946話 血だまりは物語る
同時刻。
スラムを完全に取り囲んだ過激派の包囲の中、その酷く複雑に入り組んだ街並みを、シズクとムネヨシ、そしてカガリは全速力で駆け抜けていた。
その先頭を疾駆するシズクの顔は非常に険しく、後に続くムネヨシとカガリの表情も優れない。
だが、案を出したシズクは元より、それを呑んだムネヨシとカガリもシズクの出した妙案以外に希望は無いと理解している。
故に、一行は融和派の仲間達が死力を尽くした戦いを繰り広げているであろう包囲の外ではなく、その真逆……勝手知らぬスラムの奥へと歩を進め続けていた。
「っ……!! ハッ……ハッ……ク……ゥッ……!!」
「シズクッ!!」
「ァァッ……!! だ、大丈夫ッ……ですッ……!!」
シズクは荒い息を吐きながら完全に崩れた建物の角を曲がると、その勢いに乗ってさらに前へと進むべく、脚に力を込めて薄汚れた石畳を全力で踏みしめる。
しかし、冷え切った大気は石畳をも凍り付かせており、足を滑らせたシズクはバランスを崩してその身体を路地の端の建物へと弾ませてしまう。
後に続いていたムネヨシが即座に逼迫した声をあげてシズクへと駆け寄るが、シズクは歯を固く噛み締めた口から苦悶の声を漏らしながらも、フラフラと態勢を立て直す。
「もう無茶をするなッ!! 先導は私に任せて、少しでもッ――」
「――いけません! 今、我々の中で一番このスラムの道に明るいのは私です! どうかこのまま……先導は私にお任せをッ!」
「ッ……!!」
己が身を案じるムネヨシに対して、シズクは必死の形相で言葉を返すと、痛みと疲労で前かがみに姿勢を崩す身体を無視して、再び駆け出すべく脚に力を込めた。
目指すはスラムの最奥、冒険者ギルド。こうして居る今も仲間達は苦しい戦いを続けている……なら、こんな所で足を止めている訳にはいかないのだ。
「ッッ……!!」
シズクは、今この場に居る三人の中だけではなく、融和派に属する者達の中で最もスラムの地理に明るいと自負していた。
なぜなら、つい先日テミスを探し出すべく、最も早くスラムを捜索しはじめたのは他でもないシズクなのだ。
人の手を離れた建物が崩れたり、スラムの住人によって路地が改造されたりするスラムは、日々その形を変える迷宮といっても過言ではない。
だからこそ、多少地理に明るいシズクとはいえ、何処で抵抗を続けているかも知れないスラムの者達の拠点へと迅速に辿り着くのは、ほぼ不可能だと言えるだろう。
だが。
「こ……れは……ッ!?」
受けた傷による痛みと、傷付いた身体で走り続けた苦しみで体勢を崩したシズクの目が、一つの微かな異常を捉えた。
それは、普段であれば気付きもせず、こと火急を要する現状では見向きもしなかっただろう。
しかし、自らの足跡がくっきりと抉り抜いた積雪の下……不覚にも足を滑らせた元凶であればであれば話は別だった。
「シズク……?」
「カガリッ!! そこ! 足元の雪を払ってッ!」
「えっ……? う、うん! 判った!」
「……? ここか?」
やけに鋭い視線でそう告げたシズクの言葉に従い、カガリはその指が指し示した地面を覆い隠す雪を払い始める。
加えて、それを見ていたムネヨシも、僅かに首を傾げながらそれに加わると、足を滑らせたシズクの足跡は瞬く間に消え去り、雪の下に覆い隠されていた黒く汚れた石畳が姿を現した。
「なっ……!?」
「っ……!! これ……は……ッ!!?」
姿を現した石畳の全容を見て、ムネヨシとカガリは驚きに目を見開いて息を呑む。
何故なら、姿を現したのはただの石畳では無かったのだ。
石畳に黒くこびり付いた汚れは、まるで液体であったかのように不定形な円状を描いて広がっており、それは端に向かう程ほんのりと赤みを帯びている。
更にその傍らには、まるで剣に付着した血を振り払ったかの如く、点々と散らされた滴の跡が扇状に残されていた。
「血だまり……? しかもこの大きさ、間違い無く死んでるわッ!? それも一人や二人じゃない……ッ!! 三人……いや、四人……かしら?」
「やっぱり……ッ!!」
一足早く我に返ったカガリが、一面に広がる血だまりの跡を調べながら呟きを漏らすと、シズクは肩を押さえて血だまりへと近付いて静かに掠れた言葉を漏らす。
その、異様に力の込められた呟きは明らかな震えを帯びており、シズクは抑えきれぬ興奮に固く拳を握り締めた。
「近いッ!! 我等の目指す地は近いですよッ!! ……きっと!!」
見開いた目をぎらぎらと輝かせ、不敵に口角を吊り上げたシズクが興奮気味に口を開く。
同時に、まるで目の前に鬱屈と立ち込めていた闇が、一気に晴れたかのような高揚感がシズクの胸を満たす。
今、全てが繋がった。
ギルファーに辿り着いたあの日に、ふらりと姿を消したテミス。突如として起こり始めた失踪事件に、再会したテミスから突き付けられたあの失望。
そして、あの時テミスから託された言葉の意味。
「待てシズク。どういう事だ? 何故そんな事がわかる?」
「そうよ! 何が何だか分からないんだけどッ!?」
「あの日消えたのは四人……だったらッ!! 私の考えが正しければきっとッ……!!」
「ちょっとッ!?」
「致し方ない! 追うぞッ!!」
しかし、興奮するシズクの耳に困惑する二人の言葉が届く事は無く、口の中でブツブツと一人で呟いた後、目をぎらつかせて脱兎の如く飛び出していく。
数瞬遅れて、ムネヨシとシズクは急速に小さくなっていくシズクの背中を、慌ただしく追いかけていったのだった。




