949話 揺れる天秤
コツリ。コツリ。と。
石畳を踏み鳴らす足音が細い路地に響き渡る。
この路地を抜ければ、自分はあの三人の前に姿を現す事になる。同時にそれは、この隠された路地の存在を彼女たちへ知らせるのと同義であり、その事実がオヴィムの腹に重たい緊張感を抱かせた。
「っ……!!」
彼女たちの出方次第では、我々の命を守る為に、彼女たちの命を奪わなくてはならない。
オヴィムは遥か昔に置き忘れてきた筈の戦場の香りが、今再び自らを包んでいるのを自覚すると、鉄錆を舐めとったかのように苦渋に満ちた表情を浮かべて歯を食いしばる。
しかし、そんな感慨に浸る暇など存在せず、奥まった路地の出口は既に目の前にまで迫っていた。
「――なるほど。似合わぬ勇猛さだとは思っていたが、彼女を真似ていたのか」
「ったく……もうこんな無茶は止してよね? 死中に活……だっけ? 付き合わされるアタシ達の身が持たないわ」
「申し訳ありません。にわか仕込みではありましたが、あの場でこれを上回る案があるとは、私には思いませんでした」
「構わない。私はシズクの判断を支持する。最良の判断だ」
路地の出口。その壁に身を寄せて聞き耳を立てると、この先で休息を取っている彼女たちの語らう声が聞こえてくる。
その声は戦争じみた戦いを仕掛けに来たとは思えに程に穏やかなもので、オヴィムは小さく息を吐くと、緊張に凝り固まった心を僅かに緩ませた。
あの様子ならば、対話は可能だろう。ともすれば、味方としてこちら側に引き入れる事ができるかもしれない。
オヴィムは眼前で交わされる穏やかな会話からそう判断すると、意を決して路地からゆっくりとその足を踏み出して口を開く。
「ギルファー軍正規兵の方々とお見受けする。問おう。何用でこの地へと参った」
「ッ――!!!」
だが、静かに問いかけたオヴィムに対するシズク達の反応は機敏極まるもので。
地に腰を下ろしていたシズクとカガリは、驚いた猫が跳び上がるかの如き反応速度で立ち上がると、即座に抜刀してムネヨシをその背に庇う格好でオヴィムへと相対した。
その瞳には、強い警戒の色がにじんでおり、つい先ほどまで彼女たちの間に流れていた穏やかな雰囲気は、最初から無かったかの如く霧散している。
「……現在、こちらに交戦の意志は無い。我が名はオヴィム。Aランクの冒険者だ。不肖ながら今は、この町の冒険者たちをまとめ、指揮官の真似事などをしている」
「指揮官ッ……しかもAランクッ!? クッ……!!」
「ッ……!! オヴィム……貴方が……」
既に刀を抜き放ち、臨戦態勢を取る二人に対し、オヴィムは三人に近付く足を止めて名乗りを上げた。
だが、以外にもその反応は真っ二つに分かれていて。
片方の女が悔し気に唇を噛み締めて周囲に視線を走らせたのに対して、手負いの娘は驚愕に息を呑んで放心していた。
「……再度問おう。軍属であるならば、現在我等が置かれている状況を知らぬ訳ではあるまい。……この地に、何用か?」
「ッ……!!!」
「…………」
オヴィムの発した問いは至極古めかしい言い回しではあったものの、その内容は単純にして明快。敵であるか否かを問うているだけだった。
しかし、抜き放たれた刃を向けられて尚、平和な街角で世間話を交わすように応ずるわけにはいかず、再度発せられた問いには相応の圧力が込められていた。
故に、その圧力に気圧されたシズクとカガリは抜き放った刀に一層の力を籠め、その警戒心を限界まで高めていく。
だが。
「何用か……と問われれば、諸君らの救援に参った。と答えるべきなのだろう」
ムネヨシは穏やかな口調でオヴィムの問いに答えを返しながら、その身を護るかのように刀を構えたシズクとカガリの後ろから、ゆっくり前へと歩み出た。
「救援……?」
「フフ……お恥ずかしい話、敵の待ち伏せに遭いこのザマだが、確かに我等の作戦目標はこの街区の者達の救援だ」
「……その口ぶり、指揮官殿とお見受けするが?」
「これは失礼。私の名はムネヨシ。本救援作戦の責任者であり、今は融和派と呼ばれる派閥の頭目を勤めておる」
「ッ……フゥム……」
柔らかな微笑みと共に告げられたムネヨシの言葉に、オヴィムは小さく喉を鳴らすと、唸るようにため息を吐いた。
戦争において、総指揮官が前線に出るのは稀有な例だ。
最低でも前線での激闘に耐え得る戦力を有していなくてはならないし、それを乗り越えたとて、得られる利点は迅速で的確な指揮判断のみ。魔王軍のように、指揮官が一騎当千の強者でない限り、大将首を危険に晒すリスクには到底見合わないのだ。
つまるところ現状、オヴィムからしてみればムネヨシ達への疑惑は強まる一方な訳で。
なればこそ、その言葉を真実と捉えるよりも、何か他の目的があると断ずるのが妥当な判断だろう。
「すまないが、この場で幾つかこちらの質問に答えていただいても?」
「ッ――」
「――承知した。機密に関わらない範囲であらば、お答えしましょうとも」
オヴィムが疑惑に目を細めて問いを重ねると、シズクの傍らでカガリが怒りに息を呑んで口を開きかける。
しかし、カガリが言葉を発する前に、機先を制したムネヨシがそう答えを返したのだった。




