953話 進撃の狼煙
一方その頃。
過激派に属する部隊の者達が包囲を続けるスラムの外縁部……その最後方では、非常に穏やかな空気が流れていた。
否。穏やかというよりも、むしろ漏れ出した退屈と不満が生み出す、ある種の諦観に似た無気力感なのだろう。
隊列を組んで立ち並ぶ兵達の瞳に光は無く、誰もがぼんやりと虚空へとその視線を向けている。
だが、それも無理は無い事なのだろう。
最後方に位置するこの場所では、武功を立てる事はおろか、戦闘に参加する望みすら皆無なのだ。
なればこそ、彼等にできる事といえば、前方で戦う同胞たちが、挟撃に抜擢されたという特選部隊の面々と共に華々しい戦果を生み出している姿を、ただ空想している事くらいだ。
「あ~あ……。寒ィなぁ……」
「気持ちはわかるが、ぼやくのは止せ。今は戦闘中だ」
「戦闘中? この寒さとか?」
目の前に押し寄せる圧倒的な退屈に辟易とした者達が声を潜めて言葉を交わし始めると、部隊ごとに整列した兵達の中からも、クスクスと押し殺したような笑い声と共にざわめきが広まっていく。
しかし、実際に自分達が切った張ったを繰り広げていないとはいえ、あくまでも現状は戦闘中。本来は私語など以ての外なのだ。
それでも退屈だからこそ、ある程度の私語は見逃されている。
だが、そんな暗黙の了解の中、空気の読めない馬鹿が調子付くのは必定らしく、突如として遠くから聞こえる剣戟の音すら掻き消す程の笑い声が発せられた。
「ハハハッ! その通りだな。戦況は非常に劣勢、凍て付く寒さという強大な敵に、我が方の体温を奪われ通し……このままでは震えが止まりません。……って感じだ」
「オイ……流石に――」
「――誰だッ!! 今大笑いをした馬鹿野郎はッ!! 前に出ろッ!!」
「うぉっ……この声は隊長ッ……!? やべぇやべぇ……」
無論。声を押さえて自重した多少の私語ならば許していた寛容な指揮官といえど、限度を超えたお調子者が許されるはずも無い。
しかし、雷鳴の如く怒声が響き渡ると同時に、大失態を演じた本人は身を屈めて小さくなり、兵の群れの中へと紛れてしまう。
そうすると、部隊の規律を守る為……もとい連帯責任を逃れる為にも、兵達は逃げ出したお調子者の代わりに誰か一人、哀れな犠牲差し出さなければならない訳で。
「悪りィッ!! 頼んだッ!!」
「えっ……!? ちょっ……待っ……!?」
「貴様か? 大間抜けは……外見に似合わずいい度胸だな?」
囁くような声が響くと同時に、強く背中を押された一人の兵士が、押し出されるようにしてよろめきながら隊列から弾き出される。
同時に、待ち構えていた指揮官が言葉と共にその肩を掴むと、隊列に並ぶ兵達の側から強引に引きはがし、自らの眼前へと引き寄せた。
「ひぃっ……!? い、いえ……僕はッ……!!」
「何……? 違うと言うのか? ならば何故進み出たッ!? 上官に虚偽の報告をしたのかッ!?」
「ッ……!! あ……ぅ……」
「答えろッ!! 大笑いをした大馬鹿は貴様なのかッ!?」
最早、隊列の中から蹴り出された時点で、犠牲に選ばれた哀れな兵士が助かる術は無い。
そんな彼が選び得る道は、謂れの無い罪を被って叱責を受けるか、無意味に指揮官の前に歩み出た罪人として裁かれるかの、たった二つしか無かった。
犠牲となった哀れな兵の視界の片隅。こちらを見つめる多くの兵達の群れの中から、大笑いをした張本人が、疎ましい程に爽やかな笑みを浮かべて居る。
普段であればこの上なく不幸で、我が身に降りかかる災難を嘆いていたのだろう。
だがこの時だけは、指揮官に激しく恫喝されながらも、兵士の心は無用な叱責による悲嘆に暮れる事も、その罪を擦り付けたお調子者への怒りに燃える事も無かった。
何故なら、哀れな兵士の視線はとある一点、轟々と叱責という名の罵詈雑言の嵐を叩きつける指揮官の後ろへと釘付けになっていたからである。
「ぁ……ぁ……ぁぁっ……」
その姿を、哀れな兵士は知っていた。
風に踊って宙を舞う艶やかで長い白銀の髪。美しく整った顔を修羅の如く歪め、その小柄な体躯の丈を越える程の漆黒の大剣を軽々と担ぐ戦姫。
身の毛がよだつほどの戦慄を覚える兵士の眼前で、戦姫はゆらりとその大剣を横薙ぎに構えると、眼前を斬り払おうとするかの如くその場で深く腰を落とした。
ざわり。と。
いち早く気付いた哀れな兵に続いて、次第に隊列に肩を並べた兵達の中からも、いつの間にか歩み寄っていたその姿に気付く者が現れ、その動揺が微かなざわめきとなって表出する。
「っ……!!!」
「――貴様のような者が――っ!? 貴様何をッ!?」
しかし、哀れな兵士が眼前の指揮官に飛び付き、共に倒れ込むようにして渾身の力で地面へと伏せる速度に敵う者は居なかった。
直後。
凍り付くように冷えた地面に伏せた兵士の上を、空を裂くような音と共に一陣の風が吹き抜けていったのだった。




