89話 戦士たちの休息
――十日後。
「それでは諸君! 盃を握れッ!!」
「応ッ!!」
景気のいい声が、ファントの町に響き渡っていた。
「これより、第十三独立遊撃軍団と第五軍団合同の祝賀会を執り行う! 盃を掲げろッ! ラズール防衛の成功を祝して……乾杯ッ!!」
「乾杯ィィィィィィッッッ!!」
テミスが音頭を取って口上を述べると、詰め所の中庭に地を震わすような歓声が沸き上がった。中庭の至る所に設置されたテーブルには、料理や酒が敷き詰められ、ファントの町の人々や、ラズールで軒を構える者達が兵士達にそれを供していた。
「しかし……よろしかったのですか? テミス様」
テミスが掲げたジョッキの中身を空け、傍らの酒瓶をひっくり返して酒を注いでいると、同じジョッキを手にしたマグヌスが遠慮がちに問いかけてきた。
「んん……? 何がだ?」
「いえ、その……このように大規模な宴を開かれて……予算などは大丈夫なのでしょうか?」
「ああ……その事か。確かに、予定外の誤算があったことは認めよう」
そう言いながらテミスは酒瓶を置き、ニヤリと邪悪な笑みを浮かべると酒を煽った。ビールに似たのど越しの良い液体を飲み下すと、一瞬だけ心地の良い酩酊感に体が揺れた後、意識がすぐに鮮明に戻る。
「…………泥酔しないのは助かるが、これはこれで悲しいものだな」
「はぁ……」
困惑するマグヌスを捨て置いてぽつりと零すと、テミスはそのままマグヌスの腕を引いて、少し離れた位置に設えられた特別卓を囲んでいるルギウスの元へ足を運んだ。
「さてとマグヌス……先ほど貴様は、我等十三軍団の資金の心配をしていたな?」
「は……? はい。まぁ……」
「テミス……君は本当に良い性格をしてるな……?」
テミスにマグヌスが頷くと、苦笑いをしたルギウスが顔を上げる。その卓の向こう側では、相も変わらず際どい意匠の服を纏ったシャーロットがむくれた顔でジョッキを傾けていた。
「何を隠そう、この宴の会計は全て……優しい第五軍団と第三軍団のオゴリだ! 故にマグヌス、好きなだけ飲め! 好きなだけ喰らえ! 遠慮など一切必要ないぞッ!」
「っ……ハッ! 了解いたしました!」
テミスは高らかにそう叫ぶと、手に持ってきたジョッキを再び煽って中身を飲み干した。まったく、我ながら効率の良い手段を思いついた物だ。
戦線を引き上げた後、テミスはルギウスとリョースを呼び出してこの会を提案した。しかし、当初は三軍団によるワリカンが予定されていたのだが、リョース率いる第三軍団の参加辞退と、それに伴う資金提供で大きく動きが変わったのだ。
「全く……トコトン手柄や名声に興味が無いんだね?」
テミスが兵士たちで賑わう中庭の中心へと去っていくマグヌスの背を見送っていると、柔らかく呟いたルギウスが椅子を勧めて来た。
「ああ。それにこれならば、貴軍も露骨に金をばらまかなくていいだろう?」
椅子に腰掛けながら、テミスは得意気な顔で机の上のソーセージを頬張った。ぱつんと千切れる肉汁がたまらない、ラズールの特産品だ。
「まぁ……ね。資金の大半もリョース殿の第三軍団が工面してくれたからウチは助かっているが……」
「ククッ……奴の強かさを舐めるなよ? どうせ今頃、ドロシーの奴が顔を赤くして私への呪詛を叫んでいるだろうさ」
「へっ……? どう言う事ですか?」
ソーセージを呑み込んだテミスが皮肉気に笑って答えると、隣に座るシャーロットが首をかしげる。同時に、中庭の中心の方から凄まじい歓声が響いてきた。恐らく、マグヌスがさっきの話を上手く兵士たちに告げたのだろう。
「奴もなかなかに老獪という訳だ。お陰であの馬鹿魔女を煽り倒す私の計画が台無しだ」
テミスはリョースと別れる前に、一通の具申書を彼に手渡していた。それは、今回の戦いでの一連のドロシーの行動を咎める具申書だった。それをリョースに託し、そのリョースが慰問支援という形でテミス達に資金を先に流す。そうすればあのギルティアの事だ、何の非も無いリョースが損をするような結末を許しはしないだろう。
「部隊の皆への慰謝料と迷惑料……ついでに資金圧迫による適度な嫌がらせ。更には十三軍団と第五軍団の親交も深まり、ラズールの復興とファントの発展にも繋がる……いいことづくめでたまらんな」
テミスはそう言いながら広場に目をやると、満足気に頬を吊り上げた。その視線の先では、体の至る所に包帯を巻きながらも歓談する兵士たちの姿、そしてその武勇伝を聞いて声を上げるバニサス達町の面々の楽し気な姿があった。
「本当に……いい性格してるよ君は」
「フフッ……誉め言葉として受け取っておこう」
そう言うとテミスは自分のジョッキを持つと、静かに席を立った。
「何処へ?」
「……ああ、少しな。…………奴等にも混じっておくかと思ってな」
それを見上げたルギウスに頷くと、テミスはどこか影のある笑みを浮かべて、視線でどんちゃん騒ぎをする兵士たちの方へと目を向ける。そこではちょうど、煽情的な恰好をしたサキュドが妖し気に踊り、野郎共がそれを囃し立てるという酒席の鑑のような空気が出来上がっていた。
「テミス……君は……」
ゆっくりと人混みの中へと消えていくテミスの背を眺めながら、ルギウスは小さく呟いたのだった。
10/25 誤字修正しました
2020/11/23 誤字修正しました




