこか遠くで、指揮官殿の叫びが聞こえるような気もしたが、今はそんな事はどうだっていい。
だってそうじゃないか。たとえ偶然とはいえ、たかが一介の兵士に過ぎない……いや、一介の兵士にすら劣るこの僕が、あのテミスの一撃を躱す事ができたのだから。
……せいぜい、あの世で誇るとしよう。
自らの命すらも諦めた兵士の瞳から、残り火のような穏やかな光すら消えかけた時だった。
「……良いのか? 上官の命令を無視しても」
「え……?」
自らの真上から、どこか面白がるかのような色を纏った声が降ってくる。
そして勿論。兵士の真上にいる人物など、テミスの他に居ない訳で。
「私の足に纏わりついてでも、自分の逃げる時間を稼げ……だそうだ。言葉通りではないがな」
だからこそ、続けられたその言葉に、柄でもない言葉を返したのだろう。
「知りませんよ……そんな命令。他でもない、貴女の手で討たれる事ができるんです。あんな指揮官の為に無様を晒したくはありません」
「フッ……ククッ……。そうか、それは勿体無いな」
直後。
テミスは言葉と共に兵士を踏み付けていた足を退けると、肩に担いだ漆黒の大剣を兵士の首の間近へと突き立てる。
だが、兵士としては既に覚悟していた事であり、僅かに湧き出た恐怖に身を竦ませこそはしたものの、その瞳は剣が石畳に突き刺さる瞬間でさえも、誇り高く開かれ続けていた。
「実に勿体の無い話だ。良い目をしているというのに……お前、名前は?」
「え……? あ……シノブ……と申します」
「クス……そうか。ならばその命、今は私が預かっておこう」
「預かる……って……」
「中々に面白い命令違反だった。お陰で、僅かばかりだが溜飲が下がったよ。後はお前の好きにすると良い。そのまま過激派の元へ戻って私の前に立つも良し、翻って融和派の門戸を叩くも良し……だ。ではな」
ただそれだけ告げると、テミスは石畳に突き立てた大剣を再び肩に担ぎあげ、呆然と横たわるシノブをその場に残して、悠然とした足取りで立ち去って行ったのだった。




