944話 裏切りの対価
「ッ……!! センゴク様ッ……!!!」
ドサリ。と。
踏み潰されたカエルのような声をあげたセンゴクが崩れ落ちると同時に、彼に随伴していた兵達が顔色を変えて叫びを上げ、武器を構える。
しかし、怒りに呼応したかの如く紅に輝くテミスの灼眼に射竦められ、構えた武器を振りかざして攻撃を仕掛ける者は居なかった。
「ッ……ゥッ……!!」
「……退け」
「えっ……?」
「退けと言ったんだこの恥知らず共ッ!!」
だが、テミスは緊張に強張った面持ちで武器を構える兵士達に向けて呟くようにそう告げた後、それでも尚、自らに武器を向けたまま動かない兵達に一喝する。
本来ならば、敵前逃亡を企てたどころか、融和派を裏切ったセンゴクに付いた時点で、テミスとしては片っ端から切り捨てて進んでやりたかったのだが、僅かに残った理性がそれを押し留め、代わりに罵詈雑言となって吐き出されていく。
「あれ程まで威勢の良い声をあげておいてこのザマか? お前達は何のために戦場に出た。この下衆にも劣るゴミが身を立てる糧となる為か?」
「ぐッ……!!」
「仲間を見棄てて……いや、同胞の命と種族の未来を敵に売り渡した気分はどうだ? お前達の掲げる誇りとやらは何処へ消え失せた? ン……?」
「ッ……!!!」
テミスは燃え盛る炎のような激情を、氷のような視線に変えて兵達を睨み付けた後、気を失って足元に転がるセンゴクを踏み付けて言葉を続けた。
「何とか言ってみろよ裏切り者共。お前達が大勢の同胞の命を切り捨てて従った気高き主は今、私の足の下だ。ホレ、救い出してみたらどうだ?」
「このッ……!!」
「どうした? 睨み付けるだけでは何も変わらんぞ。この下衆の命令と、大勢の同胞たちの命に融和への未来……秤にかけて選んだのはお前達だ。選んだのならば、命を棄ててでも救いに来んかァッッ!!」
三度響いたテミスの怒声がビリビリと冷えた空気を震わせ、その振動で屋根の上に積もっていた雪がドサドサと落ちてくる。
しかし、テミスの怒声を受けた兵士たちは一人、また一人と構えていた武器を取り落としはじめた。
そして、兵士たちの最前列でテミスの罵声を受け続けていた兵士の一人が顔を上げると、固く拳を握り締めて叫びを上げる。
「――ッ!! 仕方がないじゃないかッ!! 俺だって、本気でスラムの奴等を救うつもりだった。……でも全てはセンゴク様の策の上だったんだッ!! 俺達ではどうしようもないじゃないかッ!」
「だから、仲間を見棄てて逃げ出した……と?」
「そうだッ!! 俺達なんかが抗った所で敵いっこないッ!! 無駄死にだッ!!」
「ククッ……そうか。ならば問おう。ムネヨシを裏切ってセンゴクに与した裏切り者がここで私に斬られて死ぬのは、無駄死にではないのだな?」
「っ……!!!!」
ひたり。と。
テミスは目にも留まらぬ速さで刀を抜き放つと、その漆黒の刀身を反論してきた兵士の頬へと当てた。
無論。兵士には抗う事も、抜刀すら知覚する事はできず、ただ恐怖に目を見開いて凍り付く事しかできなかった。
「ぁ……ぅぁ……ひぃ……っ!!」
「何をしている? 私はお前に訊いたんだぞ? 答えろよ」
「やめっ……やめっ……助けっ……」
しかし、刃を突き付けられた兵士はガタガタと全身を震わせながら、ただひたすらに命乞いの言葉しか呟く事は無く、テミスはそれを冷ややかな目でただ見据えている。
だが、このような脅しも最早ほとんど意味をなさない事は、他でもないテミスが誰よりも理解していた。
自らのしでかした事の重大さを突き付け、裏切りの事実とその無意味さを叩きつける。
今更そんな事をした所で、こいつ等が売り渡したせいで死んだ兵達は蘇らないし、過激派に渡った情報が無かったことになる訳でも無い。
けれど、たったいま打ち据えた、全ての元凶であるセンゴクを逃さない程度の役には立つかもしれない。
「フン……屑め……。だが喜べ。お前達を裁くのは私ではない」
「っ……!?」
僅かな沈黙の後、テミスは吐き捨てるような言葉と共に、カチャリと軽い音を立てて兵士へ向けていた刀を引いて肩に担いだ。
すると、まるで安堵したかのように刀を向けられていた兵士はその場にドサリと崩れ落ち、動揺の音が幾つかその後ろの兵達の中から聞こえてくる。
「クス……」
それを聞いたテミスは、肩に刀を担いだ格好のまま彼等を小さく嘲笑った。
今安堵した連中は、どうせ私にここで殺されない事に胸を撫で下ろしたのだろう。
だからこそ、そんな愚かな連中を絶望に叩き落とす為に、テミスは大きく息を吸い込むと同時に、肩に担いだ刀へと能力を流し込み、その形を本来の姿である大剣へと戻した。
そして。
「裏切り者のお前達を裁く権利があるのは他でもない、裏切られたムネヨシ達だ。理解したのならば、私に斬り飛ばされる前に道を開けろッ!!」
呆然とした表情で息を呑む兵士たちの前で、テミスは漆黒の大剣を肩に担いだまま、戸口から吹き込む雪風にその長い銀髪をなびかせながら一喝したのだった。




